函館市/函館市地域史料アーカイブ

南茅部町史 上

第三編 郷土への渡海

第一章 蝦夷地

第二節 史書に記された郷土(その一)

蝦夷商賈聞書

 遠い昔、蝦夷地であった南茅部町は、六箇場所のヲサツベ場所といわれ、恵山岬から鹿部の松屋岬までを総称していたといわれる。元和二年(一六一六年)、松前藩主慶廣公に仕えた新井田広貞三男・知貞の知行地として与えられ、以来、寛政年間末(一八〇〇)幕府直轄地となるまで、永い間ヲサツベは新井田知貞系の知行地であった。
 知貞は新井田家三家の祖広貞家より分家、一家を起こして二系の祖となった人で、母は藩主季廣公の十三女である。その子寿知は執事として仕え、次の知吉は側頭役を勤めた。元文年間家督を継いだ金右衛門信寿は側用人として仕えた。その息孫三郎正寿は勘定奉行を勤め、寛政元年五月、国後(くなしり)の蝦夷騒擾のとき、責任者として現地に派遣され、その処理に当たった。この時の顚末を記したクナシリ・メナシ騒擾一件取調日記は、北海道史の文献資料としても有名である。
 その子保寿は箱館奉行や用人、中老を勤めるなど、代々松前藩の要職にあった人物を輩出した家系である。
 永田富智(元松前町教育委員会文化財課長)より提供うけた新井田家系図ならびに松前町史編集室史料「新井田家譜」(別表)がある。