函館市/函館市地域史料アーカイブ

椴法華村史

第三編 椴法華発達史(明治元年から昭和30年まで)

第四章 昭和時代(戦後)

第一節 日本の再出発

二 椴法華村の再建

・一月一日 新戸籍法施行。
 この年もまた前年に引き続きインフレーションが激しく、更に食糧事情が極端に悪化する中で椴法華村は新年を迎える。この他この年の春頃から用紙類の不足が目立つようになり、役場の業務連絡用手紙などは、一度使用した裏紙や新聞紙で作られた封筒などが使用されることも珍しくないような状態となっていた。
・三月十日 椴法華中学校の校舎が新築落成される。(小学校に併置した三教室の新設)その後四月一日、村財政窮迫のため教材教具の不足、極端な教員不足による中学校教員の教科配置不能等の悪条件の中で、小中二部授業による変則的方法で新学期が始められる。
・五月二日 夏時間(サマータイム)を採用する。(夏季の一定期間、日中の時間を合理的に使用するため、一時間時計を進めること、日本では昭和二十三年五月二日の午前零時から一時間進めて実施され、夏になるたびに二十七年まで採用されていた)
 椴法華村でもこの時実施され、いつも早起きの漁師達はあまり影響されなかったが、月給取りと称される役場職員・先生・郵便局員等は、実質的に一時間勤務時間が延長されたような感じであったと云われている。
・五月 水無部落に引揚者を中心に「道南水産開発組合」が設立され組合員十五名が入植する。(以前から水無には一戸が居住)組合の計画では総戸数二十二戸・部落総人口を百五十人くらいにすべく開発に努力される。組合は組合員の出資金と借入れ金により、漁撈用具や製造設備等の充実に努力したが、緊急を要する住宅や水道施設がなく、その上無灯火であったため大変不便な生活をしなければならなかった。
 昭和二十四年九月二十八日付の北海道新聞は、水無部落の様子を次のように記している。
 
    裸一貫引揚漁業者の悲願
        陸の孤島水無部落
   白煙をはく恵山をぐるりと回つて山越えした恵山岬の突端近くにこの生産組合の部落があるが激浪岩をかみ、文字通り人煙から隔絶されたこの部落はまさに陸の孤島-二十九名の引揚漁民は生活とはいえない生活のなかで生きるためにのみ闘っている。
   高谷理事は、
   恵山村から約二十町の道路さえつけばこの辺の事情は一変するだろう。しかし岬の断がいを抜くトンネル工事は一億円もかかるから一寸やソツとでは難しい。今の状態では獲れた魚でさえ満足に処理できないのだから子供の小さいうちは我慢していてもやがて学校に通うようになつたら問題でしような……。

陸の孤島水無部落 昭和24年9月28日北海道新聞

・六月頃から値上げ・値上げがはじまる。
 汽車賃、函館・東京間旧二百四十円から六百十円、函館・札幌間旧八十七円から二百二十七円となる。函館市立高校の授業料が旧百円から百二十円になる。いかさきの手間賃一貫目三円、普通五十貫、なれた人で百五十貫、米一升、(二月のヤミ値)百六十円、砂糖百匁二百八十円、するめいか百匁六円五十銭。
・八月頃、千島樺太方面からの引揚者が来村する。この時大部分の人が村内に親類縁者が居り、なんとか村内に居住する場所を見つけることが出来たが、中には頼る相手が村を離れてしまっており、同情した村民から僅かばかりの食糧を貰って、淋しく何処へともなく船で去って行った人達もあったと云われている。
 一方村内に居住出来た引揚者の人達の生活は楽であったかというと、実際には漁師となった家も山へ入植した家も、大変な苦労をしなければならなかった。山へ入植したある家の場合、入植後三年間くらい普段米の飯を食べたことがなく、自分の畑から獲れた、じゃがいも・大根・そば・ひえ・きみ・かぼちゃ等を食べ、イカ釣り時期には夜イカ釣りをして米と交換した時などに、ようやく米を食べることがあったなどと云い伝えられている。
 また漁師となった人々の中にも、電気なし、家は笹小屋、入口の戸なし、漁具あまりなしなどという悪条件の中から努力した人達もあったと云われている。
・この年、鶴の湯(〓宮本の湯)入浴料、大人十五円、中人八円、小人五円。白米一升二百円。(椴法華)
・この年から昭和二十四年にかけて電力事情悪化する。
 
      陳情書
   昭和二十三年十一月一日本村議会の議決を以て左記の件に付き貴社に陳情致します。
     陳情の事由
   近来本村に於ける電力は全く薄弱にして一般家庭日常の生活の面に於て何等燈火の恩恵を得られず此件に関しましては從来直接間接に現状を貴社に対して陳情致して参りましたが今日に至るも何等具体的の方途に出でられず全村民等しく困惑致して居ります。殊に盛漁期に直面して居ります今日其電力は電灯直下ですら新聞も読まれず戸外よりの来訪者も識別出来ぬ實情であります。
   其原因は那辺にあるかは第三者たる需要者には不明でありますが少くも日常生活に事欠かぬ程度の電力を受くるは當然の事と確信して居ります。一面現下國内の情勢より電力の制限も行はれて居る事とは仄聞いたして居りますが……(以下略)

昭和23年ころの元村