函館市/函館市地域史料アーカイブ

椴法華村史

第三編 椴法華発達史(明治元年から昭和30年まで)

第一章 明治時代

第一節 文明開化の椴法華

三 村の独立・郡村組替要求

・一月一日 亀田・上磯・郡役所亀田村開設
      茅部・山越・郡役所森村開設
・一月一日 椴法華村戸長役場開設。
 明治十二年十二月三十一日大小区画制が廃止され、代わって十三年一月一日より北海道各地に郡が誕生し、郡役所が開設されたが、かつての大小区画制の区務所の行政事務は、ほとんど郡役所に引き継がれていた。
 この時函館付近では函館市中を治める区役所、郡部を治める森・亀田・福山・江差・久遠・寿都の六郡が置かれ、その下に五十九ヵ村の戸長役場が開設された。このようにして郡が誕生し我が椴法華村は、尻岸内村・戸井村・小安村と共に茅部郡に属することとなった。しかしこの時茅部郡の郡役所は森村に設置されており、四村にとっては距離的にも時間的にも大変不便であり、明治十一年からの郡村組替要求の運動がここでもまた続けられることになった。
 また明治十三年一月一日より椴法華戸長役場が開設された。(椴法華村初代戸長は成田源之丞で『官記辞令録』によれば、明治十二年・月俸金八円で十二月二十六日付で任命されている。『新北海道史第九巻』によれば、十二月二十五日配置とある)
・一月五日 函館支庁は従来の町村用係を廃止する。
・三月 椴法華学校(椴法華小学校の前身)十三坪一教室を落成する。
・四月五日 椴法華学校開業式を執行する。(最初四月四日の予定であったが、開拓使の役人が他校の開業式に行く都合で四月五日となる)

第一回卒業生(椴法華学校)

・四月十六日 椴法華五等郵便局開局。取扱郵便のみ、初代局長荒木藤八、村民はお役人様扱いをしていたということである。
・五月 明治十一年十一月着工の尾札部椴法華間道路工事完成。
・九月 開拓使昆布増殖のため雑海藻の刈除を命ずる。
・九月の調査によれば、椴法華村の所属する茅部郡では九分通は米を食し、残りの一分は麦・粟・稗等を食しているといわれている。(明治十三年函館支庁文移録による。)
・十二月 物価高騰して函館の米価一石十三円六十九銭となる。
・この年、鰮漁、夏・秋ともに豊漁に恵まれる。
・この年、海産物の価格騰貴し村民生活比較的良好となる。
・この年頃から明治十八年にかけて村民は盛んに開墾を行う。
・時計とランプ
 時計やランプの使用は開港場であった函館では、江戸時代末頃より始められており、明治十年代に入るやこれらの品物は函館の洋物店に出現し、他の舶来品と同じように販売されるようになった。本村に時計やランプが入って来た時期は、はっきりしないが多分この頃入ってきたものであろう。
 時計は学校・村役人住宅・郵便局・その他網元など村内で数えることが出来る程であったようである。またランプについては前に記した時計と同じ頃に、本村に入って来たようであるが、これもまた非常に少なく大部分の人々は、ランプ以外の照明にたよって生活し、一般家庭では江戸時代以来の『行灯(あんどん)』や『ちょうちん』及び『いろりの火』が使われ、漁業用としては『松明』が使用されていた。
・東京・大阪と椴法華

[東京・大阪と椴法華]

 明治初期の東京・大阪方面の文明開化当時の姿と椴法華住民のありのままの姿を比べ、当時の人々の実生活を知る手がかりとしたい。
・明治十三年の椴法華
    明治十三年一月 (北海道蔵)
   兵要物件及風土表原書壹
   (朱)貳冊之内        編輯係
     椴法華
   一、人民所有ノ農具其他器械
     鉈(なた)  七十八挺  鎌(かま)  弐百挺
     鍬(くわ)  三十挺   杣鋸(そまのこぎり) 十挺
     杣斧(おの) 五十挺   鋤(すき)  十五挺
     鉞(まさかり)  百挺
   一、人民貧豊ノ大略
    十分ノ四ハ富ニシテ十分ノ六ハ貧ナリ。
   一、人民平常多量貯蓄スル所ノ食物大略
    貯藏品ハ米ヲ第一トス味噌之ニ亜(ツ)ク其他ナシ。
   一、兵隊ヲ宿セシムルニ方リ人員ヲ容ルヲ得ルノ概略。
     一村概シテ家並大ニシテ凡ソ一千人ヲ宿セシムヘシ。
   一、糧食蒭秣供用便否
    多数ノ糧食ヲ要スルニハ函館港ヨリ海運ハ便ナレトモ陸運ハ甚タ不便ナリ又蒭秣ハ村内ノ近傍ノ山野ニ於テ多数ヲ得レハ便ナリ。
   一、農商木工鍛工及漁人舟子人員
     農    五人  商人   一人
     漁人 七十八人  木工   ナシ
     舟子   ナシ  杣夫   十人
     鍛工   ナシ
   一、飯水質及ヒ其多少
     村内ニ堀井一ヵ処其他ハ流ヲ専ラ用ユルケ処ハ七ケ処、雨降ノ後ハ井水ニ限ルヘシ、尤水質モ佳良ナラサレ共敢テ砂濾ヲ要セス非常ノ時ハ充分ナラス。
   一、戸数 七十九戸
     人員 五百四十二人 内男 二百七十六人
                女 二百六十四人
   一、馬    八十弐頭
      内 牡  十六頭
        牝 六十六頭
   一、漁舟    百五艘
        筒舟 四艘 但シ弐十石積
      内 持符(モヂップ) 十七艘
        磯舟 八十四艘
   一、河川ノ大小其流通ノ方向水源河口浅水勢底質出水漲〓ニ際シテノ景況
   一、矢尻川
    当村ハコノ一川ニシテ渡頭川幅三間板橋ヲ用ユ両岸ハ平地ナリ。
    水源ハ当郡マル山ヨリ發シテ南ニ向フテ流レ字矢尻濱ニ至テ海ニ注ク川口幅三間水深ハ〓流數條合シテ成リ凡川口マデ一里。
    深浅渡頭ノ近傍深壱尺馬牛ハ徒跣スルヲ得川底ハ砂ナリ。
    水勢平常ハ緩流出水ノ片モ又同ジ。
    出水ノ節ハ水勢緩ナレ共川幅八間深三尺渡船スル事ヲ得。