北広島市/デジタル郷土資料

きたひろ昔話

子どものための広島むかし話 その弐

 大曲地区は水田が少なく、ナタネ、エンバク、ビール麦などの特用作物が多く作られました。水害のないことも幸いでした。ビール麦はほかの麦より、五十パーセントくらい高かったが、検査はやかましかった。ビール会社の創立記念日には、毎年耕作者が招待されて、みんなで歩いて札幌まで行ったもんです。
 折り詰めとビール二本がつきましたが、家へ持って帰って、折り詰めは家の者にもわけて、ビールをゆっくり飲んで祝ったものでした。
(大曲 佐藤武司)

 エンバクは馬の食糧として、自家用と合わせて作りました。軍馬用のエンバクは、陸軍の糧秣(りょうまつ)秣(しょう)へ納めるのですが、なかなか検査が厳しかったですね。でも市価(しか)よりは高く買ってくれたんです。
(大曲 園田熊雄)

 開拓のはじめは、まず自分の食べるものを作ったので、どこも同じように、ソバ、麦、イナキビ、トウモロコシ、大豆、小豆、アワ、ヒエ、イモ、カボチャなどだったのです。開拓が進んで、安定してくると、ビート、亜麻、ビール麦、ナタネ、軍用エンバクなど、お金になる作物が多くなっていったのですね。大曲は、水田は少ないのですが、小川や低地のわずかな土地も、苦心して少しずつ水田をふやしていったのです。