函館市/函館市地域史料アーカイブ

南茅部町史 上

第三編 郷土への渡海

第一章 蝦夷地

第一節 蝦夷地

郷土の開基

 臼尻村の開基は、享保三年(一七一八)、東出屋多五右衛門であるというのが定説であるが、異説もある。
 その出典、取材はわからないが、明治一五年一月一六日から函館新聞に連載された「建使以前茅部郡各村の景況」に、元文元年(一七三六)、箱館の人山口小伝治が臼尻にはじめて入稼ぎをした。ついで宝暦三年(一七五三)相木屋久右衛門と名字不詳宗右衛門が来住したとしていて、多五右衛門の名がない。
 函館新聞、明治一五年一月一六日第六二二号の「建使以前茅部郡各村の景況」によれば、
 
  明暦元年(一六五五) 能登の人飯田与五左衛門がはじめて尾札部に移住して鰯の引網漁をし、鱈釣り昆布採りをした。
  享保一二年(一七二七) 尾札部の与五左衛門は南部津軽から和人七、八戸を招いて漁業を営んだ。
  明和三年(一七六六) 尾札部の戸数繁殖して十余戸となり尾札部の文字を用いた。
  この頃、川汲にも永住者がふえた。
  文政元年(一八一八) 木直ピリカ浜に戸数繁殖して十余戸となる。文政九年(一八二六) 古部に永住者が増殖。
 同じく一月一八日六二三号に
  元文元年(一七三六) 箱館の人山口小伝治が臼尻にはじめて入稼ぎをして昆布刈、鱈釣りをした。
  宝暦三年(一七五三) 臼尻入稼ぎのうち相木屋久右衛門と宗右衛門の両人が臼尻に移住して、鯡引網、鮭差網などをもおこなった。
  この頃、江差から熊昆布刈に入稼ぎする者が多くなった。
  安永年間(一七七二) 年々移住者が増加した。
  天明四年(一七八四) 江差の人高田彦右衛門が熊にはじめて移住して昆布刈や鱈釣りをした。
  文化一四年(一八一七) 臼尻尾札部村より分かれて臼尻村並となった。
  文政三年(一八二〇)七月 熊臼尻の支村となった。
  文政七年(一八二四) 板木、所呂、蹴勝浜が臼尻の支郷となった。
  明治六年三月 熊臼尻村より分割して熊村とした。
  明治一二年二月 所呂、蹴勝浜を熊村に属した。
 と、函館新聞の「建使以前」の記事は、明治の初期のものとして一つの資料を提示している。