恵庭市教育委員会/カリンバ遺跡と恵庭市史料 DIGITAL ARCHIVE

カリンバ遺跡史資料

国指定史跡カリンバ遺跡

遺跡について



遺跡について
 遺跡は、JR恵庭駅の北方、約800m、旧カリンバ川流域の段丘面と低地面にあります。平成11年度に実施した「団地中央通」建設に伴う発掘調査及び平成12~15年度の詳細分布調査によって、遺跡面積およそ7万平方メートルが確認されています。
 これまで確認されたおもな遺構は、縄文時代の竪穴住居跡、土坑墓、盛土遺構、続縄文時代の土坑墓、擦文時代の竪穴住居跡、アイヌ文化期のチャシ跡、建物跡などです。段丘面では縄文時代早期(約7,000年前)から人々が住みはじめ、その後、縄文時代後期(約3,500年前)から晩期(約2,500年前)に多数の墓(土坑墓)が残されました。なかでも後期末葉(約3,000年前)の合葬墓4基からは大量の漆塗り装身具が見つかっています。検出された装身具の内訳は、櫛、頭・額飾りの輪、耳飾りの輪、腕輪、腰飾り帯などの漆製品、蛇紋岩系岩石や琥珀、土製の飾り玉・勾玉、額飾りや腰飾りの装飾部品と考えられるサメの歯、石棒など、多種・多様な副葬品です。単葬墓を含め、出土した漆製品は120点以上、玉製品は約900点を数えます。墓が残された時期に、北側の低地面で人々が生活していたこともわかっています。低地面からは櫛や腕輪、玉、サメ歯なども発見されていて、当時、この地で墓に納めた漆製品を作っていた可能性が考えられます。
 カリンバ遺跡は、大量の漆製品を納めた段丘上の土坑墓群と、当時の生活や作業空間としての場所と推定される低地面の遺跡がセットとして残っていることから、平成17年3月2日付けで、面積約4万2千平方メートルが国史跡に指定されました。
 また、平成18年6月9日、合葬墓3基から出土した漆製品・玉・サメ歯・土器など、合計397点が国の重要文化財に指定されています。
 
 カリンバとは、アイヌ語で「桜の木の皮」という意味。以前は遺跡の近くを、遺跡名のもとになったカリンバ川という小川が流れていました。
 カリンバ遺跡は、この川が流れる低地面と、それより2~3mほど高い段丘面に残された縄文時代から近世アイヌ文化期の遺跡です。とくに、縄文時代後期末から晩期初め(今から約3,000年前)の頃の漆製品を多数納めた合葬墓は全国的にも珍しいことから、平成17年に段丘面と低地面をあわせ、約4.2ヘクタールが国の史跡に指定されています。
 

  



発掘区

発掘区(幅20~25m、長さ150m)が斜めに延(の)びている。副葬品を納めた土杭墓群は写真中央の黒色土中から発見された。現在は舗装道路が完成している


 

    



低地面
低地面は生活の場所
 低地面の森の中には、段丘面の墓地と同時期に造られた貯蔵穴、建物跡、炉跡が残され、鉢形土器、石器、赤色漆塗りの櫛・腕輪、緑泥石岩や土製の小玉、サメ歯などが出土しています。また、赤色鉱物の粉や、赤い顔料が付着した長さ60㎝ほどの板状の石皿などはカリンバ遺跡を解き明かす重要な遺物です。カリンバの森は、縄文時代のタイムカプセルといえます。

 
 カリンバ遺跡では縄文時代後期中葉から晩期後葉の頃、段丘面を墓地として利用していました。なかでも後期末から晩期初頭の時期には、亡くなった人に漆塗りの櫛や腕輪、首飾りなどを装着し、赤いベンガラをまいて地中に埋葬したのです。墓の周りからは土器が多数出土していますが、そこから見つかった土器の形は、祭りや儀式で使う壺形や注口形が大半でした。日々の生活で使った土器は少なく、そのことからこの区域が墓域として区別された場所で、生活の場ではなかったことを示していました。
 では、日常的な生活の場所はどこにあったのでしょうか。それを探す目的で平成12年から15年にかけて周辺で調査(詳細分布調査)を行いました。その答えは意外にも段丘面から2〜3メートル低い北側の低地面のなかにあったのです。1〜1.5メートルの粘土層に覆われた黒色土層中に厚い遺物包含層が発見され、幅1メートルほどの狭い調査区域から煮炊きに使ったと思われる大量の鉢形土器の破片をはじめ、漆塗りの櫛や腕輪、赤い顔料、それを精製する際に用いたと考えられる板状の石皿、首飾りの玉、装身具の部品と思われるサメの歯など、多くの遺物が出土しました。また、建物跡や物を貯蔵する穴と考えられる土坑、エゾシカ・イノシシの焼けた骨片を含む屋外炉と考えられる焼土など、さまざまな生活の痕跡も見つかっています。時期的には漆製品を副葬した段丘面の土坑墓群と同じ頃のものです。段丘面の土坑墓群を残した人々は低地面で暮らし、墓に副葬されていた大量の漆製品をそこで作っていた可能性さえ浮かび上がってきました。
 カリンバ遺跡は、多量の漆製品を伴う段丘面の土坑墓群と、生活・作業空間として機能した低地部分が同時に残されているところに特徴があるといえます。
 
自然豊かなカリンバの森
 低地面は、縄文時代が終わると厚い粘土層に覆われていきました。現在では、ハンノキ・ヤチダモなどの落葉広葉樹の森になっていて、早春にはミズバショウの群落もみられます。

 

  



段丘面
段丘面に残された竪穴住居跡・墓跡
 段丘面には、縄文時代から近世に至る各時代の竪穴住居跡、土坑墓、建物跡、炉跡、アイヌ文化期の平地住居跡や壕状遺構など多数の遺構が残されています。

 



史跡の範囲

 

  



遺構の分布状況

 

  



土坑墓群
縄文時代後期から晩期の土坑墓群
 発掘調査を行った「団地中央通」用地内から土坑墓が多数みつかりました。また、その周辺で実施した調査でも広範囲に土坑墓や住居跡が残っていることが判明し、とくに縄文時代後期~晩期の遺構は東西約80m、南北70mの範囲に集中していると考えられます。そこには、漆塗りの装身具を副葬した土坑墓も多数含まれていると推定されています。

漆製品を多数納めた合葬墓
 合葬墓(30号・118号・119号・123号)の4基は、直径1.6~2.5m、深さ1mほどの円形ないし楕円形に掘られた大形の土坑墓です。わずかに残った人の歯と装身具の出土位置から、複数の人が埋葬されたと推定されています。
土杭墓群