函館市/函館市地域史料アーカイブ

恵山町史

第7編 宗教

第3章 現在の郷土の宗教

第1節 郷土の神社

 所在地 字恵山33番地
 氏 子 旧根田内村・字恵山・柏野・御崎を主に450戸
 祭 神 市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)は、福岡県の旧官幣大社、宗像神社の三女神の一神。神話では日の神天照大神(アマテラスオオミカミ)の息から生まれた神と語られる。宗像神社には、沖津宮(オキツノミヤ)・中津宮(ナカツノミヤ)・辺津宮(キシツノミヤ)の三宮があり三女神の田心姫命(タゴリヒメノミコト)・湍津姫命(タギツヒメノミコト)・市杵島姫命が、それぞれ沖合・中浜・海辺、三宮の守護神として祀られている。この三女神は広島湾の厳島にある旧官幣中社にも合祀されていた。厳島は安芸の宮島と呼ばれ日本三景の一つとして、瀬戸内海の景勝地として船乗りたちに古来からよく知られ、船乗りたちが参拝に訪れていた。そのような理由から、総本社の宗像神社より、厳島の方がよく知られるようになり、全国各地の港にも厳島神社が建てられるようになったといわれている。
 当厳島神社は函館市弁天町厳島神社からの分神と推察される。
 
沿革  厳島神社の社記によれば、創立年代は第116代桃園天皇の御世、宝暦元年(1751)9月。拝殿の造営は不明である。明治34年(1901)9月30日暴風のため社殿破壊、同38年(1905)10月1日改築出願、同39年(1906)1月1日許可、同年3月28日落成届出、社殿現在に至る。明治9年(1876)神社規則の改正により無格社となる。
 昭和21年(1946)宗教法人令による手続きを経て、同26年(1951)法人格となり現在に至る。
 
主な事業  例祭7月5日、祈年祭2月19日、新嘗祭11月25日、元旦祭1月1日、月並祭(命日祭)毎月5日。
 
<歴代宮司> (日浦)稲荷神社に同じ

厳島神社(恵山)

 弁才天(弁天様)と市杵島姫命(厳島神社)について
 当神社は函館市弁天町厳島神社からの分神と推察されるが、この函館厳島神社江戸時代「弁財天社弁天社」と呼ばれていた。この弁才天の初見は『津軽一統志・寛文九年』(1669)頃である。弁財天社は明治初年(明治政府の神道国教策によるものと推察する)に市杵島(いちきしま)神社と、後、厳島神社と改称された。因みに町名の弁天町は「弁天社」に由来している。函館の他、道内にも『弁天』という地名は多く残っている。
 松前・石狩・増毛・紋別・羽幌・小樽・根室(弁天島)・厚岸(弁天島)・釧路(弁天ケ浜)・苫小牧(弁天・弁天沼)など、いずれも港町で弁才天または市杵島姫命、あるいは合祀してきた。この弁天社江戸末期には40社を数えたと記録に残る。
 ところで、この弁才天(弁天様)は、もともとインドの河川の女神である。日本では七福神(蛭子(えびす)・大黒・布袋(ほてい)・毘沙門天(びしゃもんてん)・寿老人・福禄寿(ふくろくじゅ))の一神で唯一の女神、音楽・才能の神様として親しまれてきた。これがどうして市杵島姫命と習合したのであろうか。市杵島姫命を祀る神社がある安芸の宮島『厳島』に、古来から弁才天を祀る神社も存在していた。同じ島にある神社の祭神、ともに女神で海と河川、水の神という共通点から習合したものと推察される。因みに、弁才天を祀る神社は厳島の他、大和の天の川・近江の竹生島・相模の江ノ島・陸前の金華山にあり、これを五弁天と呼んでいる。