函館市/函館市地域史料アーカイブ

南茅部町史 上

第六編 漁業

第一章 郷土の漁業

第八節 出稼ぎ

江戸時代の出稼ぎ

 亀田村湯川村のように多くはないが、郷土の漁家から早春、上(かみ)場所とよばれた江差・岩内・古平・浜益・増毛地方の鰊漁場への出稼ぎする者があった記録がある。
 仮りに臼尻村嘉永人別帳と名づけたこの文書の断片は、豊崎の〓吉田覚太郎翁(明治三〇生)から寄贈された古書籍「積玉古状揃大全」の表紙から発見された。貼り合わせた和紙を剝がしてみると一連の覚書(おぼえがき)がでてきた。明治以前の村人の異動は、会所や寺院に届出る定めになっていた。これを嘉永と判じたのは、一一番目にある「丑九月十五日、〓直蔵帰参(略)頭取家より申越し候由に而(て)」とある一条である。頭取とは東出屋多五右衛門であり、その三男直蔵は天保三年(一八三二)の生まれで、〓東出家の祖父である。成年期の丑九月は、嘉永六年癸丑(一八五三)となる。直蔵は満二一歳に当たり、旅に出歩いて差支えのない年齢である。また、出向きの地名が、アブタ、イワナイ、シッツ、ヲタシツ、シマコマキ等といわゆる鰊漁場の地名であることから、この人別帳のほとんどが、鰊場出稼ぎの人別覚書(おぼえがき)であろうと判じた理由である。
 
 人別控                 (臼尻村〓吉田梅太郎文書より)
六月廿八日
一 アブタ出稼所江       当店 和□□壱人
      用事有之 立帰リ候
亥九月・日(辛亥嘉永四・一八五一)
 
一 御城下迄用事有之・立帰リ候  熊リ又五郎忰
                          菊 松 壱人
 
□□八日
一 イワナイ御場所江      熊リ御百姓
子五月迄(朱書)子九月十九日切手書替        靏 松 壱人
一 イワナイ御場所江       熊リ御百姓   米 松
子五月迄(朱書)子九月十九日切手書替  も 登
                     〆    弐人
 
子七月十九日(嘉永五壬子・一八五二)
一 西地シッチ御場所出稼帰リ   臼尻御百姓    多之助
一 西地シツチ 御場所出稼ゟ帰リ  臼尻多之助忰  松 蔵
子九月
一 江差江用事有之・・ 候・    熊リ藤七弟  岩 松 坊
丑八月三日
一 上方参リ願出          臼尻長兵衛姉  は ツ 壱人
   右者 □印参ニ而
   箱館沖口江切手ヲ・・上仕候
丑九月十五日
一 ヲタシチ江用事有之       熊リ御百姓  兼 松 壱人
一 シマコマキ江用事有之      熊リ御百姓  粂五郎 壱人
一 丑九月十五日晩一中直蔵帰参ニ而源作モ・・
  頭取家ゟ被申越候由ニ而
 
    覚
  (黒印)
一 □□村方平三郎方三男源五郎當村
  御百姓源作方江養子ニ貰請候間其人別
  御除此方御送リ御□□□成候□願出ニ付
  依而如件           臼尻
                   頭取  多五右衛門
 
癸丑(一八五三)
 
   嘉永六年              □印ニ付□□
     丑九月十五日
 
           □□家村
           御役所御家中
丑九月十七日     熊リ勘五郎妹
一 箱館江 出稼        婦(ぶ)ん 壱人
一 箱館江 出稼   熊リ治  家内
  〆             ま ん 壱人