函館市/函館市地域史料アーカイブ

椴法華村史

第四編 行政

第三章 明治、大正時代の行政

第二節 三県と北海道庁

四 椴法華村の二級町村制

 大正八年四月一日から椴法華村は二級町村制を施行されることになったのであるが、これに先だって函館支庁では、大正七年十二月には尾札部村の一部(現在の古部)を椴法華村に合併するか、又は椴法華村の地域のみで二級町村制を施行し、いずれの場合も村名を椴法華村から恵山村と改称しようとしていた。函館支庁から北海道庁内務部尾崎勇次郎に送られた至急親展の秘密文書に依れば、この間の様子を次のように記している。
 
   至急親展
   内務部 尾崎勇次郎殿
                                         函館支廳河毛三郎
  大正七年十二月二十一日 第五期二級町村制施行調査
    回答
   本年十月五日内地秘第一八〇號照會相成候本件ハ左記ノ通ニ有之候。
  一 現在椴法花村戸長役場ノ行政區域ノ外茅部尾札部村ノ一部ヲ分割シ部界ヲ変更シテ之ヲ椴法華村ニ合併シ惠山村ト改称シテ二級町村制ヲ施行スルヲ最モ適当ナリト思料ス。
   別紙第一號調書ノ通リ尚ホ参照トシテ尾札部村ニ係ル調書(第三號)ヲ添付ス。
  一 前項ノ如ク區域変更新制ヲ施行シ能ハサル場合ハ現在椴法華村ノ地域ヲ以テ惠山村ト改稱シ二級町村制ヲ施行セントス別紙第二號調書ノ通
 
   第一號調書
   尾札部村ノ一部字古部方面ヲ分割シテ椴法花村ニ併合シ二級町村制ヲ施行セントスル理由
  一 新村名 惠山村(エサンムラ)
   椴法〓村ノ語源ハ土語「ドーボケ(岬ノ陰ノ意)」ヨリ轉訛シタルモノナランモ其ノ呼稱甚々渋解ナルノミナラス、同地方ハ其代表的名稱タル惠山岬裏山嶽ニヨリテ人口ニ膾炙(カイシャ)セラレ居ルヲ以テ制度変更施行ト同時ニ前顕ノ通改稱セントス。
  一 合併ヲ可トスル理由
   茅部尾札部村ノ一部ニシテ亀田郡椴法華村ニ隣接スル字古部方面一帯ノ地域ハ尾札部村役場所在地ニ達スル通路ハ尾札部椴法華間山道ニ出テ字木直ヲ経ルモノト海岸ヲ通過シ字木直ヲ経ルモノト兩線アルモ前者ハ約三里ニシテ内木直古部間ハ瞼峻ナル山路約二里辛シテ人馬ヲ通シ得ルニ過キス後者ハ約二里余ナルモ木直古部間約一里ハ断崖絶壁ノ下ヲ辿リテ干潮ノ際ニ於テノミ僅カニ通過シ得ル状況ニ在リ而シテ同所・椴法華間ハ比較的瞼峻ナラサル山道一里未満ニシテ達スル事ヲ得ベシ為ニ郵便置局区域ヲ椴法華村ニ所属セシメ居ルカ如キ物資・医薬等又之ニ依ルカ如シ、其他交通並ニ物資集散上ノ便宜ヨリ観察シテ之ヲ椴法華村ニ分属セシムルヲ適当トシ該部落民ニ於テモ如上ノ関係ヨリ從来其分属ヲ希望シ居レル状態ナル由ニ此際別紙図面ノ通リ尾札部村獅子鼻岬ニ接セル盤ノ沢ヲ遡リ丸山ノ郡界(尾札部村・尻岸内村・椴法華村ノ村界接触点ニ至ル線ヲ境界トシ尾札部村字古部方面一帯ノ地域ヲ分割シ郡界ヲ変更シテ亀田郡ニ編入シ椴法華村ニ所属ヘシテ之レヲ整理セントス。
 
   第二號調書
   現在椴法華村ノ地域ヲ以テ二級町村制ヲ施行セントスル調書
  一 新村名 惠山村(エサンムラ)
   椴法〓ノ語源ハ土語「ドーボケ(岬ノ陰ノ意)」ヨリ轉訛シタルモノナランモ其呼称甚タ渋解ナルノミナラス同地方ハ其ノ代表的名稱タル惠山岬・惠山嶽ニアリテ人口ニ膾炙セラレ居ルヲ以テ制度変更施行ト同時ニ前顕ノ通稱セントス。
 
 以上のようであったが、函館支庁のこの案は北海道庁の取り上げるところとはならず、椴法華村の行政区域の中に古部は入らず、また椴法華村の村名も変更されることなく、大正八年四月一日、椴法華村に二級村制が施行されることになった。