函館市/函館市地域史料アーカイブ

南茅部町史 上

第六編 漁業

第一章 郷土の漁業

第四節 鰮・鰊漁業

鰊漁業

 上場所の鰊にくらべて沿岸の鰊は僅少であったが、茅部鰊と総称されて砂原から長万部にかけて操業された。
 尾札部臼尻沿岸は明治一〇年ごろより以後に鰊網を操業した、と飯田与五左衛門の記録にある。
 開拓使事業報告の鯡漁業の項に
 
  茅部
   砂原村ヨリ落部村ニ至ル各村ハ 弘化中ヨリ漸々小漁トナルモ 近来建網ヲ用ヒ収獲増加ス。
   又 鹿部村ヨリ尾札部村ニ至ル 各村ハ明治十年ヨリ建網ヲ用ヒテ大ニ収獲アリ。
 
と記されている。
 
     茅部郡一円鯡大漁 (函館新聞 第二一六号 明治11・5・12 日曜)
   茅部臼尻尾札部辺ハ(は)是れまで鯡(にしん)といふハ(は)チッとも取(とれ)ない処で去年可(か)ら差網位として少しづゝ取初(とれはじめ)たが当年になると此乃(の)辺恐ろしく取れそめ建網数投を用ゐ(い)大変な漁があり都(すべ)て茅部郡ハ(は)一円乃(の)大漁それに値段(ねだん)も百円だが上(のぼ)ってゐ(い)るゆえ此乃(の)辺ハ(は)都(すべ)て上景気だと知らせてきました。
 
 明治一二年の函館新聞には
     尾札部村鯡豊漁千石漁獲
   茅部郡木直尾札部川汲等の各村にてハ今年鯡漁の期節になって可ら一昨廿八日迄に鯡凡そ千石目程取上げ是迄ない多量なりと。   (第一八二号 明治12・4・30)
とある。
 
     冬ニシン漁開発 (函館新聞 第四八七号 明治14・4・14 木曜)
   茅部尾札部村近海は、是迄夏鯡のみにて冬鯡の取れざる所なりと臆測して誰も手を出さゞりしが、今度同村の小原多次郎と云へる人が、何ぞ此処のみ冬鯡の取れざる理あらんやと思惟し、去月廿八日より同村字磐ノ沢の沖へ建網一統を入れて試みに漁業に着手せし処、村民皆大いに怪(あやしみ)み嘲り笑ふものもありけるが、豈に料(はか)らん翌廿九日夜に至り、大鯡三丸と馬鹿〔鯡の二年子の方言〕を磯船一艘に一杯取上げ、三十一日も同様の漁なれば、村民は俄(にわか)に小原を傚(なら)ふて建網二、三統を入れ始めたり。本月二日の夜に至り、小原ハ鯡三百  五十丸程、他は二百丸或ひハ三百丸乃大漁ありたり。之を見る村民一同、小原の意見違ハ(たがは)ざりしを感じ、是ゟ(より)我も人もと相競ふて網を投ずるに至り、昨今着手最中のよし。且つ今より夏鯡の期までは未だ時日も長ければ、定めて相応の収獲もあるべしといふ。実に同村近海にて冬鯡の漁を試みて、村民に圖(はか)らざる福利を与へし小原氏ハ、即ち冬鯡の祖宗なりとて、初め其所業を笑ひしものも今ハ深く恥入りて居るといふ。