函館市 函館市地域史料アーカイブ

南茅部町史 下

第七編 産業 第一章 農業・牧畜 第三節 万畳敷開拓 万畳敷高原農耕開拓のあゆみ 

大正九年九月、万畳敷に待望の分教場が設置された。
 正式名称は熊尋常小学校万畳敷特別教授場といわれ、函館商船学校出身の芳賀芳輝が勤務した。
 芳賀先生は絣の羽織りを着て袴をはいて教壇に立った。一年生から六年生まで男女一教室で、音楽と体操は全学年一緒だった。
 熊校や臼尻校の春秋の遠足も熊鉱山や、万畳敷への遠足もえらばれている。
 大正一一年七月一日、尾札部地方教員研究会の一行、万畳敷特別教授場を視察したという記録がある。
 しかし、農耕地開拓の将来は厳しく、大正一二年、白井川農耕地への移住がきまって、同年七月三一日をもって万畳敷特別教授場はその歴史をとじた。まる三年に満たぬ万畳敷高原における、短い年月であった。
 白井川農耕地の子ども達は、多くは熊尋常小学校に通った。臼尻校の高等科に通った人もいた。
 また、臼尻へは大船川下の湯のところから、または二艘澗から、のちの豊崎トンネルのところは茂佐尻岬といい、山越えして臼尻の浜中におりる山道通いであった。
 昭和三年夏、茂佐尻岬の海岸沿いの道ができ開削工事が完成して、尾札部間に乗合自動車が走るようになる。