函館市/函館市地域史料アーカイブ

戸井町史

第三章 伝説と逸話

第五節 戸井の万体仏と貞伝上人


貞伝作の万体仏


背面

 昭和四十七年二月二十九日、戸井町館町の堀川家に、津軽今別村本覚寺五世貞伝上人が、享保十二年(一七二七)に鋳造した万体仏の一体が祀られていることを知った。貞伝作の万体仏というのは、金銅で鋳造した一寸八分(五、四㎝)の阿弥陀像で、一万体造られたので貞伝の万体仏として有名な仏像である。万体仏は背面に「貞伝作」と刻まれている。
 堀川家に万体仏が伝承された由来を、家人に尋ねると「昭和十年当主重雄氏の兄谷蔵が幼ない頃、前浜で鉄くずを掘っていた時に、砂の中から出て来たものだ」と語っている。
 串原(くしはら)正峰という人が、蝦夷地の伝説や事件を書き集めた『夷言俗話』
という書に
 「寛政元年(一七八九)蝦夷地の某所で、あるアイヌが、和人に毒酒を飲まされて死んだ事件をめぐって騒動が起り、激昂(げきこう)したアイヌの集団のために、多くの和人が殺された。この時南部の大畑からこのコタン(村)に来ていた伝七という者が、貞伝上人作の万体仏を持っていたために、その御利益(こりやく)で難を免れた」という話が採録されている。
 貞伝の伝記や業蹟は、磐城(いわき)国相馬郡中村の興仁寺住職宝洲という僧の書いた『貞伝上人東域利益伝』にくわしく書かれている。この書によると
 
 「貞伝は元禄三年(一六九〇)津軽の今別村に生れ、幼ない時から、弘前誓願寺の安貞和尚の弟子となり、十四才の時に夏井(福島県)の専称寺に学んだ。貞伝はこの寺で学ぶこと十五年余、享保三年(一七一八)六月、二十九才の時、郷里今別村の本覚寺の住職に迎えられ、本覚寺五世となった。
 『貞伝上人東域利益伝』には次のような貞伝の業蹟が書かれている。
  ①享保七年(一七二二)十一月、今別村に大火があり、一村を殆んど焼き尽したが、本覚寺、貞伝の書いた名号を持っていた某信者の家だけが焼け残った。
  ②享保八年(一七二三)三月、讃岐(さぬき)の船が、深浦の沖で遭難した。この時この船の船頭が前年の春今別に来た時手に入れた貞伝筆の名号を持っていたので、それに祈願して難を免れた。
  ③享保十年(一七二五)鰺(あじ)が沢の桶屋(おけや)の妻が難産した時、知人が自分の持っている貞伝筆の名号に祈祷したところが安産した。
  ④貞伝は病人には、シキミの葉に「南無阿弥陀仏」の六字の名号を表裏に墨書して与えた。病人がこれを水に浸して飲み、六字の名号が全部なくなった時に全快した。
  ⑤享保十三年(一七二八)六月津軽地方の田畑におびただしい害虫が発生して困っていた時、貞伝は百万辺念仏を唱えさせ、塔婆を立てて飲食(おんじき)を供養し、百万辺修念の札を印刷して、一人に三枚づつ与え、これを田畑の中に立てさせたら、不思議にも害虫がいなくなったという。
  これ以来この地方では「虫祭」という行事を伝えている。
  ⑥貞伝は海中に石を投じて、昆布の繁殖をはかることを教え、盛んに投石させた。これを記念して、この地方では「投石祭」という行事を伝えている。
  今では昆布増殖のための投石は珍らしいことではないが、貞伝が投石を教えたのは、今から二五〇年も昔のことである。山田文右衛門が日高海岸で昆布投石をしたのは、貞伝よりずっと後である。
  ⑦貞伝は漁民に「魚の根」を教えた。貞伝の教えた根に行くと必ず大漁をしたという。
  こういうことから、今別の本覚寺は、現在でも大漁祈願の道場になっている。
 
 『利益伝』には「万体仏鋳造の動機」について次のように述べられている。
 
 享保十一年(一七二六)貞伝は、高さ一丈の金銅塔婆建立の悲願(ひがん)をたて、道俗六万余人の人々から、金銅製の器物の廃品七百余貫の寄附を受け、出羽(秋田)の鋳工を招いて鋳造にかかり、翌享保十二年見事に完成し、盛大な落慶(らっけい)法要を厳(ごん)修した。
 ところが貞伝は、金銅器物の廃品を寄附した熱心な信者の一人が、称名念仏する口中に、三体の仏像がはいったたという奇瑞を感じ、塔婆鋳造で余った金銅をもって一寸八分の阿弥陀像一万体を鋳造することを発願し、貞伝自ら鋳型を彫刻して、一万体の仏像を鋳造した。
 この仏像が信者たちの手によって、東北地方や北海道に広がり、今でも「貞伝上人の万体仏」と呼ばれ、霊顕(れいけん)あらたかな仏像として尊崇されている。
 貞伝は享保年中蝦夷地に渡り、有珠の善光寺に金銅仏を鋳造して納めた。これが現在有珠の善光寺の秘仏となっている本尊仏である。この仏像の鋳型も貞伝上人が造ったものと伝えられている。
 又有珠の善光寺の境内には『利益伝』を書いた僧宝洲の建てた「納経碑」が現存している。この「納経碑」の正面には「大乗(だいじょう)妙典」と刻み、向って左側面には、「桑門、宝洲」と刻まれている。
 貞伝は享保十六年(一七三一)四月十日、四十二才で死去した。法名、訪蓮社良船身阿路観。
 
   北海道で発見された貞伝作の万体仏
 福島町、松前町、大成町などから十数体発見されたが、昭和四十四年十一月、乙部町豊浜の明石家から一体、乙部町花磯の新谷家から二体、計三体の貞伝作の万体仏が発見されている。
 この度発見された戸井町館町の堀川家から発見された万体仏は下海岸としては最初のものである。