函館市/函館市地域史料アーカイブ

南茅部町史 下

第一〇編 公安

第一章 警察

第一節 警察の沿革

川汲分署設置

 明治一八年五月、函館県森警察署川汲分署が設置された記録がある。郷土の警察に関する古い記録である。
 このとき尾札部村より木材二四本と人夫六八人を差し出し、同年一二月一八日、褒状と木杯一個下賜された。
 
         函館縣渡島茅部
            尾札部村一同
  明治十八年五月中函館縣森警察
  署川汲分署設立ニ付木材貳拾四本
  人夫六拾八人差出候段寄特ニ付為其
  賞木杯壹個下賜候事
   明治十八年十二月十八日
   函館縣令従五位勲四等時任為基代理
      函館縣大書記官従六位堀金峰

川汲分署設立ニ付」尾札部村一同への感謝状 小原 健提供

 熊校沿革誌には、明治一八年五月一四日、(臼尻二ヶ村役場)「戸長篠田順氏ト共ニ生徒ヲ勧誘シ 当郡尾札部村支川汲ニ至リ 同所森警察署(川汲)分署建設地地形ノ功ニ従フ」と記されている。「尾札部村一同」と略同文の感謝状の文面が同校(大船校)沿革誌に記されている。
 
     函館縣渡島茅部
        熊小学校一同
  明治十八年五月中函館縣森警察
  署川汲分署設立ニ付土功ニ従事候
  段奇特ニ候事
   明治十八年十二月十八日
  函館縣令従五位勲四等時任為基代理
   函館縣大書記官従六位 堀金峰 
 
 明治一九年二月、訓令により北海道本庁、支庁とも警察本署の事務分掌をひろげた。
 その新管任務は
  一、警戒、検察および消防
  二、未決、既決囚の監護
  三、戸籍、衛生および墳墓
     明治八年以来、戸口調査は既犯潜匿、未犯警防のため完壁を求められ、昭和二五年の通達で四月限
    り廃止。
     衛生事務は明治三〇年「伝染病予防法」の制定以来、昭和一七年、内政部移管まで警察部に所属。
  四、徴兵、恩給および扶助
  を合わせもっていた。
これまでの「本支庁供立分治」を改め、一二月、道庁は官制を改めて本庁を四部に分け、函館・根室の両支庁を廃止した。警察業務は、完全に道庁長官の下に統一された。
 明治二一年三月八日、茅部山越郡役所と亀田上磯郡役所とが合併されて、七飯村に亀田ほか三郡役所が設置され、庁舎は旧七重官園・七飯勧業所の建物があてられた。
 この郡役所内に警察署も併設され、一郡役所一警察署配置の計画が完了した。
 署長は郡長中村修が兼任し、警部は中山経重、同品川篤次郎、警部補には三上常和が任用された。
 明治二四年、警察行政を一層強化することから、七月、道庁は四部制を改めて内務・警察・財務の三部と監獄署の三部一署制とし、警察部長に専任の警部長をあてることにした。
 明治二五年の七飯警察署の各分署は、亀田・戸井・上磯・木古内・森・臼尻・八雲の七警察分署であった。
 浦役場は、
 亀田村浦役場     下湯川村浦役場
 銭亀沢外三ヵ村浦役場 戸井外一ヵ村浦役場
 尻岸内村浦役場    椴法華村浦役場
 上磯外二ヵ村浦役場  茂辺地外一ヵ村浦役場
 木古内外三ヵ村浦役場 知内外一ヵ村浦役場
 尾札部村浦役場    臼尻外一ヵ村浦役場
 鹿部村浦役場     砂原外一ヵ村浦役場
 森外四ヵ村浦役場   落部村浦役場
 八雲外一ヵ村浦役場  長万部村浦役場
 
 明治二〇年代は臼尻尾札部の警察は、戸長役場内に室を分かちそれぞれ執務していた。

(臼尻部落沿革誌・篠田順より)

 明治三九年四月一日、七飯警察臼尻分署が廃止されて、巡査部長派出所ならびに駐在所が設置されるにおよび、元部落事務所を廃して警察の建物を新築した。のちの臼尻郵便局のところである。
 大正二年五月、尾札部巡査駐在所は大野分署から戸井分署所属に転属となり、大正五年、森警察署に配属されるまで戸井の警察が巡回した。
 当時、古武井鉱山、古部、大梶鉱山の経営が盛んになっていたことで、古武井と木直との山越えの道路が馬道ながら往来がはげしかったこともあった。
 戸井の警察は陸路または海路で、ことあるごとに木直、尾札部に巡回した。
 明治三〇年ごろから大正五年まで尾札部の警察は、尾札部稲荷神社の鳥居の東側にあった。(吉川菊蔵談・明治二七生)
 明治三〇年、警察は衛生もその所管とされていたが、「伝染病予防法」の制定とともに衛生課に昇格して、昭和一七年、内政部に移管されるまで警察部が担当した。
 大正一〇年ごろと昭和初年、伝染病の発生のとき、警察官は多忙をきわめた。
 大正五年一月一日、庁令第二号警察区画変更により、尾札部巡査駐在所は戸井分署所属から再び森警察分署に管轄となった。この年、旧尾札部小学校跡地であった字尾札部五〇番地に尾札部駐在所が新築されている。のち、大正一一年旧校地跡地に尾札部村役場が新築され移転することになる。昭和五〇年、ここに尾札部母と子の家が建設される。
 大正五年の尾札部駐在所は、昭和二六年、尾札部村役場の火災のとき罹災、全焼してしまった。
 
  大正七年四月二二日 道庁告示第二五六号(公報二九九号大正七・五・一発行)
  大正六年三月受持区域左ノ通改メ即日ヨリ施行ス
  森警察分署
   臼尻巡査部長派出所 字臼尻  鹿部村・臼尻村・尾札部村各一円
   臼尻巡査駐在所   字臼尻  臼尻村一円
   鹿部  〃     字鹿部  鹿部村一円
   尾札部 〃     字尾札部 尾札部村一円
 
 昭和一二年、経済警察の制度が創設されて各警察にその係が設けられた。国内がすべて戦争体制に入るための取り締りの強化が重要な任務となったわけである。経済のあらゆる面に統制の枠がはめられ、物資の流通も国の統制組合に通じるようになると国民の生活は極端に不自由となった。
 配給の米穀だけでは漁家の食糧が不足だったので、尾札部漁協組で米三、〇〇〇俵を移入したのが発覚して組合長が統制経済違反に問われたことがあった。(渋田武雄談)
 戦時中、ぜいたく品の製造販売、物価の取り締りなどを取り締る経済警察となり、戦後はヤミ米、ヤミ物資、ヤミ取引の取り締りや、隠匿物資の摘発にあたった。
 戦後は民主警察に変わり、数度の機構改革、名称の変更がつづいた。
 木直、大船にも警察官が配置された期間があった。