函館市/函館市地域史料アーカイブ

南茅部町史 上

第六編 漁業

第一章 郷土の漁業

第八節 出稼ぎ

北へ進む出稼ぎ

 春早く鰊場に歩方にいく。鰊場ははじめ〓坂本のじいさんに連れていってもらった。岩内のシキシマナイの〓畑沢漁場といった。二五歳、明治四二年ごろのことだ。
 旧の二月二五日には出立する。雪の峠を草鞋はいて、なんぼか着替(きげ)背負って、親父さんと話しながら夜(よる)、明けるかあけないに出る。函館へ行って休む。函館から汽車で小沢というところまでいって、小沢から岩内まで小さい汽車があった。
 三か月働いて帰る。三か月で四五円で雇われた。九一(くいち)を五円もらった。大金だった。
 
 出稼者
           昭和元   二    四    七    八
尾札部村       二六六  二四七   九八  三一五  三七一
   樺太       六六   六二   二三
   カムチャッカ   一九   二〇   六二
   道内各地    一八一  一六五   一三
臼尻村                       一七三
 
管内出稼漁夫(昭和八年「北海道水産年鑑」)
  昭和元年  二年  三年  四年  五年  全道
渡島より海外 出稼漁夫  海外出稼漁夫
     -    九四   一二七   九二六   三一五   四九八
鮭・鱒 二、八一〇 三、一二〇 三、四二一 三、四一七 三、一八二一五、六三〇
鱈・鮞     -     四    二一    七五    五三    六〇
     -     -     -     -     -     -
柔魚     -     一     -     -     -     -
昆布     -     -     -     -     七     七
其他    六四   二一五   二三九   二九六   一六七   七三八
 二、八七四 三、四三四 三、八〇八 四。七一四 三、七二四一六、九三三
全道一五、四一五一七、一四三一六、六八三一七、一二九一六、九三三 

 
 昭和一二年四月二四日の函館新聞に、当時の出稼ぎの細かな動向が知らされている。
 
   春浅き北洋と道内へ 躍り出たも出た戦士 渡島から出稼は一三、〇七三人
  △土木建築労働者  一四二人
    二月  不定
    三月  樺太
    四月  道内 樺太
    五月  道南 カムサッカ
    六月  道内
  △鉱山労働者
    四月  道内 北千島
    五月  樺太
  △漁業労働者  一二、五二九人(男一一、五五〇人 女九七三人)
    一月  北千島(鱈)
    二月  道内 樺太 北千島(鰊・蟹)
    三月  道内 樺太 北千島(鰊・鮭・鱒・蟹)
    四月  道内 樺太 北千島 カムサッカ(鰊・鮭・鱒・蟹工船・鰮)
    五月  道内 樺太 北千島 カムサッカ(鮭・鱒・蟹工船・鰊)
    六月  道内
    七月  カムサッカ
    九月  道内(イカ)
   一〇月  道内(イカ)
   一一月  道内(イカ)
   一二月  道内 静岡(イカ)
  △農業労働者  二五七人(男一一五人・女一四二人)
    五、六、八、九、一〇月  道内
 
同じく四月二八日の函館新聞には、
 
 ○北洋カムチャッカ方面行き漁雑夫の送り込みは大半終了したが、この最後を飾る日魯漁業会社漁夫七千名は、明後卅日以降六月十六日までの間に続々函館へ集結し、同社の沖取母船にて北洋へ出発することになっている。
 ○漁夫用臨時列車延八三車の増結手配を行ふ。
 ○尚本道樺太鰊場へ送り込まれた鰊漁夫総数は、
   道内各地より 一一、六九七名
   東北より中継 一七、二三三名
この主要仕向地は
 樺太 一三、〇〇〇  増毛 四、五〇〇  余市 四、五〇〇  稚内 一、〇〇〇  其他 約七、〇〇〇