函館市/函館市地域史料アーカイブ

南茅部町史 上

第三編 郷土への渡海

第一章 蝦夷地

第三節 幕府直轄以後

箱館在六箇場所

     箱館
   箱館ハ以前松前家領ニテ東蝦夷地へ至ル喉首ナリ。万事ノ運送此所ヨリ仕出ス故大舩タユル間ナシ。舟掛リノ澗至テヨク如何ナル大風雨ニテモ難破船ノ憂ヒナキユヘ諸国ノ商船多クハ此所ニテ順風ヲ待テ開帆ナス。市中商買七百軒餘アリテ至テ繁昌ノ港口ナリ。此所ノ人物奢侈ヲ好ミ生活ニウトク生質惰弱ナリ。然レ共諸国ヨリ商船出入シ諸国ノ産物㘴カラニシテ是ヲ得又蝦夷地産物等ヲ以テ諸国ハ鬻ヤ金銀ノ徳多キ故ニ人心自然ト奢ルモノトナルハ人精ノナラハセニヨル。故ニ此所ニテ生立タルモノハ金銀自由ナルニマカセ微ノ利ヲハ事トセス唯遊興歓楽ニノミ身ヲ持ナス。故ニ冨商トナル者寡ナシ。他国ヨリ来リテ生活ヲナスモノハ財ノ得難キヲ知リテ他国ニ用ユル力ヲ以テ此所ニ用ユル。故卒ニハ冨商トナリテ身ヲ安クナスハ時勢ノシカラシムル所ナリ。
   此所ノモノ他国ヨリ来リテ稼業ヲナスモノ多シト雖モ多クハ近江能登越後越前加賀南部大抵ハ此国々ヨリ来ルト云。此所ニテ生立ノ百姓等ハコレナリト云。
   此所都テ魚漁ヲ重シトス。十二月ヨリ正月マテハ寒鱈トテ鱈漁ヲナス。此鱈漁ハ鬻クニ其利分多クシテ稼業ニ至テヨシト云フ。春彼岸ヨリ春土用マテハ鯡漁ヲ専ラトシ夏土用入ヨリ八月マテハ昆布ヲ取ル。此所昆布至テ多ク其上志野利ト云ル所ヨリ産スル昆布ハ極メテ上品ニシテ外場所ニ比類ナシ。故ニ献上昆布トナリテ其餘ハ皆長崎へ渡シテ外国ノ交易トナルト云。此故ニ志野利昆布ニ限リテ市中商賈ノ輩ニ買賣ヲ免サス。九月ヨリ秋味トテ鮭漁ヲナス。大凡十一月マテニハ終ルト云。此所ノ稼ハ昆布ヲ以テ第一トス。松前江指ナントヨリ多ク稼ニ来ルニ妻子ヲ相具シ船ニ乗り家財ヲ取収メ自分ノ住家ハ他人ニ貸シ渡シ昆布取リ終ルマテハ此所ニ住居ス。故ニ此時節ニ至レハ甚賑フフナリト云。
 
   蝦夷地風土
ヤムクシナイ 「ヤム」ハ栗ナリ。「クシ」ハ行事ナリ。「ナイ」ハ沢ナリ。按スルニ此所栗多ク生シテ夷人常ニ栗ヲ取リニ行事アリ。故ニ号セシナラン。
 松前ヨリ行程凡ソ三十八里餘。此辺ノ惣名ヲ「ユーラッフ」ト云。以前松前家臣青山園右衛門給地運上金七十両寛政十二庚申年正月ヨリ御用地トナル。
 夷人稼業男子ハ春鯡漁カスベ稚茸昆布鱒。九月ヨリ川々ニテ鮭漁ヲナス。女子ハアツシ、キナ等ヲ織テ自用トス。農事ヲナシ或ハ水薪ヲ取其業終レハ漁業ノ助ケモナス。
 近山ニ畑作リ粟稗蕎麦大根等夷人仕付ヲナス。然レ共大抵ハ女子ノ業トス。
 此所海岸掛リ澗ナク船出入ノ時ハ早ク荷揚荷積ヲナシテ会所ヨリ十七八丁程上ノ方沼尻ト云所マテ至テ順風ヲ待ツ。卯午未ノ風ヲ以テ入津ト定メ酉子丑ノ風ヲ以テ出帆ト定ム。
オシヤマンヘ 「オ」トハテニ葉ノ如クニシテ義理ナシ。「シヤマンへ」ハ鰈ナリ。此所ノ山二雪フリテ春ヨリ夏二至リテ雪ノ消残リシ形チ鰈ニ似タリ。故ニ名付シトイフ。
 會所ヨリ卯ノ方ハ「エトモ」巳午ノ方ハ砂原丑寅ノ方ハ「ウス」「アブタ」子ノ方へ少し寄リテ「シリベツノホリ」日本ノ冨士山ニ似テ絶景ナリ。
 此所ノ風土春夏季候ヨク秋冬寒強シ。夷人四季トモ此所ニ住居ス。
   百石以上ノ大船ハ出入トモ沼尻「エサシ」ノ両所ニ至テ順風ヲマツ。百石以下ノ小舟ハ野田追落部川ニ入テ順風ヲマツ。
   此所ヨリ膃肭臍ヲ産ス。「カヤベ」ヨリ「ヱトモ」マテノ曲海ニテ秋九月中ヨリ夏四月マテ漁業ヲナス。四月ニ至リテチカトイヘル魚或ハ「キナホ」トイヘル魚ヲ捕フレハ夷人漁業ヲ止ムト云。此所膃肭臍ノ外ハ漁業ナシ。「ヲシヤマンベ」ヨリ「アブタ」マテ新開ノ山道至テ嶮岨ニシテ日本人通路難シ。