函館市/函館市地域史料アーカイブ

戸井町史

第四章 旧家の沿革と人物略伝

第一節 旧家の沿革

 〓佐藤家の先祖は茂右衛門と称し、文政二年(一八一九)に生まれ、明治十七年八月十二日に五十九才で死去した。茂右衛門の歿後、安政六年生れの長男政蔵が二十七才で後を継いだ。政蔵と文久元年(一八六一)生れの妻アキとの間に、明治十年(一八七七)長女モヨが生れ、次いで二女マサが生れた。モヨは〓池田家の長男桃太郎に嫁し、長男六助以下五男七女を生み、昭和四十年四月三日八十八才で死去した。マサは〓佐藤良作に嫁した。
 政蔵には男子がなかったが、〓家に客分として滞在していた加賀武蔵之助という人が昭和十五年十月〓家で死去し、武蔵之助に伊豆之助という男子があったので、伊豆之助を養子とした。
 伊豆之助は明治二十一年(一八八八)三月二十五日生れで、二十一才の時佐渡真野村生れの〓五島栄造の長女ミンを妻に迎えた。政蔵は昭和八年十一月九日、七十五才で死去した。この時は鰮の大漁で浜が湧いていた。
 政蔵の後を継いだ伊豆之助は、旅館を開業し、実父の名をとり「〓武蔵屋」を旅館の名とした。この頃は従歩でりを重ねて旅をした時代であったので、武蔵屋は繁昌して財をなした。伊豆之助は第一回国勢調査員、村会議員その他の公職を勤めたが、ミンとの間に子がなく、〓池田桃太郎の五女悦子を養女にしたが、悦子は昭和十二年二十二才で病歿した。次いで後志(しりべし)、島牧村の小川家から可也を養子とした。又、池田桃太郎の七女ハツエを養女としたが、長じて小安の川島家に嫁がせた。

〓武蔵屋旅館

 伊豆之助は昭和二十九年六月十七日、六十七才で死去した。伊豆之助の死後、可也が〓家の四代目を継いだ。伊豆之助の妻ミンは八十三才になり健在である。
 伊豆之助の時代に始めた旅館は下海岸にバスが開通するようになってから廃業し、漁業に転向した。
 可也はP・T・A会長、町議会議員、漁協理事などの要職を勤めている。可也の妻ヤヱは、伊豆之助の妻ミンの兄〓五島益蔵の四女である。
 三代目伊豆之助の妻ミン及び四代目可也の妻ヤヱの実家である〓五島家の系図は次の通りである。

[五島家の系図]