北広島市/デジタル郷土資料

きたひろ昔話

子どものための広島むかし話 その壱

 
 明治十七年、二十五戸が広島に入ってから、年々戸数も人も増えてゆきましたが、学校はまだ無かったのです。学校へ行きたい人は、月寒の学校まで三里(十二キロ)も歩いて通わなければならなかったのです。広島にはじめて学校ができたのは、明治二十五年広島簡易教育所からです。その後あちこちに簡易教育所ができましたが、どこも教室がひとつで小さいものだったのです。
 私は明治三十二年(一八九九)大曲小学校へ入りました。この年簡易教育所が四ヶ年の小学校になったのです。でも一年生から四年生までひとつの教室で、それもすき間だらけでした。先生も一人でした。それでも私にとっては学校ぐらい楽しいところはなかったのです。夏は二時間も前から学校へ行って遊んでいました。休み時間は林へ行って、セミやクワガタをとったり、大曲川で魚をすくったりして遊んだものです。中島カノ(広島)
 島松の簡易教育所は寺小屋式で、お坊さんが教えていました。生徒か十人くらいで、板に足をつけた机で、畳にお座りして勉強したものでした。菅原善蔵(三島)
 明治四十年、共栄にあった広島尋常小学校へ入りました。ノートはなく石板に石筆で字を書いたり消したりして、勉強したものです。弟や妹を学校へ連れてくる人もいました。子守のためです。赤倉治作(輪厚)