函館市/函館市地域史料アーカイブ

南茅部町史 上

第六編 漁業

第一章 郷土の漁業

第三節 定置漁業

臼尻村網方境界争い

 名主を筆頭に村網方により訴えられた相手方となった幸吉は大いに迷惑とばかりに、身の証をたてるため、自身の建網の始めよりその顚末について綿々と認めて恐れながらと奉行所に願い出た。万延二年(一八六一)二月のことである。
 
    乍恐以書附奉願上候
   私網取建之義ハ天保十三寅年 私領御掛役松山斧右衛門様ゟ被仰付其砌者茅部村ゟ椴法花村ニテ廣場ノ處於今秋味場一ヶ所モ無之ニ付取開被仰付御開成ノ御趣意且後年之利益等迄厚ク御諭ニ預候得共素ヨリ不案内之者共ニ御座候得者御開候モノモ無御座候内尚種々御利解ニテ私ニ試ミノ為メ取開可致旨被仰付候ニ付當網場弁天嶋沖之島東岸ヘ取開漁業仕候處諸事不案内之事故思敷漁事モ無之諸入費不少年々莫大之損金ニ相成候得者引續方難斗當惑仕候乍併格別之御趣意ニ御座候間相續ク迄ト心得膽精励シ漁業仕候處年増網立方場所柄モ段々心得少ハ漁事ニモ相成此分ニテハ引續テ可相成被存候間精々骨折罷在候其後久右衛門 頭取勤中ニ至リ漸々網場取開之事トモ有之候ニ付場所割渡ニ相成其節初テ村網場相撰字シロイハト申所相定メ私方ヘハ是迄之場所御渡ニ相成其外夫々御引渡ニ相成候間一同難有漁業仕在候然ル處此度頭取家ゟ不□之御□ニ相成実ニ驚キ入當惑仕候尤名前村網ト御座候得ハ利非申上候迄モ無御座候得トモ前文奉申上候通不少入金ニテ漸々近年場所案内ニモ相成漁事等可也ニ相成候故年来膽精之甲斐モ相見得難有渡世罷在候処今更年□被仰付候テハ是迄之膽精ハ兎ニ角右場所ニテ世過罷在候事ニ御座候得者向後隔年之世過方及難澁候段歎敷奉存候尤年□之村網ハ御引渡ニ可相成候得共是又新規同様ニテ他村ヘ引移建網候モ同様甚々迷惑仕候間可相成御義ニ御座候ハヽ是迄之通被成下度奉願上候私義モ旧来當村々人共過半介抱罷在候處廿四人内稼方用立候者三人ヨリ無之候得者是又難澁ニ相及困究仕候間御百姓難澁 有之候ハヽ私江相應之出金被仰付候其又ハ積□□仰付候共其他何成共御差圖次第可仕候間幾重ニモ渡世之義ニ御座候間是迄ノ通被成下段□頭取家ヘ歎願仕候得共何分御聞済無御座出町之上御沙汰次第可致様 申一切御取上ケ無之候間御手数之段重々奉恐入候得共無據奉申上候何卒格別之御憐愍ヲ以願之通被仰付被成下候 度乍恐此段奉願上候以上
           臼尻
   萬延二年二月     幸   吉
    御奉行所
 
 證文取替
 為取替證文之事
一 臼尻村秋味村網之義者是迄 字ムシャシリ二ツ岩ト申處江 去ル申年迄
三ヶ年相建候得共 浪高ニ而 年々
不漁仕 網痛損 村方難澁仕候ニ付 同村百姓幸吉先
年より建網場所ニ罷立候弁天嶋ニ建居候處 年替リ
ニ被成下度旨 幸吉方江願出候得共 幸吉被申聞候ニは
右格年ニ相成候而は 秋味而己ニ不抱 鰯漁業之差
支ニも相成 難澁至極ニ存候間 右年替ニ無之是迄
之建場ニ被成下度 尤 村方難澁之義ニ候ハヽ 積石幷
米金ニ而もの用之分 用立可仕被申聞候 得者聞済
茂無之 唯 年替リ而年 申暮候故迚茂 相對
ニ而は 熟談難相成ニ付 同村百姓代年寄 逸々聞
糺之上 扱人鷲木村平吉殿 尾白内村久吉殿
尾札部村文蔵殿 宿市五郎殿壱人 元村網建
場二ツ岩より東之方江弐百間程有之候 字チサンケ
川境目トいたし尤 右之處格別浪高ニも無之
漁業勝手宜所ト存右江仲沢仕候所 早速 熟
談ニ相成 双方聊申分無之内済仕候 然ル上 向後
混雜ヶ間敷義毛頭無御座候 依て一同連印
熟談證文為取替仕り候 如件
        臼尻
         網方惣代
             傳太郎  ㊞
         同百姓代
             政 吉  ㊞
萬延二年     同年 寄
 酉二月        藤右衛門  ㊞
         同名 主
            多五右衛門 ㊞
         扱人
          鷲木村名主
             平 吉  ㊞
         同尾白内村年寄
             久 吉  ㊞
         同尾札部名主
             文 蔵  ㊞
         同 宿
             市五郎  ㊞
  臼尻
     幸 吉 殿

幸吉にあてた万延2年2月「為取替證文元受」

 
     乍恐以書付奉申上候
一 臼尻村建網場一件ニ付 村内百姓共 同村幸吉相手
 取 御治訴可申上ト存候処 御掛様ニテ双方ヘ厚ク
 御利解被成下候ニ付 宿市五郎幷鷲ノ木名主
 平吉其外之者共扱人ニ立入 別紙絵図面之通
 取□メ 双方無申分 熟談内済仕 以来建網場所之
 義ニ付 願ヶ間敷義等 毛頭不仕 依之為取替一札ノ
 写幷絵図面相  此段連印書付奉申上候以上
         臼尻
         網方惣代
              傳 太 郎  ㊞
万延二酉年    同 相手
  三月          幸   吉  ㊞
         同 百姓代
              政   吉  ㊞
         同 年 寄
              藤右衛門   ㊞
         同 名 主
              多五右衛門  ㊞
         扱人
         尾札部名主
              文   蔵  ㊞
         同六ヶ場宿
              市 五 郎  ㊞
         同尾白内村
           年 寄
              久   吉  ㊞
         同鷲ノ木村
           名 主
              平   吉  ㊞
地 方
 御掛中様

御掛中様にあてた書付

 
   為取替申一札之事
一 臼尻村秋味網建網之義者是迄字ムシャシリ
 二ツ岩ト申處江三ヶ年程相建候得共 年々不漁之上
 網痛損 村方之もの難澁ニ付 弁天島建場ト格年ニ
 致呉ル様 網方之もの共頼入候得共 不承知之趣
 無據 箱館表に罷出 當御掛様まて 奉御治訴候
 處 格別之御利解を以 一旦扱可致旨被御渡
 各方之仲沢を以 是迄村網建場 二ツ岩より東
 之方 弐百間程隔り 字チイサンケ川境ト取極メ
 熟談いたし候 上ハ 向後建網場處之義ニ付
 違論致間敷 為後證 絵図面相添 為取替せ
 置申一札 仍而如件
              臼尻
 萬延二年          網方惣代
                  傳太郎   ㊞
  酉三月
               百姓代
                  政 吉   ㊞
 
               年 寄
                  藤右衛門  ㊞
               名主
                  多五右衛門 ㊞
 
臼尻
   幸 吉 殿
扱人
鷲ノ木村
 名主
   平 吉 殿
同尾白内村
 年寄
   久 吉 殿
尾札部
 名主
   文 蔵 殿
同六ヶ場所宿
   市五郎 殿

御掛中様にあてた書付け

 
 その後も村網方は満足せず、幾許(いくばく)もない慶応元年(一八六五)、再三の紛議となったが、臼尻会所役人は村方三役(名主・年寄・百姓代)らの立会のなかで現状の理非を糺(ただ)して争いを和解させた。今後網立場のことで彼是(かれこれ)申し出る者は村払い(村外追放)にするという厳しい申し渡しの書付がある。
 
  村役人立合    網主
           臼尻  幸 吉
 一 立網場所 秋味鮪漁
    嶋ノ崎ヨリ海面沖
    チサンケ川迄ノ間
 右之通百姓中熟談之上
 取定申候 己来立場所
 一条ニ付彼是ト申者於有
 之は急度村払可申付那り
  慶應元丑八月 臼 尻 会 所

村役人立合