函館市/函館市地域史料アーカイブ

戸井町史

第五章 教育の変遷

第二節 社会教育

 1 スポーツ団体
 戸井町の戦前のスポーツと言えば、野球と地域の神社祭典の奉納行事として行われた相撲くらいのものであった。戦後は青年団体がスポーツ活動を取上げ、昭和二十四年から野球大会を実施し、昭和二十八年、九年の二ヶ年、青年陸上競技大会を開催し、渡島管内陸上競技大会には毎年選手を派遣している。
 又戦後設置された新制中学校及び戸井高等学校では、野球や陸上競技だけでなく、卓球、バレーボール、バスケットボール、柔道、剣道などの競技をクラブ活動、部活動として実施し、地区大会或は渡島、全道大会等に出場するようになったため、各種競技の競技人口が漸増し、これらの人々の同好者が集って、各種のスポーツ団体が誕生しつつある。

青年短距離競走(町民体育祭)

 現在までに、町内に結成されたスポーツ団体は次の通りであるが、今後これ以外の競技の団体が結成される状勢にある。

[各種スポーツ団体]

昭和四十三年に「陸上競技愛好会」が結成されたが、中核になっていた指導者の町外転出及びその他の事情のため解散した。
 
 ○「戸井町体育大会」の設立
 各種スポーツ団体の中核として、スポーツ団体相互の連絡をとり、既設の団体の振興をはかり、未設置の団体の結成援助をはかるため体育協会をつくるべきだという要望が高まり、教育委員会、既設の三スポーツ団体関係者、体育指導委員による設立発起人会が設けられ、昭和四十七年四月二十日、中央公民館において設立総会を開催し、「戸井町体育協会」が設立され、初代会長に石亀喜代治が選ばれた。
 
 ○戸井町体育指導委員
 昭和三十二年に、「地方スポーツ振興について」という、文部本務次官通達が出された。この通達の趣旨は、「地方スポーツ振興の推進者として、民間の有能な人材を体育指導委員に委嘱することによって、指導者不足の問題を解決しよう」というものである。
 戸井町では、この年直ちに体育指導委員として、山路栄、谷藤昭蔵を委嘱した。
 現在までの「戸井町体育指導委員」は次の通りである。

[戸井町体育指導委員]

 
 2 文化団体
 ○戸井交吟(こうぎん)社
 戸井町の文化史上特筆すべきものとして「戸井交吟社」がある。これは明治末期から昭和初期まで続いた俳句の同好会である。
 戸井交吟社は、館町の河村潔(きよし)が主宰(しゅさい)者で戸井の文化人が同人(どうじん)となり、時々句会を開き、選者を頼んで天地人や秀作を選んでもらい、ガリ版刷りの俳誌にして同人に配布していた。戸井交吟社の沿革をくわしく調査する暇がなかったので、当時の交吟社同人、長谷川益雄の自叙伝「追憶の記 白菊(しらぎく)」から、交吟社のことを書いた項を抜萃(ばっすい)する。とにかく今から六、七十年も昔に、下海岸の僻村戸井に、俳句の同好会が誕生し、それが昭和初期まで続いたということは特筆すべきことである。
 
   「追憶の記 白菊」より
 「私が七重村立病院長をやめ、父の後を継いで戸井村で開業した大正七年以前から、戸井に俳句の同好会があり、河村潔(きよし)さんがその会を主宰して「戸井交吟社」と名づけ、時々同好の士が集って句会を開き、俳句をつくっていた。戸井に移ってから、私も交吟社の同人になった。
 私は馬が好きであった。厩舎(きゅうしゃ)を造り、自分で馬の世話をし、殆んど馬に乗って往診した。自分の厩舎で四頭も仔を生ませた。赤毛の馬が好きで、私の馬はすべて赤毛の馬であった。そこで私は、赤毛の馬にちなんで、俳名を「赤馬(せきば)」と号した。
 当時の交吟社同人は、大宣寺の住職寺西粂丸さん(笑骨)法泉寺の住職佐藤大円さん(雨石)戸井郵便局長大橋弘さん(大喬)石黒収入役さん(午舟)元村長工藤建次郎さん(二州)それに御大将の河村潔さん(笑波)などの方々であった。
その後今の収入役の宇美義蔵さん(朴子)なども同人に加わった。
 句会には選者を頼んで、天地人や秀作を選んでもらった。そして同人の俳句を全部河村さんが、ガリ版刷りの俳誌にして同人たちに配布した。
 私は俳句というものを作り始めた頃なので、当時作った俳句を読んでみても、一つ一つの句をどういう心境で、どういう情景の中で作ったか、全然記憶にないものが多い」
 
 と書いている。
 長谷川赤馬が作った入選作は次のようなものである。
   ○桃咲くや 耕(こう)せる畑(はたけ) 黒々と
   ○夕風に 芦(あし)ざわめくや 行々子(ぎょうぎょうし)
   ○衣更え 脚気(かっけ)の脛(すね)を 撫でて見つ
   ○瀬を下(くだ)る 舟の帆を縫(ぬ)う つばめかな
   ○宙返(ちゅうがえ)り する飛行機や 秋の空
   ○枝豆や 食い散らされて 月の縁(えん)
   ○書初めの 四角ばりたる 我が子かな
   ○正月や 紙だこ揚ぐる子 羽子つく子
 前に挙げた戸井交吟社同人のうち、現存者は寺西笑骨、宇美朴子ぐらいのもので、主宰者の河村笑波を始め、多くの同人は既に故人になっている。交吟社は河村笑波の逝去後解散したものと思われる。
 
 ○戸井フォトクラブ
 昭和四十二年に、中央公民館が竣工し、その開館を記念して「文化祭」を開催することになり、写真同好者のとった写真も展示され、これを契機として写真同好者の会が結成され「戸井フォトクラブ」と名づけ、会長には戸井高等学校長の佐藤正五が選ばれた。
 文化祭は継続して開催され、戸井フォトクラブの会員が中心になって毎年写真展を開催している。
 社会教育の事業の一つとして、婦人を対象とした活花(いけばな)、手芸などの講習会を開催し、文化祭には活花展、手芸展を行っているが、会を結成するまでには至っていない。