函館市/函館市地域史料アーカイブ

恵山町史

第7編 宗教

第3章 現在の郷土の宗教

第1節 郷土の神社


尻岸内八幡神社

 冠の尻岸内の名が示すように、江戸時代から尻岸内本村の鎮守として由緒ある神社である。明治政府の「祭政一致之制度」(註1)により、明治9年、亀田八幡宮(旧亀田村、現函館市)等とともに郷社(註2)の社格に付された神社であったが、昭和21(1946)年のGHQの『神道指令』(前章、第2節参照)により、この制度は廃止され宗教法人となる。
 所在地 恵山町字大澗194番地。この一帯は移住者が最も早く定住したところである。
 氏子  旧尻岸内本村の字豊浦・大澗・中浜・女那川・川上の人々が主で約650戸。
 祭神  譽田別命(ホンタワケノミコト)。
 
 譽田別命は15代応神天皇(3~4世紀)、「帝は高台に登り、家々から煙が上がっていないのを見て、民の生活の苦しさを知り3年の間、租税を免じた」という伝説で知られる仁徳天皇の父君である。なお、大阪府市にある仁徳天皇陵(百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのみささぎ))は前方後円墳で、墳墓として世界最大であり、当時の天皇の権力・神格化がしのばれる。
 
 八幡神・八幡菩薩に対する信仰は古代から広く、末社の数は全国の神社の半数にも達するといわれている。総本社は九州大分県の『宇佐神宮』で、伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟(そうびょう)として崇められてきた。鎌倉時代には天皇の裔(えい)である清和源氏が氏神としたことから、武士の守護神・弓矢の神として寺院や村々の鎮守とされてきた。
 
沿革  尻岸内町史では郷土に和人が定住(移住)したのは享保5年(1720)西村善次郎が最初とあるが、尻岸内八幡神社の社記によれば、これより104年前に溯る第108代後水尾天皇の御世、元和2(1616)年の創立とある。これは記録にはないが、西村善次郎以前に定住した和人がいたのか、あるいは入稼の人々の手によるものか定かではない。社記にもどる。天和(1681~83年)・享保(1716~35年)・明和(1764~70年)・文政(1818~29年)年間に修営、文久2(1862)年3月に再修営される。
 明治9年(1876)郷社(茅部郡下の神社)に列せられる。大正4年(1915)9月、幣帛(へいはく)共進神社にせられ、大正10年(1921)本殿・幣殿・拝殿の改築落成する。さらに、同年、神饌所・御輿所を落成、神殿・社屋現在に至る。
 昭和21年(1946)、神道指令により社格・郷社は返上、同年宗教法人令による手続きを経て、同26年(1951)法人格となる。
 平成4年(1992)神社本庁の承認を受け、神社名を尻岸内八幡神社と改称、函館地方法務局に登記、現在に至る。
 
主な事業  大祭(例祭7月15日・祈年祭2月17日・新嘗祭11月23日)、中祭(歳旦祭1月1日・国民祝日祭・それぞれの月日)、小祭(月並祭・命日祭・毎月15日)、恒例祭(門祓祭又は逆饗祭1月2日)
 
<歴代宮司>
 荒木房雄 昭和21年7月16日~平成16年
      現在 尻岸内八幡神社 宮司
 安田義一 昭和14年11月30日~昭和21年7月16日
      現在 尻岸内八幡神社 社司 7ケ年
 渡邉幸雄 昭和13年9月10日~昭和14年11月30日
      現在 尻岸内八幡神社 社司 1ケ年
 荒木誠三 大正4年10月12日~昭和13年9月10日
      現在 尻岸内八幡神社 社司 24ケ年
 荒木祐七 明治41年6月27日~大正4年10月12日
      現在 尻岸内八幡神社 社掌 8ケ年
 渡邉房松 明治31年5月4日~明治42年9月5日
      現在 尻岸内郷社八幡神社 社司 11ケ年
 大熊廣義 明治10年頃より明治30年頃まで

昭和16・17年頃 戦時下のお祭り
背景の山が消されている(尻岸内)八幡神社