函館市/函館市地域史料アーカイブ

南茅部町史 上

第三編 郷土への渡海

第一章 蝦夷地

第三節 幕府直轄以後

文化・文政以後の収納

 箱館御収納廉分帳は市立函館図書館所蔵のもので、函館市史第一巻に所載されている。
 これは幕府直轄時代から安政元甲寅年(一八五四)当時に至る箱館における税制の沿革の記録である。
 郷土に関係のあるところを抜萃して、化政期の税制の資料とする。
 
四半敷
 箱館ならびに在々六箇場所は、一軒三〇〇文を毎年一〇月から一一月中に、村役人に納めることとなっていた。
 六箇場所村割歩割金は、村により分納の時期を定めた。
 六箇場所歩割金合計 九四五両二分
    長崎俵物運上代り金
     煎海鼠 一斤につき  一分四厘六毛二五
     昆布  一石につき  一匁三分七厘一毛
     小安  七〇両  八月納七分 一一月納三分
       村割六〇両
        (文政五年引継文政六年一一月願出て減額となる)
        (天保元年(一八三〇)不漁続き四一両一分に減)
     戸井  四五両  八月納八分 一一月納二分
       村割三〇両(二五両)
     尻岸内 一〇五両 四月納一分 八月納九分
          (四一両)=鱈釣 ※
       村割五五両
     尾札部 一五〇両 四月納一分 八月納九分
          (七八両)
       村割三五両
       夷人歩役 一二両二分 (文化六年疱疹流行夷人七、八分死失)
                  (文化七年八両のち五両となる)
       新鱈冥加 六〇両
      ※鱈釣一艘二人乗 五束 二千文
           三人乗 七束 二八〇〇文
             (銭納のときは一束四〇〇文として)
     臼尻  一四〇両二分 四月納一分 八月納九分
          (七五両)
       村割二五両
       夷人歩役 一二両二分
       新鱈冥加 六〇両
     鹿部  四〇両  四月納一分 八月納九分
       村割二八両二分
       近年貧窮 村割金一切納めていない。
       このため村割手伝金として尾札部より四両二分、臼尻より三両二分、都合八両を手伝い納めていた。
     砂原・鷲ノ木 三五五両 四月納一分 六月納七分 一一月納二分
       昨丑年(四二両三分二朱銭三五〇文)
       出荷物より五分の役を取立てるので村割なし。
       新鱈冥加 二〇両
       鱈釣舟
     野田追 四〇両  六月納三分 八月納七分
       村割三二両二分
       昨丑年(七両二朱銭二四文)
       文化一四年より出荷物より五分役取立て村割なし。
昆布後は、船の大きさにより取立額が定められていた。
浜役は、四駄で、汐首より臼尻領磯谷まで一駄、一五〇文と定められていた。
    箱館から小安のものは一駄 一〇〇文
    鹿部は一駄 一二〇文
    砂原から野田追一駄 八〇文
菓子昆布  一駄 銭納のとき一駄 八一二文
御上り昆布 一駄  〃      五二〇文
 
家役(本役)箱館とその近郷近村、すべて一軒一三駄半をおさめ、これを本役といった。このときの一駄は、八〇文で銭納することもあり、九月中に納めた。
難破船があって昆布積荷を損ねたときは、その都度、村々より役方へ貢納につき免除の願出がなされていた。
判銭 小安から鹿部迄入稼の家一軒一〇一文ずつ取り立てた。
   村役人(名主、頭取、小頭)は判銭を免除された。
昆布採り船には船役銭  図合船は 一〆二〇〇文
            三半船は   九〇〇文
            持夫(もちつぷ)は    六〇〇文
 七月初旬、漁事改めの者が六箇場所の村々を廻村してその年の納め役をとりきめ、九月中には現物を持参して納めることとしていた。
 もし船送り中悪天候のため「ふけ昆布」となり、現物を納めることができなくなったときは、時の相庭(相場)の五割増で代銭(銭納)させた。
 荷物積取船役
 穀役
 六箇場所新鱈積船は、地元船(地船)他国からの入稼船(他船)に限らずその年の初航海のとき「蝦夷地船役」として穀役を取り立られた。
 蝦夷地穀役は、昆布積や秋味鮭など眞䑺願済の如何を問わず、すべて初船役として取り立てた。
 松前箱館の地元船が積取船に雇われて六箇場所の荷を船積するときは、「小廻(こまわ)し」とよんで初船役は納めることなく、判銭一〇一文を納めた。
 切手判銭
 松前箱館の者が六箇場所へ鯡、昆布漁に出稼ぎのため旅するときは、旅行中の身分証明書としての切手を下附願をし、判銭ひとり一〇一文
 鰮引筒船役
 箱館市中の者や在々六箇場所の者が、近場所に鰮引網の漁業を経営するものは、筒船一艘二五、六人から三〇人位まで
 筒船役 一艘 一貫九二〇文であった。
 稼方役 大網 一放(はなし) 漁夫二〇人役
     小網 一放      一一人役で
     漁夫一人の役とは一〇一文として
 場所へ出帆の折、帆改(ほあらため)のとき漁夫の人数と切手(身分証明書)を照合して、税を納めてから出帆させた。
 出油役
 蝦夷地では油はとくに貴重なものであったので、油の出入りは厳しく、その流通についても高い税がかけられていた。四斗入一二挺一両と定められ、地元産出の油は地油といって三割五分を免除していたが、天保六年(一八三五)から三割の免除に改められた。
 六箇場所は御用捨。
 造船のための船材、住家建築のための家材(やざい)として、六箇場所のうち山林の払下げを願出たときは、山元見分改(やまもとけんぶんあらため)をうけて伐出し、役銭のほかその用材の伐材量に応じて苗木代をおさめた。苗木を植付けることを義務づけられていた。植付にはその見分をうけなければならなかった。
 苗木一本につき二〇文として、苗木代の銭納もみとめられていた。
 伐材一石につき、苗木一本ときめていて、苗木は松・杉・椴(とど)・センの類と記されている。