函館市/函館市地域史料アーカイブ

恵山町史

第7編 宗教

第3章 現在の郷土の宗教

第2節 郷土の寺院

 所在地 字恵山375番地
 宗 派 浄土宗、本尊・阿弥陀如来
     函館市船見町・浄土宗『称名寺』末寺。総本山は京都東山華頂山大谷寺
 
沿革  現存する「棟札」によると豊国寺の創建は、文化8年(1811)9月ということになる。この創建については、箱館を拠点に活躍した豪商高田屋嘉兵衛の寄進によるとの言い伝えが残るが、高田屋はこの2年前の文化6年、恵山火口原の通称“賽の河原”に十一面観音像を建立しているし、当時の郷土での活発な商取引・新鱈売買契約(新鱈儀定證文・文化14年 産業編第1章漁業 第1節(5)の江戸時代の鱈漁 参照)などから考察し、まずは間違いはないと思われる。豊国寺の沿革については、現在の本堂が建立された昭和3年(1928)、当時の住職、第十四世得譽瑞巖の『表白』が残されているので、その全文を以下に記すこととする。
 
   表  白
 維時昭和三年二月十五日、西方願王阿弥陀仏ノ御宝前ニ於テ仮御遷座ノ式ヲ奉ル。抑々当寺ハ元地蔵菴ト称シ、開山得譽道圓上人、文化八年九月ノ創立ニシテ渡島東海岸屈指ノ古刹ナリ、五〇有余年ヲ過グル元治元年四月、第六世順教上人堂宇ヲ再建シ、明治十五年四月、第九世存光上人代ニ興徳山布教院豊國寺ト寺号改称ノ公許アリ。
 然ルニ此再建タルヤ未開時代ノ工事ナルガ故ニ配水基礎風致何レノ点ヨリモ見ルベキナク、僅カニ六十有余年ヲ経過セシトハ云ヘ荒廃其極ニ達シ修繕加工幾度ナラズ、大正十年頃ヨリ役員一部間ニ改築ノ儀生ジ漸次濃厚ナリトテ遂ニ大正十四年十一月二十日、檀家総会ニ附シ、越シテ大正十五年四月二十日役員総会ヲ開キ、各自ノ全力ヲ挙ゲテ時代ニ適合セル寺院殿堂ヲ再建シ以テ一ハ祖宗ノ為ニ、一ハ精神修養ノ資ニ供セント決議ナリヌ。 斯ク議了セルモ往古寺地ヲ定ムルヤ海浜トハ云ヘ、点在スル人家ハ数町ヲ隔チ付近一帯ニ雑樹雑草参差シ猛獣ノ横行スルアリ、唯風ト波ノ外静寂ヲ極ムルノ地ナリシト雖モ、星霜ノ推移ト共ニ繁栄ノ中心地ト変遷セシヲ以テ、万一不慮ノ災害ヲ慮リ新ニ二千数百坪ノ地ヲ卜シ、昭和二年五月起工シ、十方檀信徒諸氏ノ幾多ノ浄財ト幾多ノ犠牲トヲ払ヒ一万数千円ヲ投シテ、昭和三年二月五日終工シ、本日移転改築ノ落成ヲ兼テ仮ニ御宝座ヲ移乗シ奉ル。
 願クハ建立常念無衰無変ニシテ寄付芳志者各家祖先累代ノ冥福ヲ祈リ、現当二世哀愍加祐シ給ハンコトヲ謹言。
  昭和三年(一九二八)二月十五日
                     当山第十四世 得譽瑞巖
 
 この『表白』第十四世得譽瑞巖(昭和3年2月15日)によると、はじめ、根田内の地蔵菴と称して開山、年代については定かではないが、文化8年(1811)以前、高田屋嘉兵衛の寄進によるものと推察される。続いて文化8年(1811)9月、第三世得譽道圓上人が本堂を創立。現在の三好商店付近と推定される。この時の『棟札』が現在に残る。その後、54年を経て、元治元年(1864)本堂を再建。写真が現存する。
 現在の本堂建立は、昭和3年(1928)2月15日、第十四世得譽瑞巖の代である。
 現在の寺号『興徳山布教院豊國寺』は、明治15年(1882)箱館の浄土宗称名寺(現函館市船見町18‐14)許認可。浄土宗称名寺の末寺となる。
 
 明治十二年調 渡島・後志・胆振三国寺院明細帳各自届(戸籍係)より
 郷土の寺院については、以下の地蔵菴(豊国寺)の記載のみである。
 
 開拓使管下渡島尻岸内村支根田内
   函館称名寺
    浄土宗鎮西派  地 蔵 菴
 一、本  尊 阿弥陀如来立像一体 行基菩薩真作之写開基常念自       作安置之
 一、由  緒 開基文化八年九月常念創建中興元治元年子年四月
       六代順教再建 開基ヨリ明治拾弐年迄暦数七十年
 一、堂宇間数 表口、拾弐間 奥行、六間
 一、境内坪数 二百拾八坪 拾円八拾壱銭八厘  民有地 第壱種
 一、境外所有地 畑三畝壱ト壱円二拾二銭八厘  民有地 第壱種
 一、檀徒人数 九百六拾四人
 一、管轄庁距離里数 拾弐里拾六町
 以上
 

豊国寺
大正7年(1918年)渡島町村誌より

 
本堂に鎮座する地蔵尊
 当寺には、本尊阿弥陀如来が遷座するずっと以前から、地蔵尊が鎮座している。木彫の地蔵尊を中に左右6段の棚に、金箔を施された小さな木彫の地蔵尊が全部で54体。文化8年以前のものと思われる。傷みは著しいが精巧な作である。根田内の地蔵菴と呼ばれた所以であろう、おそらくは高田屋の寄進によるものと推察される。
 
浄土宗(宗教編資料2 仏教の宗派参照)
 浄土宗は、源空(法然)を開祖として「阿弥陀仏の極楽浄土に生まれ悟りを開くこと」を目的とした仏教の一宗派である。源空(法然)は、極楽浄土に生まれるための修行方法として、必ず極楽浄土に往生し得るという信念・安心感を持つことが大切であると教え、その方法として、修行者の実践である読誦・観察・礼拝・供養・称名(南無阿弥陀仏と唱える)の5種類の起行(正しい修行)と諸行為(やらなければならない作業)をあげた。さらに、極楽往生のための最も大切な修行は称名を繰り返すことだと教えた。いわゆる、この「念仏」を中心とする浄土宗の教えは平安末期から鎌倉時代、当時の民衆の絶大な帰依を受け爆発的に広まったが、また、相当な弾圧も受けた。
 
 住 職
  現住職 十七世 蔦 龍明
      十六世 蔦 龍源
      十五世 工藤明導
      十四世(得譽瑞巖)

豊国寺創建当時から鎮座する地蔵尊


昭和30年末ころの豊国寺(尻岸内町史より)


豊国寺(平成17年撮影)

 
本寺称名寺高田屋嘉兵衛について
 豊国寺の本寺、函館市船見町の称名寺は正保元年(1644)亀田郷(現函館市)に阿弥陀菴を建立したのがはじまりであり、徳川将軍家の菩提寺、(東京都港区芝)増上寺(浄土宗大本山の一)の末寺で将軍家の「葵の紋」が許されていた寺院である。
 また、箱館を根拠地に活躍した江戸時代末期の豪商高田屋嘉兵衛もこの寺の檀家で、境内には嘉兵衛らの墓もある。このことも豊国寺の前身『根田内の地蔵菴』が高田屋の寄進といわれる根拠ともなっている。
 
境内の子安地蔵尊「子育祈願・水子供養」について
 この地蔵尊は、彫刻家でもある蔦龍明住職が製作したものである。

子安地蔵尊