函館市/函館市地域史料アーカイブ

南茅部町史 下

第一一編 災害

第二章 駒ヶ岳の噴火

第一節 噴火の記録

駒ヶ岳

安政三年(一八五六)八月二六日の駒ヶ岳の大噴火のとき、鹿部と本別が大きな被害をうけ、砂原・掛澗も被害があった。
 留の湯は噴火の側近直下だったので、湯治客二〇名が圧死した。函館浄玄寺(現真宗大谷派函館別院)の過去帳に「八月二六日、沙原駒ケ嶽焼崩れニ付、トメの湯ニテ、高田屋新右衛門(五二歳)死ス。九月四日ヨリ忌中相勤候也」とある。
 箱館奉行は駒ヶ岳爆発の被害を聞き、被害者の救済のため全焼の家には小屋掛料三分宛、大破した家に手当金二分を貸与して五か年で返納することとした。
 このとき近村の熊臼尻・鷲ノ木村の人々が救援にかけつけ、米・味噌・野菜などをもち運んで、村たき出しや仮小家の復旧を助けた。
 庵原〓斎の「蝦夷地土産」によると、安政三年丙辰(一八五六)八月二六日の明け方。いつから始まったのか土地の震動が次第に烈しくつづき、鹿部・本別・亀のあたりの人たち、また、留の湯温泉に湯治にきていた客たちは、みな箱館が大地震になったのだろうなどと他所事と思っていた。
 近くに見える駒ヶ岳、一名内浦ケ岳、又の名は茅部山などと呼ぶ。内浦のうち山陰(かげ)場所を、茅部場所の人たちが霊山と仰ぐ有名な山がある。この山は、九三年前、明和二酉年(一七六五)の噴火後爆発はなかったと古老達の話であったから、よもや駒ケ岳の噴火による震動だとは予想もしなかった。
 午前(昼)九時ごろ、突然駒ヶ岳の方に大きな雷鳴があり烈しい響きがあった。みるまに駒ヶ岳は黒煙を吹きあげた。駒ケ岳の東にある鹿部や本別では、焼け石が飛んできて住家の屋根におちてくる。火をふいた硫黄が降りはじめ草屋根に火がつき、防ごうとしても次々に火のかたまりが落ちて防ぎきれなくなった。
 焼け石に頭や顔を打たれ、手足も傷つき、村人は防ぐ手だてもなくなり逃げ出した。逃げる村人に容赦なく猛火・大石が空から落ちてあちこちに火煙が立ちのぼる。そのうえ、風が烈しく渦巻きのように黒煙が吹き回って闇夜のようになり、暗黒の中を進むことも退くことも出来なくなった。
 家にかくれれば忽ちに火がつき、火煙が吹き込んでくる。戸外に逃げ出すと、頭上に大石が落ちてきて気絶して倒れる者も多く出た。幼い子を背負い、老父母の手をひいて逃げまどうもの、どこまでいっても同じ焼け石の雨の中で、逃げてゆく人々の肩や背に火が燃えつき、くくりあげた衣服に焼け石が飛びこんでいぶりはじめるなど、阿鼻叫喚、目をおおうさまであった。
 あるものは樽をかぶり、またあるものは盥を笠に、筑摩の祭りと戯れる余裕もなく、手あたり次第に身近の鍋釜で頭をかくし、人それぞれに工夫して逃げた。
 誰もみな夢中で逃げた。疲れきって本別の橋の下に身を寄せあってひとときを凌いだ。幸いなことに橋下は川水が一滴もなく、心とりもどした人びとは川水の渇れたことを不審に思いながらそれでも橋下で一時難を避けていた。
 さてこの先どうしたらよいものかと互いに話しかけながら、このありさまでは砂原の方へ逃げることはできそうもない。臼尻川汲の方へ行くのがよいと、いざ橋下から立ち出ると、外は硫黄の火玉が降りかかり、衣服を流れて燃えあがるので防ぐすべもない。燃えあがった衣類をほうほうの態で脱ぎ捨て、裸同然になってあちこちに火傷をしても傷の手当てをする暇もなく逃げた。大石で手足が傷ついたものは、歩行さえままにならなくなってしまう。
 それにまた、大音響とともに大爆発がおこった。山が焼け抜け、折から西南風が烈しく吹き、風下にいた避難民は鹿部の方へ進むこともできなくなってしまった。ふりかえると、いま来た本別の方が烈しい焼け石のために燃えあがり、火は家々に延焼してすべてを焼きつくしてしまう様子である。
 爆発が終わってから聞くと、かろうじて難をのがれて残った柾屋根は二軒だけだったという。このとき焼け残った柾屋根の家に入って、あとあと多くの人達が雨露を凌ぐことができた。
 鹿部も所々火がつき二軒焼失したが、その他は幸いに消しとめることができた。
 一、野に放し飼いの馬や荷物を運送中の牛馬の死傷は数えきれなく、多数にのぼった。
 一、鹿部・本別の両所で家数三五軒・人別一八二人のうち、焼失家屋一七軒、内一五軒本別分、□小屋、物置、納屋(なや)、板蔵(いたぐら)、合わせて一二か所、船小屋七か所、磯船、持府船合わせて一二艘、焼死二名。一人は八四歳、一人は七三歳の隠居同様の人たちであった。子供はみな無事だった。
 臼尻川汲の方へ避難した人たちはみな恙なかった。川汲に詰合していた役人は臼尻まで出張して、避難してきた怪我人(外傷)を介抱し、村禀(そんぴん)(村の備米の蔵)を開き、蔵米を放出して暖かい食事をとらせた。
 一同は、ようやくひと安心してお上のご仁恵をよろこんだという。
 一、留の湯(温泉)に湯治していた二二名は、突然に燃える石礫と焼けた土砂が雪崩れこみ、強火の火の粉が嵐のように飛んできたので逃げ場を失ない死亡した。あれよあれよという間に三丈余り、そのうえ崖がくずれ、熱湯が二、三か所から吹き出して流れた。
 あたり一面焼石と熱い土砂で、山も野も河も一面に崔嵬と一変してしまった。