函館市/函館市地域史料アーカイブ

南茅部町史 下

第九編 通信・電力

第一章 通信

第一節 駅逓・郵便局

駅逓・郵便局の沿革

 2     開拓使は交通手段の役割を制度化して駅逓規則をつくり、重要な道筋に駅逓所を設置して便宜を
      はかった。尾札部村の人馬継立所は飯田与五左衛門の自宅に付設されていた。
 2・10   馬の荷駄の貫目が定められ人足一人六貫目、馬一頭二〇貫目と定められた。
 3・ 2   公私人馬賃銭を人足一人一里金四銭とし、至急便は金六銭、昼夜兼行のときは金八銭、馬は六
      銭とし、山道、雪中夜継のときは五割増と定めた。
   5   臼尻に人馬貸立所が設置された。
      熊の人馬継立駅は小頭山田又吉が自宅で取扱い、駅費は村費でまかなった。
 4・ 3   鹿部は伊藤源五郎が駅逓取扱役を申付けられた。
      尾札部より椴法華村へは海路をとり、舟渡場があり海路六浬の渡船は、村費で造船した持符一艘
      三人乗を用いた。渡賃は一里金一八銭であった。この頃、渡守は尾札部村の坂井五兵衛が当たっ
      ていた。人足は一里金四銭、馬は一頭金六銭で至急のときなど昼夜兼行のときの山道は五割増で
      あった。
 5     駅逓の事務は村用掛・村役所が兼務するようになる。
 5・ 7・ 1 函館郵便局(都筑(つづき)良介)が開局された。このとき全道の開閉所七八か所。
  10   森ほか二二か所に郵便局が設置された。
 8・ 1・22 五等局川汲郵便局開局取扱人岩花与兵衛、月手当三〇銭。臼尻は中村彦四郎の自宅で取扱った。
      給料は与えられなかった。熊は山田恒吉が取扱人を命ぜられ年一五円支給された。村内の馬持
      より順番に馬を用立てさせた。
 8・ 6・ 6 開拓使庁民事課に駅逓課を置いて郵便事務を管理した。
   7・ 1 郵便物を札幌・函館の開拓使庁に蒐集して駅逓寮に逓送する体制を定めた。また、函館・青森間
      に開拓使付属の汽船二隻による定期連絡航路をひらき、これに郵便逓送の任務を課した。
 9・ 9・11 五等局開閉所尾札部郵便取扱人は道亦儀八(文政三生・一八二三)開閉局川汲郵便取扱人は岩花与
      兵衛、臼尻は赤石歓三郎で月手当三〇銭であった。(資料一参照)
      川汲から下湯川へ三日・七日・一三日・一七日・二三日・二七日、下湯川より川汲へ二日・七日
      ・一二日・一七日・二二日・二七日に向かう。尾札部臼尻の両局からは二日と七日の日、午後
      三時に川汲へ向けて出発する定めであった。
10・ 1   以後、尾札部村民協力して逓伝を務め明治一二年までつづいた。
  11   駅逓所を駅場と改称。駅馬は村民の家畜している馬を順番に出役として逓伝・逓送に当てた。
11・12   木直、古部、椴法華間の道路を地元の村民が開削修理を出願。
12     明治一二年七月から郵便線路の回数と出発の日割が改められた。
      函館から下湯川通り川汲臼尻を経て森に至る線路は、函館より二、七、四、九の日の午前六時
      に出発して下湯川、川汲を経て臼尻に至り、森からは三、八、五、一〇の日同じく午前六時に出
      発して砂原に至る。
      臼尻の脚夫と砂原の脚夫は鹿部局で帰便の交換をした。尾札部は二、四、七、九の日午後三時に
      川汲へ出発し、川汲から尾札部へは帰便を差し立てる。
(明治)   下湯の川から戸井を経て根田内に至る線路は、両局から三、五、八、一〇の日午前六時に出発し、
      従前通り戸井局で交換して帰便となる。
      このときの管内近隣のおもな郵便線路は、函館から上磯通り知内を経て福山に至る線路は隔日半
      の日(半は奇数一三五七九)に函館、福山から午前六時に出発して知内村湯の尻で交換する。
      函館から七飯、大野、鶉を経て江差に至る線路は丁の日(偶数二四六八一〇)に函館からと江差か
      ら午前六時に出発して一ノ渡村字中山局で七飯、江差の脚夫と交換する。
      福山より江良町を経て江差に至る線路は、両局から二・七の日、午前六時に出発した。
      江差から熊石を経て久遠に至る線路は江差久遠両局から四・九の日午前六時に出発した。
      この頃、人足持は七貫目とし、七百匁毎に一割増とした。馬は二五貫目までとされ二貫目増ごと
      一割増となる。毎年一一月一五日より翌三月一五日までは、冬期間雪道のため最低五分より最高
      五割以内として道路天候の状況により割増された。
12・10・ 2 開拓使業務報告によれば管下駅逓六駅廃止のとき、川汲も廃止となる。
      この年、大舟(船)川に村費で木橋を架けて通行の便をはかった。また、官費の補助を得て木直、
      古部の村民が出役して椴法華間の山道を開削した。
  11   熊駅は村用係山田亦吉の自宅で取扱い、駅費は村費を当てた。また、駅馬は村民の家畜する馬
      を順番に差し出して逓伝に当てていた。なお、一一月以後は村民が協力して逓伝に当たった。
  12   開拓使から木直・古部・椴法華間の道路の築設に協力した木直佐藤彦太郎(文化四生・一八〇七)
      ほか住民に褒状と木盃が贈られた。
13・ 6・25 尾札部村小原多次郎(天保一三生・一八四二)が尾札部駅四等郵便取扱役を命ぜられる(駅逓総官従
      四位前島密)。

小原多次郎の辞令(小原健所蔵)

   7・ 6 「北海道郵便局等級御手当人名表」(北海道所蔵)によれば臼尻駅四等郵便取扱役は赤石歓三郎。
   7・18 川汲郵便取扱役は加我金左衛門。
15・11・19 加我金左衛門死去。川汲内に郵便の事務をとるものなしと函館新聞(明治15・12・8 第七八三号)は報じている。
17・ 7・31 川汲郵便局廃止。
19・ 5・25 三等郵便局尾札部郵便局長小原多次郎任命される。
20・ 3・15 尾札部郵便局長小原多次郎退職。
   同日 尾札部川汲郵便局として復活設置された。
      三等川汲郵便局長小板久兵衛が任命。判任官十等下級手当支給。

小板久兵衛の辞令(徳田栄治所蔵)

21・ 4・11 道告示第三三号により臼尻尾札部に人馬継立所が設置された。
21・ 9・ 1 全国の郵便消印が一となる。
24・ 3・31 川汲郵便局が廃止された。
   4・ 1 臼尻尾札部に三等郵便局が開局され郵便業務を開始。臼尻郵便局初代局長に小川幸一郎(天保
      二生・一八四〇)、尾札部郵便局初代局長には飯田清次郎(明治四生)が就任。臼尻局は字臼尻
      一番地 小川局長自宅て小川家内に仮設(現在の臼尻二三四番地)。
      尾札部局は字尾札部九五番地 飯田局長自宅飯田家(エダヤ)に差掛(さしかけ)して局舎に充当、
      郵便業務をおこなった。
      現在の字尾札部四〇九番地にある尾札部郵便局と、ほぼ同じ位置であったという。

臼尻郵便局配達全図

  12・ 1 臼尻局貯金と内国通常為替業務を開始。
26・ 3・16 尾札部局貯金と内国通常為替業務を開始。
29・11・16 臼尻局小包郵便の業務を開始。
30・11・21 臼尻局(臼尻郵便電信局)和文電信の受付と配達・電信為替の業務を開始。
31・12   臼尻局区内の郵便切手売下所一か所、郵便掛函二か所。
32・ 4・ 1 尾札部局内国電信為替開始。尾札部局区内の切手売下所ならびに郵便掛函五か所あった。
33・ 7・ 1 尾札部局小包郵便の取扱いを開始。
34・ 9・28 尾札部局局舎を新築。建坪二九・五坪。
      字尾札部九五番地(昭和五〇年地番改正により同字四〇九番地、明石医院のところ)。

尾札部郵便局 (明治34年)

  11・21 尾札部局和文電信電報の取扱いを開始。
40・ 3・31 鹿部局電信業務開始。
41・ 4・17 臼尻局二代局長小川幸三郎(明治七生)就任。
   7・31 二代目小川幸一郎襲名。