函館市/函館市地域史料アーカイブ

椴法華村史

第四編 行政

第二章 江戸時代の行政

第一節 前松前藩時代

四 知行主と場所請負人

 場所請負人というのは、一定額の運上金を知行主に支払い、その場所内における漁業を中心とする各種の権利を一定の年限許される者のことである。
 さて六箇場所では、いつ頃から知行制度や場所請負制度が始められたのであろうか、さきにも記したように、寛文十年(一六七〇)の津軽一統志(「のたあい」のところに新井田権之助商場と「ゆうらつふ」のところに、青山弥左衛門商場の記録が見られることから、この年代をそれほどさか上らない時期に、知行制度が始められたものと推定される。また場所請負制度については、『近世渡島地方史』(松本降著)によれば、「正徳年間(一七一一-一六)亀田小安より野田追にかけての場所を箱館在住角屋吉右衛門が請負うていた。と記されてあり、この頃から場所請負制の極く初期のものが始められたものと推定される。
 次に元文四年(一七三九)ごろの『蝦夷商賈聞書』(函館図書館蔵)により、知行主と場所請負について記すことにする。
 
  一 トヱト申地佐藤加茂左衛門殿御預リ、出物赤昆布、ウンカ昆布ト申大名物、黒昆布、シノリ同前、フノリ、秋ノ猟ハ鮫、鰤、箱館ト申所え人間共運上ニ申請支配仕、運上金之義年々不同、小船ニ而箱館江通江(ママ)。
  一 シリキシナイト申地木村与右衛門殿御預リ、出物類右同断也。運上不同、箱館者共支配仕候、是モ小船ニ而度々通江。
  一 イキシナイ並ニ、コブイ、此兩所御家老蠣崎内藏亟殿御預リ、出物類右同断箱館者共運上ニ申請支配、運上金不同。
  一 トトホツケゟヲサ(ツ欠)ベ迠十里ハカリ、此間蝦夷村沢山ニ有リ、昆布大出所也。新井田兵内殿御預リ、運上金壱ケ年ニ四拾両宛箱館者共運上ニ申請、二百石ハカリ之小船ニ而度々箱館江通江申候。
  一 臼尻ゟマツヤト申所迠志摩守様江運上金揚ル、出物昆布ハカリ、小船ニ而村々ゟ箱館昆布積通江。
  一 カヤベト申地北見与五左衛門殿御預リ鯡。數子、昆布、夏ノ出物、十月之初ゟ膃訥臍(おっとせい)取申候、運上金弐拾兩壱ケ年ニ指シ上ケ、亀田村ト申所ノ者共年々商買仕候。
  一 ヲトシ部、モナシ部、野田ヲイ、此三ケ所新井田権之助殿御預リ、出物鯡數子、昆布、夏ノ出物、ヲシヤマンベ冬ハヲツセ(ト欠)イ、沖ゟ寄昆布ニラヱ囲昆布ト申、春大坂(ママ)船共箱館江下リ右之昆布積申候、此カヤベヨリ、ヲシヤマベ(ン欠)ト申所迠十月ハ皆々ヲツトセイ取商、貫目形壱〆三四百目迠松前公儀江御取揚ケ罷成、其外大キ成ハ皆御預リ方之分也。
    右之地秋ハ生鮭モ少々上ル、冬馬足之立間ハ馬ニ而戸切地ト申人間地江内浦越ト申所ゟ出ス、運上金権之助殿江上納、夏之内ニ百石斗ナル舟ニ而三度通運上金不同。
 
 この史料に記されている「何々殿御預リ」という「何々」は知行主を、「箱館者共運上」と記されているのは、箱館の者が請負人であることを意味し、また「運上金不同」と書かれている部分は、運上金が漁の豊凶にかかわらず一定であることを示している。
 以上のようなことから、この史料の記録された元文四年(一七三九)ころには、知行主が場所支配の実権を握っており、運上金の納め高により随意に請負人を替えることが出来、しかも漁の豊凶に関係なく一定額の運上金を納めさせていたことがわかる。またこの時の請負人は、後代のように場所の実権を握っておらず、主として漁獲物の集荷と運送を行って仲買商人的な色彩の仕事をしていたことがわかる。

蝦夷商賣聞書

 次に参考資料として尻岸内から尾札部に至る間を書き下し文にする。
 
  一 シリキシナイと申す所は、木村与右衛門殿の知行地で出産物は、前の場所と同じで(赤昆布、ウンカ昆布、黒昆布、シノリ昆布、フノリ、秋の漁として、さめ、まぐろ)運上金は一定である。請負人は箱館の者で、時々小船でこの場所と箱館の間を往復している。
  一 イキシナイとコブイは、松前家御家老、蠣崎内藏丞殿の知行地で、出産物は前の尻岸内と同じである。箱館の者が請負人で運上金は一定である。
  一 トトホツケよりヲサツベまで約四十キロメートルばかりの間に多数の蝦夷の村がある。昆布の大産地であるこの場所の知行主は、松前藩家臣の新井田兵内殿で、箱館場所請負人は、ここに一年間に四十両の運上金を支払い昆布を買いとり、二百石ぐらいの小船で、たびたび箱館へ通行している。
 
 そののち知行主と場所請負人との関係は、少しずつかわっていくのであるが、次に『北藩記略』天明四年(一七八四)と、『蝦夷草紙別録』天明六年(一七八六)の記録から、知行主・請負人・運上金等について記してみることにする。なお『北藩記略』で不足の部分は、同じ年代と考えられる『松前随商録』で補足する。
 以上のように各場所について記したのであるが、元文四年(一七三九)ころの『蝦夷商買聞』と次表の資料とを比較して(天明四年と六年)みると、次のような点がわかる。
・知行主は代々松前家の家臣に引き継がれていること。(トイ領は途中で直領地に変わっている。)
運上金の額が変わっていること、これは初期の一定額例えば、ヲサツベ領で元文四年(一七三九)ころ四十両不同、天明四年(一七八四)百拾五匁、天明六年(一七八六)百両、安永年間(一七七二-一七八一)二百二匁とともに変化していることがわかる。この変化の原因は、豊凶によるものあるいは物価の上昇によるものであろうと考えられる。
・請負人も一定化してきていることがわかる。
 
[表]
場所   北  藩  記  略(一七八四) 蝦夷草子別録(一七八六)
戸  井 知行主 佐藤権左衛門 領主御納戸
請負人   松前作右衛門代嘉七
運上金 三十五両位(隨商録) 四十両
その他 百姓蝦夷ども入込んで漁す春は支配、夏は蔵納  
尻岸内 知行主 木 村 又 八 木 村 文 内
請負人   箱館 白鳥屋新十郎
運上金 安永年中運上金七十六匁二分(隨商録) 三十両
その他 春は支配、夏は蔵収  
尾札部 知行主 新井田金右衛門 新井田金右衛門
請負人   箱館 白鳥屋新十郎
運上金 百二拾五匁(隨商録) 百 両
安永年中金二百廿匁(隨商録)  
その他 春は支配、夏は蔵収