北広島市/デジタル郷土資料

きたひろ昔話

子どものための広島むかし話 その弐

 炭窯(すみがま)は、どうしても山深く入ったところに作られるので、俵詰めされた木炭は、馬車、馬ソリの効くところまで運び出さなければならない。大曲の東通りに、ベコ寝坂という坂があるが、広島から札幌本通へ出る旧林道の途中の坂で、赤牛の背に三俵か四俵の木炭を乗せるのだが、歩いていくうちにずっしりと重くなって、急勾配の坂道にかかると、牛は木炭を背負ったまま、四ッ足を折って座りこんでしまうというのだ。ひと休みしてから、またそろそろと立ち上って歩き出すところから、誰いうともなくベコ寝坂という名前がついたそうだ。
(大曲、坂本安太郎)

 明治三十一年ころ、馬を買い入れたのですが、それまでは牛を使って木材などを運搬していたのです。いもり沢からトド山へのべコ道を、マキや木材を運んでいたのです。そのころ沢づたいに大曲への道があり、ベコ沢とかベコ道とかいわれ、大曲のべコ寝坂へと続いていたのですね。本州では赤牛を使っていたので、こちらでもはじめは赤牛が使われたのでしょうね。
(西の里 沖綱市)