函館市/函館市地域史料アーカイブ

椴法華村史

第五編 産業

第一章 水産業

第三節 鰮(いわし)漁業

二 明治時代の鰮漁業

(一) 明治中期の鰮漁業

 『明治二十九年北海道水産調査報告巻之二』によれば、明治時代中頃の鰮漁業について次のように記されている。(椴法華村関係部分のみ要約)
 
  ※漁場
   上磯亀田茅部ノ三郡ハ其主要地ニシテ津輕海峽ハ暖潮ノ北海ニ流注シテ東西ニ海岸ニ分流スル衡路ニ當リ水温最モ高ク鰮魚好テ洄遊ス且ツ山端岬角ノ斗出スルモノ多ク海水陸地ニ蝕入シ嶴灣ヲ爲シ風力ヲ遮断シ漁塲ノ掩護トナリ沿岸平沙地アリテ地曳網ニ便ナリ本道中鰮漁業ノ最モ進歩發達セル地方ナリトス漁族ハ鰮鯷ノ二種ヲ主トス
    (中略)
   椴法華村ハ國中最東端ニ挺出スル處ニ位シ惠山岬ト銚子岬ノ間ニ在リ沿岸約(ママ)ソ三里地曳網漁塲ト爲ス可キハ銚子岬ノ南側二十町許ノ沙濱アルノミ魚群密集スルモ位地外洋ニ露出シ風害ヲ受クル多シ恵山岬ハ巖峙チ潮激シ水深クシテ網ヲ下コト容易ナラス
 
 なお潮流について、茅部郡の項で「沖ヨリ來ルヲ惠山汐ト稱シ(暖流ノ末派ナラン)灣内ヨリ沖ニ去ルヲ茅部汐ト稱ス(寒流ノ末派ナラン)夏鰮ハ茅部汐ヲ利トシ、秋鰮ハ潮流ニ大ナル關係ナシ」と記されている。
 
 ○鰮 いわし
 ○鯷 ひしごいわし
  ※漁期
   亀田郡ハ夏季ヲ主トスル處アリ秋季ヲ主トスル處アリ大森濱ヨリ湯川村ニ至ル各村及恵山岬ノ兩側尻岸内椴法華ノ両村ハ夏漁地トス、文久ノ初年、明治六七年ノ頃五月もの大群セリ近年ハ三五年ニ一回ノ洄遊ヲ認ムレトモ其群甚タ密ナラス毎歳夏土用前後ニ始マリ盛漁ハ八月中旬ヨリ下旬ニ在リ秋土用ニ至レハ收獲殆ト絶エ十一月ニ至リ鰮ノ來遊アリ冬至後凡ソ十日間継續ス明治十二三年頃マテハ魚群ノ來遊アルモ冬至ヲ以テ終業ノ期ト定メタリ近年ハ其期ヲ延ハセリ古武井椴法華ハ郡中夏鰮ノ漁塲トシテ著名ナリシカ近年ノ實況ニ徴スレハ寧ロ秋季漁地ニ變遷セルヤノ傾向アリ
  ※漁船(種類と名称)
   鰮漁船ノ總數ハ明治廿六年ノ調査ニ據レハ二千五百五十六艘《上磯・亀田・茅部・山越・勇拂・沙流・新冠・静内・三石・浦河・様似・幌泉・廣尾の各郡》ニシテ其種類ハ胴船・胴海船・持符船・磯舟ノ四種トス、而シテ胴船ハ其積量最モ大ナルヲ以テ専ラ大地曳網漁業ノ網舟(方言網たき舟)ニ使用シ胴海船ハ太サ胴船ニ次キ渡島地方ニ於テ小地曳網漁業ノ網舟ト爲シ或ハ建網ノ起シ舟ニ用(略)
  持符船ハ各地主トシテ沖揚船ニ使用ス磯舟ハ魚見及通ヒ船ニ使用ス。
  胴海ハ二枚棚造ニシテ他ノ三種ハ一枚棚造トス。
  ・漁船材料
   敷ハ桂・山毛欅(ぶな)・栓・樺ヲ用并かいぐ即チ側板ハ椴・五鬚松・杉等ナリ杉ヲ除クノ外各地其附近ノ山林ヨリ伐採ス近年漸ク缺乏ヲ生シ渡島地方ハ杉材ヲ秋田・青森・巖手ノ諸縣下ニ仰クモノ多シ、持符船以下ノ小船ハ其地方ノ材料ヲ以テ供給スルヲ得獨リ亀田郡ハ茅部上磯函館等ヨリ購入ス。

船種構造の寸法


漁船の新調費

鰮漁業報告
又各船種ノ附屬品新調費ヲ示セハ左ノ如シ
  一 胴船附屬品  金貳拾壹圓

内譯

一 胴海船附屬品  金五圓三拾錢

内譯

一 持符船附屬品  金三圓九拾錢

内譯

  ※漁具 (漁網は各種あるが椴法華村で使用されたと考えられるもののみを記す)
  ・地曳網-慣行最モ久シク用途最モ廣キハ地曳網ナリ
  ・建網-沿岸ノ地形険悪ニシテ斷崖海ヲ掠メ海底岩石多ク地曳網ヲ使用スル能ハサル地ニ用ウ。
   (建網には、角網と行成網の二種類があるが、主として椴法華村で使用されたのは地曳網であるため、建網の記述は省略することにする)
   地曳網
   収獲ノ大部分ヲ占ムルハ此網ナリ大網・中網・小網・すどまわし・澗網ノ名称アリ形状ノ大小ニヨリ名ヲ附シタルニ過キス一個ノ嚢網ト二張ノ袖網ヨリ成ル嚢網ハ中央ニアリ袖網ハ嚢網ノ兩側ニ結合シテ魚群ヲ驅リ嚢網ニ追窮スルノ装置ナリ袖網ノ嚢網ト相接スル部分ハ網目ヲ細密ニシ其幅ヲ廣フシ末端ニ至ルニ從ヒ漸次其目ヲ疎ニシ且ツ其幅ヲ減殺ス嚢網ノ目ハ更ニ一層細密ナルヲ要ス袖網ト接スル部ハ袖網ト同一ノ幅ヲ有セサルヘカラス大網ト稱スル片袖ノ長サ百五十尋内外小網ハ概子五十尋嚢網ハ二十五尋乃至三十尋ヲ通常トス装置ノ大體ハ前記ノ如クナレトモ小部分ニ至テハ地方至ル處小差ナシトセス長短廣狭殆ト一〓ニ出ツルモノナリ左ニ大網構造ノ図解ヲ示ス。
  一、嚢網ハ二十一節網百目掛ケ十五尋切リノモノ十六反乃至十八反ヲ綴合シテ一大嚢トナシ其兩端ノ周圍ニ徑三分大ノ麻縄ヲ以テ連珠狀ノ輪ヲ縫接シ一條ノ網ニテ編綴シ之ヲ分合スルノ用ニ供ス方言之ヲはつぴやくト称ス漁獲ノ多寡ニ由リ前記ノ如キモノ一個乃至三四個ヲ連綴シテ使用ス一嚢ノ容量凡六七十石。
  一、せんがんハ太キ麻縄ヲ以テ長サ三尺ニ編成シ嚢網口ノ上下端ニ添付シタルモノニテ袖網ヲ連綴スルニ當リ浮子綱及沈子綱ヲ結ヒ留ムル處トス上部ニ大浮子(方言かむいあばト云フむかいハ蝦夷言大ノ義ニシテ即チ大浮子ノ義ナリ)ヲ付ス長サ二尺幅四寸厚サ四寸ノモノ一個若クハ長サ一尺五寸幅四寸厚サ二寸五分ノモノ二個下部ニハ大沈子二個ヲ付ス一個ノ重量凡七八百匁
  一、袖網ハ一張ノ全長百五十尋取扱ノ便ヲ計リ之ヲ十五尋宛ニ分截シ十枚トス
   嚢網ニ接近スル第一脇三枚ハ二十一節八反第二脇三枚ハ仝七反第三脇二枚ハ十節網三反第四脇二枚ハ二寸目網二反トス以上ノ網地二寸目網ハ横五十目掛ケ其他ハ百目掛ケニシテ悉ク横目ニ用フ綱地ヲ浮子綱及沈子網ニ連綴スルニハ嚢網ニ接近スル部分ハ三割五歩トシ末端ニ至ルニ從ヒ漸ク減殺シテ二割五歩ノ割合ヲ以テ縁(ぶち)網ニ縮綴(方言いせ)シタル後浮子綱及沈子綱ニ連綴シ袖網ノ末端ニ三四尺ノたち木ヲ付シテ網ヲ壁立セシムルノ用トシ之レニやまづなヲ付シ其末端ニ曳網ヲ結着ス縁網ハ太キ麻絲ニテ編成シタル二寸目網七目掛ノ網地トス地方ニヨリ小目網ノ下二十節網又ハ十四節網半反ヲ附スルモノアリ。
  一、浮子綱(方言あばだな)最モ緊張力ニ堪ユルモノヲ要ス、従来専ラ径八分乃至一寸大ノ菩提樹皮・〓麻(いちび)・柳皮・梭櫚等ヲ以テ作リタル綱ヲ用ヒシカ近年多ク徑四分乃至六分大ノ『マニラ』綱ヲ用フ〓シ重量ヲ減シ緊張力ニ堪ヘ使用ニ便ナルヲ以テナリ長サ百五十尋トス
  一、浮子ハ桐材ヲ最良トスルモ本道之ヲ産セス府縣ヨリ高價ヲ以テ購入スルノ不便アルニ由リ椴材ヲ用フルモノ多シ長サ八寸乃至一尺幅三寸厚サ一寸兩端ニ各二個ノ小孔ヲ穿チ菩提樹皮製ノ細縄ヲ通シ浮子綱ニ結束ス其間隔嚢網ニ接スル部ハ一尺末端ニ至ルニ從ヒ疎隔シテ二尺トス
  一、沈子綱(方言あしだな)ハ浮子綱ト同フシテ稍細小ナリ徑五六分ノモノ一條ヲ用フレトモ捲縮シテ網裾ニ纒綿スルノ恐アルヲ以テ徑三分大ノ「マニラ」綱二條ヲ用フルモノアリ。
  一、沈子(方言あし)ハ石・鉛或ハ陶器ヲ用フ重量ハ用品ニヨリ異リアルモ石ヲ用フトキハ一個ニ付三十匁乃至六十匁ヲ準例トス鉛・陶器ハ中央ニ穴ヲ穿チ麻縄ヲ以テ沈子網ニ結附ス石ヲ用フルハ實子縄ヲテ沈子綱ニ巻キ付ク嚢網ニ近キ部分ハ毎三尺ニ一個ヲ附シ末端ニ至レハ四尺ニ一個ヲ附ス。
  一、曳網ハ菩提樹皮・棕櫚若クハ〓麻ヲ以テ製ス径一寸乃至一寸二分ノ三子撚綱ヲ用フ一條ノ長サ三十尋網一統ニ二十條乃至三十條ヲ備フ
  一、浮標ハ二斗量ノ空樽ニ三四尺ノ綱ヲ以テ嚢口及立元ニ結約シテ目標トス
  一、錨ハ嚢網繫留ニ用ユ一挺ノ重量凡十貫目ノモノ二挺ヲ用フ
  一、「マニラ」綱徑六分長サ三十尋ノモノ四五條ヲ備ヘ嚢網繫留ノ用ニ供ス
    鰮漁業報告
    漁具
    地曳網一統 金九百拾七圓九拾銭
    内譯

[表]

  ※地曳網の漁法
   魚見ノ事
   地曳網ハ建網ノ如ク魚群自ラ來テ網ニ入ルヲ待ツノ類ニアラスシテ魚群ノ集合スル處ヲ追躡シテ之ヲ撈取スルモノナレハ洄遊ノ方向及速度・群團ノ斷續・疎密・魚體ノ大小・動作ノ鋭鈍等ヲ正確ニ鑑識スルコト最モ肝要ナリ其方法ハ左ニ示ス
  一、海面ノ水色ニ由テ識別スル方法、魚族ノ群集スル處ハ他ノ海面ト水色ヲ異ニス漁民之ヲ色を揚けるト云フ天候ニ由テ其色一様ナラス深ク斯業ニ熟錬シタルモノアラサレハ容易ニ判定シ難キモ其一例ヲ攀クレハ、
    魚群疎ナルカ若クハ魚體小ナルトキハ水面淡褐色ヲ呈シ魚群密ナルカ若クハ魚體大ナルトキハ濃紫色ヲ呈ス
  一、魚族ノ動作ニ由テ識別スル方法
   魚群ノ稀疎ナルトキ又ハ遊泳ノ状態ニヨリ色ヲ揚ケサルコトアリ此時ハ動作ニ由テ識別スルノ外術ナシ
  ・はね(魚ノ水面ニ跳躍スルノ方言ナリ)ハ魚ノ種類ニ從ヒ其狀ヲ異ニス即チ見鰊ハ尾ヲ露ハシ水面ヲ撲ツモノゝ如ク鰮ハ活溌ニシテ音響劇シ鯷ハ水面ニ儉喁シ或ハ身ヲ躍ラシ水面ニ飛跳ス
  ・はなあぶ(魚群ノ吐出スフ水泡ノ浮上スルノ謂ナリ)ハ群團近岸岩礁ノ間ニ潜ムトキ最モ多ク之ヲ見ル
   右ノ外鷗ノ飛翔スル鯨ノ近海ニ出没スル皆以テ魚群來集ノ徴トナス
   以上ノ観察ヲナス為メ魚見櫓ヲ設ケ遠望シテ魚群ノ來去ヲ偵察セシカ近年ハ魚見船ヲ出シテ之レニ代フ漁事進歩シ色ヲ揚ルヲ待スシテ漁獲ニ從事スル為メナリ。
  魚見船ハ磯舟或ハ持符ヲ用フ船頭・下船頭(一ニおやじト云フ)若クハ經驗アル漁夫乘船シ沖ヲ往來シ魚群ヲ認メタルトキハ旌旗又ハ他ノ物ヲ振リテ網船ニ沖出ノ合圖ヲ為ス之ヲまねを揚けると云フ夜間ハ松明ヲ焚テ之レニ代フ、競争ノ甚シキ地ハ別ニ暗號ヲ定メ置クコトアリ。
   網船の事
   地曳網ヲ船ニ載積スルニハ少クモ漁夫四人ヲ要ス二人ハ艫ニアリテあば方ヲ取り他ノ二人ハ舳ニアリテあし方ヲ取リ船ノ中央即チ胴ノ間ニ積ミ入ル之ヲ網をたくト云フ網船ハ網ヲ積ミ汀渚ニ在テ沖出ノ命ヲ待ツ若シ漁群來遊ノ狀ナキトキハ其一半ヲ解キ一半ハ搭載ノ儘陸上ニ曳キ上ク置クコトアリ、
   網ヲ掛クル事
   魚群洄遊ノ報ニ接スルヤ二十名内外ノ漁夫網船ニ乗リ船頭ハ船首(みよし)ニ凭(もたれ)リ遙ニ魚群進行ノ方向ヲ熟視シ機ヲ見テ網端ニ一條ノ綱ヲ附シ出綱トナシ綱船(漁夫三四名乗込ミ網船ニ従ヒ進行ス又綱船ヲ用井ス出船ノトキ豫メ網ヲ陸ニ維クモノアリ)ヲシテ陸ニ輸送セシムルト同時ニ一人ノ漁夫ハ艫櫂ヲ執リテ船ノ進行ヲ司トリ他ノ十六名ノ漁夫ハ舳櫂(さつかい)ヲ鼓シ咿軋欵乃命ニ從ヒ進行甚タ敏ナリ此間下船頭以下ノ漁夫ハ漁船進行ノ方向ニ從ヒ右舷或ハ左舷ヨリ漸次ニ網ヲ下ス。魚群稀疎ナレハ弦形ニ下シ範囲ヲ廣濶ナラシム之ヲ開掛(ひらがけ)ト唱フ魚群密集セルカ隣網ト接近シテ餘地乏シキトキハ半圓形ニ網ヲ下シ範囲ヲ狭隘ナラシムル之ヲ縮掛(つぼがけ)ト云フ凡網ヲ下スノ順序ハ先ツ右翼ヨリ投下シ右ヘ旋リテ左翼ニ及フヲ本掛ト称シ普通ノ法トス魚群左方ヨリ來ルカ若クハ網船ノ左方怱焉トシテ魚群ニ遇ストキハ船ヲ左ニ轉シ左翼ヨリ右翼ニ及ホスコトアリ之ヲ後掛(あとがけ)ト云フ旣ニ網ヲ下シ了レハ網端ノ一綱(入綱)ヲ延ハシテ陸ニ達セシメ漁夫ハ上陸シテ二群トナリ一ハ出綱ヲ曳キ一ハ入綱ヲ牽曳ス波涛静穏潮流劇烈ナラサル處ハ轆轤ヲ安置シ之レニ據テ牽引スルトキハ大ニ労力ヲ省クノ便アルモ波ノ動揺ヲ受ケ緩急ニ應シテ自在ニ操縱スルヲ得サルト網ノ流動ニ從ヒ常ニ位置ヲ轉換スルノ不便ヲ免レス、船頭若クハ下船頭ハ船ニ在リテ網ノ正中即チ嚢元ニ至リ浮子綱ニ船ヲ繫キ嚢口ヲ看守スルノ傍左右兩翼ノ牽曳ニ注意シ緩急ノ度ヲ察シ陸上ニ信〓ス一例ヲ擧レハ左翼緩ナレハ左手ヲ與ケテ急ニ曳クヘキヲ示ス右翼急ニ過クレハ右手ヲ斜ニ垂レテ緩ニ曳クヘキヲ示シ又左翼右翼ニ接近スルヲ要スルトキハ兩手ヲ右ニ振リ兩翼相近クヲ要スルトキハ兩手ヲ前ニ振ル等ナリ夜中ハ燈火ヲ以テ之レニ代フ
  魚群ハ屢袖綱ヲ傳フテ逸去スルノ虞アリ故ニ袖綱ノ將サニ陸ニ達セントスル迄ハ兩立元ニ各一艘ノ船ヲ附シ漁夫ヲシテ袖網ノ内側水面ヲ撲チ其音響ヲ以テ逃逸ヲ拒カシム曳綱旣ニ曳キ終レハ袖網ヲ曳キ左右兩翼徐々相接近シテ嚢元ノ岸ヲ隔ツル凡三四十間ニ至リ網圍益狭隘魚群狼狽シテ隙ヲ得テ逃逸セントス於是浮子綱沈子綱ニ最モ注意ヲ加ヘ兩翼各一二人赤身海ニ投漁網ヲ整理シ以テ些ノ間隙ナカラシメンコトヲ力ム(或ハ魚群ヲシテ自ラ嚢中ニ陥ラシメンカ為メ漁夫ヲシテ網圍ノ水面ヲ撲タシムルモノアリ)嚢元二十間内外ニ達セハ更ニ慎重ヲ加工沈子綱ノ海底ヲ離レサルニ注意シ嚢元ニ達セハ更ニ沈子綱ヲ曳キ終ニ魚群ヲ嚢中ニ容ル以上ノ動作一日五回ニ及フコトアリ
   魚ヲ嚢ニ容ルル事
   魚群旣ニ嚢中ニ入レハ縄ヲ以テ嚢口を緊結シ袖網ト嚢ノ結合はかいヲ解キ嚢ハ錨ヲ附ク五六十間乃至百間ノ沖ニ放置シ更ニ綱ヲ附シテ一端ヲ陸ニ留ム沖出シノ長短ハ漁獲ノ多寡ニ由ルモ槪子水深二三尋ノ處ヲ撰フ大漁ニ遇ヒ一嚢ニ餘ルトキハ第一嚢尾ヘ更ニ第二嚢ヲ連繫ス其法第一嚢ノ中央ヲ固ク束子(ネ)其尾端ノはつぴやくト第二嚢口ノはつぴやくトヲ結合シ第一嚢ノ緊結ヲ解キ第二嚢ニ遷シ其口ヲ約シ第一嚢トノ結合ヲ解キ縄ヲ附シテ沖ニ放置スル前記ノ如シ第三嚢ヲ添付スル亦右ノ如シ
   沖揚ノ事
    嚢中ノ魚ヲ船ニ移シテ之ヲ陸上ニ輸送スルヲ沖揚ト云フ即チ嚢船(嚢ヲ保持スル船ニシテ胴海船又は胴船ヲ用フ)ノ一舷ヨリ五六尺ヲ隔テゝ汲船(魚ヲ汲ミ取リテ陸ニ輸送スル船ナリ持符船ヲ用フ)ヲ据ヘ兩船間ニ五六尺ヲ隔テ二本ノ木ヲ横タヘ結約シテ船ノ離合ヲ防キ中間ニ嚢口ヲ開キ汲船ニ在ル漁夫一人、大攩網ヲ以テ魚ヲ抄ヒ他ノ漁夫數名ハ助力シテ之ヲ汲船ニ移ス滿載セバ結約ヲ解キ濱岸ニ輸送シ船ト共ニ沙上ニ曳キ上ク竹籠又ハもつこニ魚ヲ盛リ魚坪(なつぼ)ニ運送ス此時間ハ最モ短促ヲ要シ三四十人ヲ使役スルニ至ルモノアリ又漁嚢ノ儘陸ニ捲キ揚クルコトアリ漁夫四五人水ニ入リ八九人ハ陸ニ在テ協力シテ嚢ヲ牽引ス此便法ハ漁獲極メテ少キカ又ハ風波ノ極メテ平穏ナル時ニアラサレハ行フコト能ハス。
   地曳網一統ニ使用スル漁船漁夫ノ數
    漁網ヲ搭載スル船ハ網ノ大小・天候ノ何如ニヨリ一様ナラサルモ大網ハ槪子(ネ)胴船ヲ用井ルヲ常トス、其他ノ用ニ供スル船種ハ渡島國ハ持符船二三艘磯舟一艘、膽振日高ノ二國ハ胴海船二三艘持符船或ハ磯舟一二艘ヲ備フ漁夫ノ人員亦一定ナラス大網ハ七十四五名ヨリ四十名、中網ハ二十名左右、小網ハ七八名ヨリ十五六名ヲ普通トス。