函館市/函館市地域史料アーカイブ

南茅部町史 上

第三編 郷土への渡海

第一章 蝦夷地

第三節 幕府直轄以後

文化・文政以後の収納

 町内で畳製造業を営む川汲の寺西好一(明治四三年生)が「昭和三五年(一九六〇)頃、尾札部の〓野村家の畳を製造中、古畳の床から発見した。」と埃にまみれやぶれた紙片を届けてくれた。厚い表紙には「弘化五年 御収納取立帳」と太字で書いてある。

御収納取立帳 弘化5年


御収納取立帳 弘化5年


御収納取立帳 弘化5年

 畳のほこりに染まり、太い縫い針で一寸刻みのように穴だらけの古い和紙を一枚、一枚整理してみた。判読できるものを拾い読みしていくと、
 
  弘化四未年(一八四七)家数
   椴法花   廿軒
   木直し   九軒
   尾札部   十五軒
   川汲    廿二軒
            (計 六六軒)
  嘉永二酉年(一八四九)鱈歩役
   尾札部
     入稼 拾九人
   木直し  拾三艘
   古部   廿七艘
     年
   椴法花  弐拾軒
   木直し   拾軒
   尾札部  十五軒
   川汲   二十壱軒
  文久三年
   ヲサツヘ 鱈釣船
        十五艘半
        入稼 百七拾壱人
御収納 金七拾八両五百三拾〆四百文
      外ニ 四〆四百六拾八文
 
 当時すでにヲサツベには村網があり、夏役とある。古部にも村網があった。飯田屋与五左衛門は鰤網漁をやり鰤網役を納めている。
 また、オサツヘ 土人役 拾〆弐百文と記している。