函館市/函館市地域史料アーカイブ

椴法華村史

第十二編 災害

第三章 海難事故

第一節 江戸時代の海難事故

一 江戸時代の海難

 『新撰北海道史第五巻』によれば享和三年(一八〇三)十一月、南部領牛滝村百姓源右衛門持船慶祥丸五百八十二石積、十四人乗組臼尻塩鱈三万餘積入、享和三年十一月八日臼尻村を出帆し魯西亜国へ漂流と記されているが、内容を深めるためもう少し資料に基づいて詳細を記してみることにする。
 
  南部領牛瀧村船方之者共 魯西亜國江漂流上申書
   箱立辨天町濱屋次郎兵衛同所大町辰巳屋七郎兵衛方ヨリ江戸鐵炮洲栖原屋久次郎四日市鎌倉屋庄兵衛方へ相送候箱館臼尻村御産物積請候ニテ去享和三亥年九月南部領脇之澤村出帆同月下旬箱立ヘ入津仕船御改ヲ請右荷主共ヨリノ上乗源次郎乗組同十月同所出帆臼尻村ヘ着岸同所ニ於テ塩鱈三万千百三十本積入右ノ内三分一御買上ニ相成候由箱館ヨリノ御送状辰巳屋七郎兵衛代庄兵衛ト申者ヨリ請取右源次郎共都合十四人乗組同年十一月八日朝戍亥風ニテ臼尻村出帆致候所同日夜ニ入南部領尻谷村沖合ニテ大荒致高波船櫓ヲ打越船中ヘ泡水相増船危ク相成候ニ付荷物凡五六十石目モハ子捨漸相凌翌九日仙台領唐丹(トウニ)湊ヘ入津致同所ニ於テ難船改ヲ請同月十三日同所出帆致同領唐南(トウナン)湊ヘ入津夫ヨリ同所出帆奥州岩城ノ内中ノ作湊ヘ入津同所ニテ粮米等買入同月廿八日同所出帆翌廿九日常陸ノ銚子浦沖ヨリ総州九十九里濱沖合ヘ走参リ候内日モ暮候所同夜四時頃ヨリ北風ニ相成雨降出シ九時頃次第ニ風雨強明ケ方ニハ弥風雨裂敷(はげしく)高浪船中ヘ打込洤水(あかみず)五尺程モ有之候間乗組一同身命ヲ抛(なげうち)相働候所翌晦日モ同様故種々手當致波ニ漂ヒ罷在候所弥北風吹募(つのり)大シケニ罷成楫取者ノ頭ノ上ヨリ高波打越候間追々積荷ハ子捨候得共船危相成候ニ付船中一同相談致檣切捨何モ髪ヲ切神佛ニ祈相凌居候