函館市 函館市地域史料アーカイブ

南茅部町史 下

第七編 産業 第三章 鉱業 第二節 明治以後の鉱山開発 熊泊硫黄鉱山 

 袴腰山(一、〇七六メートル)に源を発する磯谷川の上流にあり、磯谷市街より南西に約五キロメートル、泣面山八五三メートルの北西海抜四〇〇メートル余の山麓にある。
  鉱業権  渡島採五号 一三号 一四号
  面積   一、八六〇、〇九〇坪
       九七四、〇〇〇坪
 
 明治三六年二月頃、熊村松田松治が発見したものである。同三七年五月、函館小橋栄太郎がはじめて鉱業権を設定して採鉱に着手した。同三八年一二月に遠藤吉平の所有となり、三九年三月廃業したが、同六月、再び採掘の許可を受けその規模を拡張して製錬を始め、四〇年、隆盛の極に達した。
 万盛坑、一番坑は、明治四〇年から四一年ごろ最高の産出をみたが、明治四二年三月二九日、山崩れのため埋没し廃坑となった。
 二番坑は並よりも低位置で南西に向かって掘進された。層向北二〇度東傾斜は東南東に四五度。
 三番坑は二番坑より約三六尺低位置にあり南四〇度西に掘進、膨大な鉱床である。一は二番坑の下方に当たり層向北六〇度東、傾斜南南東四〇度で最大厚さ三五尺延長四五メートル。二は二番坑引立の下方にあり層向北二五度東、傾斜東南東に四〇度、最大厚さ一五尺延長二二メートル。三は坑道引立にあって層向傾斜同様で厚さ一〇尺余、良好な鉱床である。
 四番坑の坑口は三番坑の北三五メートルのところにあり、明治三七、八年ごろ小橋が開坑し南三〇度西に向かって掘進一一メートルで中止。明治四二年遠藤により更に掘進。
 五番坑は四番坑よりも下方の鉱床を探るため明治四二年一一月開坑。その坑道は初め南に向かい約九〇メートル進み、のち南五度西に転じて掘進した。
 新坑は明治三九年探鉱のため開坑した。万盛坑に近い高所に坑口があり、南三五度西に向かって一四メートル掘進して中止した。
 渡し沢坑は一、二、三番坑の西方約三五〇メートルの渡り沢の右岸にあって、明治四一年に開坑した。南東に向かって掘進したが明治四二年夏中止した。

渡島国亀田半島鉱山分布図


渡島國熊硫黄鑛山
北海道大学附属図書館所蔵