函館市/函館市地域史料アーカイブ

戸井町史

第十五章 下北半島の景勝地と伝説

第二節 名勝と文化財


仏が浦の絶景(佐井村)

 佐井村の仏が浦は、天下の絶景として一部の人々には昔から知られていたが、断崖絶壁で道もろくにない僻地であったので、船でこの沖を通る人々や、余程(よほど)の物好きの人以外は、陸路でここを見た人は少ない。
 然し菅江真澄は寛政四年(一七九二)十月、松前から奥戸(おこっぺ)に渡り、すぐ徒歩で山越えして、仏が浦を見ている。そして
 「磯谷から南へ行くと、長後(ちょうご)、福浦(ふくうら)、牛滝(うしたき)などという浦があるが、仏が宇多(後の仏が浦)というところがあって、そこの石の形が卒塔婆に似ている。このあたりの材木石は殊に長く、五尺、七尺にも及んでいる」と書いている。
 真澄の紀行文には「仏が宇多」と書いているが、これが昔の名で、宇多はアイヌ語で浜という意味である。
 仏が宇多が後世、仏が浦になったことがわかる。真澄は徒歩でこの海岸を通り、絶壁のため、「仏が宇多」の近くまで行っていないようだし、「仏が宇多」を見るのが主目的でなかったので「仏が宇多の石は、卒塔姿に似ている」というより書いていない。
 然し真澄の訪れた昔とちがい、今ではこのあたり一帯の地域が国定公園に指定され、佐井港から遊覧船が出、絶壁の縁に自動車道路が開削され、仏が浦まで絶壁を下りる歩道がつけられ、簡単にこの絶景を観賞することができるようになった。
 仏が浦は、福浦部落から牛滝部落までの間に半月形に湾入している海岸で、この間約二キロメートルに亘る海岸の絶壁は凝灰(ぎょうかい)岩で構成され、それが長年月の間に、風雨や波浪に浸蝕(しんしょく)されて、仏像、仏具、動物、人間を思わせるような奇怪な形をなし、神秘感に打たれる秘境である。始めて見た人々はこの神秘的な景観にしばし「絶句(ぜっく)」する。天下の絶景として全国に宣伝され、ここを訪れる人が年々増加している。