函館市/函館市地域史料アーカイブ

南茅部町史 上

第一編 郷土の自然

第一章 位置

第二節 地質

 「渡島半島は、いわゆる古生層を堆積した後、その上に直接新第三紀層をのせており」(橋本亘・二〇万分の一北海道地質図)、その間、渡島半島は陸地であったと思われる。「古生代から白亜紀最前期(一億三五〇〇万年前から一億一一〇〇万年前まで)から、古第三紀末期―新第三紀初期(二五〇〇万年前―一九〇〇万年前)までは陸地であり、新第三紀中新世前期(一九〇〇万年前)から新第三紀中新世末期(六〇〇万年前)までは、渡島半島の大部分は海面下にあった(湊正雄・目でみる日本列島のおいたち)とされている(第2、3、4図)、その頃の渡島半島の陸地の様子はどんな風だったのだろうか。

第2図 白亜紀前期の前半の北海道古地理(湊正雄監修「目で見る日本列島のおいたち」による)
網目の部分は海をあらわす。

 今から六五〇〇万年前から四五〇〇万年前の古第三紀、始新世前期の頃の渡島半島は、東北地方の青森県、岩手県にのびる、北西―南東方向の長大な褶曲山脈が走っており、南茅部町もその山脈の一部であったと思われる。また、この頃は日本列島全体が熱帯、亜熱帯の暑くて湿気の多い気候であったから森林もよく繁茂し、南茅部町も同様であったとされる。「夕張山地西麓にあった三菱美唄炭山からはヤシの化石(サバルヤシ、クマデヤシ)が発見されていて、この化石を産出する地層は今から五〇〇〇万年―四〇〇〇万年前の古第三紀に属し、この化石にもっとも近いヤシ類は、熱帯アフリカの海岸に現生しているサバルヤシといわれるので、その当時の美唄を中心とした北海道は今のアフリカ熱帯雨林気候のような状態であったと思われる。同様なことは石狩炭田の地層からも知られており、その石炭層中からバショウやバナナヤシの化石が見出されている。石狩炭田の地層は今から五〇〇〇万年前の古第三紀の地層であって、当時の北海道がこれら植物の繁茂する、緑したたる熱帯、亜熱帯の森林地帯であった」(棚井敏雄・日本列島のおいたち)と推定されている。

第3図 古第三紀・漸新世の北海道古地理(湊正雄監修「目で見る日本列島のおいたち」による)


第4図 古第三紀末期~新第三紀初期の北海道古地理(湊正雄監修「目で見る日本列島のおいたち」による)

 このような気候は日本ばかりでなく、地球全体がこのような気候であったらしい。
 渡島半島から東北地方北部にのびていたこの大褶曲山脈も次第に風雪にさらされ、侵食作用をうけて低くなり、三六〇〇万年前から二五〇〇万年前の古第三紀・漸新世の頃には、古い褶曲山脈に変っていた(第三図)。そして古第三紀末には地殻変動が生じ、大きな割目が出来、火山が活動し、激しい沈降に伴って海が陸地に進入してくるようになった。その結果、渡島半島の一部は海底下に没することになった。「南茅部町全域は今から二五〇〇万年前から一九〇〇万年前の古第三紀末から新第三紀の初め頃には海底下にあった」(湊正雄監修・目で見る日本列島のおいたち)と考えられる(第4図)。しかし、南茅部町が海底下にあって、その当時の海成層を堆積したのは「第三紀の中新世の時代に入ってからである」という考えもある(五万分の一地質図幅・東海、尾札部)。