函館市/函館市地域史料アーカイブ

南茅部町史 上

第二編 先史

第一章 先史時代

第三節 繩文時代

 今から六千年ぐらい前から登場する円筒土器文化では、東北北部三県と渡島半島全域にわたって広く分布し、安定した経済によりその伝統は長く繩文時代中期にまで及んでいる。
 北海道における円筒土器文化のタイプサイトとして、函館市桔梗町のサイベ沢遺跡が有名であり、過去数回の発掘調査により、繩文時代前期から中期への七層にわたる文化層が確認されている。

第3図 遺跡分布図(繩文時代早期)


第4図 繩文時代早期の遺物


第5図 繩文時代早期の遺物

 一方、東北地方においては古くからこの種の土器型式による編年が確立されており、北海道における土器編年も、それに対比して大きく矛盾するものではないことがよく知られている。
 渡島半島におけるこの時期の最も古い土器群として「椴川式土器」が知られており、南茅部町では八木遺跡がこれにあたる。また、椴川式土器に後続して、サイベ沢Ⅱ式、Ⅲ式土器があり、南茅部町ではハマナス野遺跡がその代表例として全国的に知られている。
 さて、この前期は後氷期に突入以来続いている「繩文海進」の時期にあたり、そのため気温は現在よりも年平均で一度から二度高かったと言われている。
 当然の事ながら、海進により汀線は現在よりも数メートル高い位置にあり、気候の温暖化により植物の生育は活発化し、狩猟・採集経済は頂点を極め、非常に安定したものとなる。
 そのため一方では原始的な農耕の存在が考えられ、ハマナス野遺跡においてはフローテーションにより炭化したイネ科、タデ科、ウルシ科の植物種子が数多く発見され、その存在を裏づけている(GARY・1979)°
 また、狩猟も活発であったらしく、トド、アシカ、エゾシカをはじめ未同定の魚骨が数多く発見されているものである。
 このように安定した経済のもとで、当然のことながら人口は爆発的に急増し、それに伴い個々の竪穴式住居は大形化し集落も膨張する。
 竪穴式住居の変遷は、椴川式土器期においては直経二ないし四メートル程度の小型のものであり、柱穴の配置構造は一本、二本、四本の三種類が確認されている。
 サイベ沢Ⅱ式土器期においては、直径六ないし八メートルの真円を呈し、柱穴の配置は四本を基調とし、まれに六本も存在する。
 この時期には特異な例として二段の床構造を持つ住居が知られており、現在までに二つのタイプが確認されている。
 一つは真円の内部を五角形に掘り込んだものであり、柱穴は四本配置である。他は真円の内部を六角形に掘り込み、柱穴はベンチ状段構造の六角形の各頂点付近に六本配置される(小笠原・一九八二)。
 これらの住居は後出するベンチ状段構造を有するいわゆる「日の浜型住居」の祖形と考えられ、その構造から北方民族に共通した住居構造ともいわれている。
 また、この時期の全住居に共通して炉址の形態が地床炉、方形掘込炉、円型連結状掘込炉の三種類が存在する。
 サイベ沢Ⅲ式土器期の住居はバラエティに富んでいるが、基本的には二段階の変遷を辿ることができる。
 サイベ沢Ⅱ式土器期において出現したベンチ状段構造を有する住居が発達し、外プラン、内プランともに、楕円型を呈する住居となる。
 すなわち、ベンチ状段構造が外プランにそって全周するタイプとなり、次のステージにおいては、そのベンチ状段構造が一部途切れる形態をとる。そして、最終的にはこのベンチ状段構造は、痕跡として隅に残るか、もしくは全く消滅してしまうものとなる。
 さて、これら住居の柱穴配置は、三本二列の六本を基本とするが、まれに、二本二列の四本も存在する。

第6図 遺跡分布図(繩文時代前期)


繩文時代前期の集落


第7図 繩文時代前期の住居跡


第8図 繩文時代前期の土器


第9図 繩文時代前期の土器


第10図 繩文時代前期の土器

 また、炉址の形態は、前ステージに見られた通り、三種類のものが継続して存在するが、円形連結状掘込炉は、発達して一部が作業用ピットとしての、いわゆる「中央ピット」となるものである。
 しかしながら、これらの炉址は、同一住居の中において、異なった形態のものが新旧の炉として存在していることから、当時の婚姻形態のあり方を解明する恰好の資料として注目されている。
 さらに、この時期の墳墓として「廃屋墓」が知られている。
 これまでに、この時期の墳墓は発見されず、その全容はわからなかったが、ハマナス野遺跡において、廃屋の覆土の中に掘り込まれている多数の土壙墓が発見されたことにより、この時期の墳墓の形態は廃屋墓であったことが確認された。
 この廃屋墓は関東以北の地域に断片的に見られるものであり、北海道において確認されたのははじめてのことである。
 ハマナス野遺跡においては、竪穴住居の覆土がX2層と呼ばれる二次使用面があり、その堆積は複雑である為廃屋墓を調査することは非常に困難を極める。
 第一六図に見られるように、廃屋墓の形態は長楕円形を基調とし、副葬品のあり方にもバラエティがある。
 被葬者が男性と考えられる墳墓の副葬品は、主に石鏃、ナイフ、石槍、石斧、まれに垂飾が発見されるが、これにはサメの歯が伴うものであり、被葬者が勇敢なハンターであったと推定され、このような場合には、石鏃の本数は他の墳墓にくらべ多いものである。
 また、女性の墳墓と考えられるものには、小砂利や倒立土器が副葬されることが多く、これら墳墓には共通して、ベニガラが散布されるものである。

第11図 繩文時代前期の剝片石器


第12図 繩文時代前期の礫石器


第13図 繩文時代前期の擦り切り土器片板


第14図 繩文時代前期の石製品


第15図 繩文時代前期の石製品


第16図 繩文時代前期の墳墓と副葬品


第17図 繩文時代前期の墳墓に副葬される剝片石器


第18図 繩文時代前期の集石帯

 これら廃屋墓は、集石帯と呼ばれる集落をとりまく帯状の礫群の下部に存在することが多く、儀式のあとと考えられるこれら集石帯は、廃屋墓との関係の中で送葬儀礼が行われたことが推定される。
 また、これら集石帯には、特種な土器が伴うことが知られている。この土器は、概ね長楕円形であり、浅いものは船形を呈し、文様はほとんどが共通しており、口唇もしくは口縁部に撚糸圧痕による半月形文様、また、胴部には綾絡文が一定間隔で縦に施文される。
 この特種な文様は、半月形は月を、綾絡文は蛇行する蛇と考えられ、汎世界的に分布する月神と蛇の神話に共通するものであり、このことから、送葬儀礼のみでなく、収穫儀礼も合わせ持った儀礼が存在していたことが想像されるものである。
 繩文時代前期の遺物の中で、特種なものとして石剣・石刀・岩偶が知られている。
 石刀・石剣はハマナス野遺跡においては、床面から出土した確かなものとして、我国で最古のものであり、後出する繩文時代晩期のものとは形態が幾分異なるものであるが、内反りを呈する形態は変わらないものである。
 一方、岩偶は三角形の薄板状のものであり、中央に深く刻まれた溝から、明らかに女性を象徴する物であり、ハマナス野遺跡においては、土偶が出土していないことから、円筒土器文化圏において、双方いずれかを主体とした文化が対峙していたことがうかがわれる。
 また、特異な遺物として「擦り切り土器片板」が知られている(第一三図)。
 これは、土器を石鋸により擦り切るものであり、その目的は有孔土製円盤を製作するために擦り切った事が明らかとされ、サイベ沢Ⅱ式土器の段階において出現することが解明された。

第19図 ハマナス野遺跡の集落構造図

 さて、繩文時代前期の竪穴住居床面上に分布する遺物のあり方から、遺物を性的機能に置き換えて考えたとき、竪穴住居の性的空間分割が存在していたことが明らかとなった。
 これは、竪穴住居内部において、外縁と内縁がそれぞれ男女によって二分され、外縁と内縁では、その占有位置が逆転する形態をとるものである(第二〇図)。
 この空間分割は、明らかに男性空間が広がっていることから、当時の組織社会において、女性は早い時期に家を出、代わって成長した男子の空間が広がるものと理解できる(小笠原、松岡・一九八一)。