函館市/函館市地域史料アーカイブ

恵山町史

第6編 教育

第1章 学校教育

第9節 恵山高等学校

 昭和43年、この願いを実現するべく尻岸内町は椴法華村とともに、官民一体となり水産高校誘致の運動を展開した。当時の新聞は誘致運動を次のように報道している。
 
“恵山高校をつくって” 下宿通学の不便訴え
       尻岸内椴法華で運動展開
           昭和四十三年十一月五日付『北海道新聞』より
 【尻岸内椴法華】 地元で高校教育が受けられるように−尻岸内椴法華の両町村では、“恵山高校”(仮称)の設置運動を進めている。二町村で毎年、百五十名近くの高校進学者があり、ほとんど函館で下宿通学という状態だけに切実な願いとなっている。
 両町村では三つの中学校から三百人前後の卒業生を出し、そのうち半数が高校へ進学している。ところが地元に高校がないため、尻岸内からは昨年九十五人中六十人が函館へ、三十五人が隣町の戸井高校(定時制)へ、また椴法華からは同じく約三十人が、ほとんど函館の高校へ通っている。尻岸内町では函館市五稜郭町に「学生寮」を設け、現在二十七人の子弟を入居させているが、町営とはいえ父母には大きな出費となっている。
 このため地元高校設置の動きは、まず、尻岸内からあがり、椴法華も歩調を合わせ、昨秋から認可申請など地道な準備を続けている。 ……以下省略……
 
恵山高等学校の設立許可  尻岸内椴法華両町村の住民・行政、漁業関係者らの熱意が実り、昭和45年(1970)1月17日、北海道恵山高等学校は北海道教育委員会より設立を許可された。恵山高等学校は尻岸内町立、1間口・定時制課程・漁業経営科として、同年4月18日、尻岸内町立古武井小学校を仮校舎に開校式ならびに入学式を挙行した。
 昭和47年(1972)1月20日、校舎第1期工事完成、続いて同年5月2日には生徒たちが待ち望んでいたグラウンドの第1期工事完了、同10月3日には校舎第1期工事が完了の運びとなり、名実ともに北海道恵山高等学校が船出した。
 昭和45年4月19日付、北海道新聞は次のように報道している。
 
 “育て漁業後継者” 町立恵山高で開校式
           昭和四十五年四月十九日付『北海道新聞』より
 【尻岸内】 渡島管内尻岸内町立恵山高校(滝川茂登校長)の開校式と入学式が十八日、古武井小屋体でひらかれた。同校は地元の希望でことし一月道教委から設立を認可された季節定時制高校で学科は漁業経営科だけ。定員四〇名に対して志望者は少なく、第一回新入生は男子四人、女子六人のわずか十人、一人を除いて全部町内の中学校卒業生。入学式に参列の父母や来賓の方は多く、地元の念願がかなって迎えた晴れの開校式だけに大喜び。『小粒ながらも自信と誇りを持って立派な伝統と校風を育てよう』という滝川校長の激励に対して、新入生を代表して村上信一君は『新しい漁業後継者となるようしっかり勉強します』と答辞を述べた。
 同校の教職員は校長を含めて五人。午前中は自宅学習、午後は登校し授業を受ける。校舎は当分改造した古武井小の三教室に間借りする。
 
恵山高校創立の頃  回想『開校三十年記念に寄せて』(漁業経営科第1回生村上信一)より
 恵山高校開校式・入学式に、10名の第1回新入生を代表して答辞を述べた村上信一氏は、母校の30周年記念誌に開校当時の回想を寄せている。
 
 「危ないぞ!ロープから手を離せ」と、先生の声が響き、辺りに緊張感が走った。これは、ロープ製作実習のシーンです。昭和四十五年四月、古武井小学校体育館で開校式並びに入学式が行われました。古武井小学校出身の私にとって、高校生活を母校で送ることになるとは、思っても見なかったことでした。漁業経営科の第一回生として入学した十名の精鋭達と言いたいところですが、我々の前には、先輩はいない、伝統もない、あるのは不安ばかりでした。が、その中で先生の教えだけが高校生活の指針でした。
 全道でも珍しい昼間定時制漁業経営科。先生方は全道から選抜された優秀な方ばかりで、漁業分野でのエキスパートとして、何もない状態の中から創意工夫し、必要な器材を作り上げました。冒頭に書いた文章は、その一つのシーンです。古いテグス製の流し網をグラウンドに三本伸ばして、三本をそれぞれ別々によって、徐々に網が棒状に強く堅くよられたところで、「ギッチョ」と呼ばれる木製の工具で、三本の網を合わせて一本の太いロープに作り上げていく作業です。この時に、ちよっとでも力を抜くと、ロープにはじかれたり、指を挟めたりして怪我をする恐れもあるので、担当の先生が、われわれ生徒に注意を引く意味を込めて大声で怒鳴ったのでした。こうして作り上げた手作りのロープは、コンブ養殖の研究に使われました。
 当時は高校でやっていることが、少なからず町民の関心の的でした。産学同体という言葉を先生方から聞くたびに、恵山高校で開発した「育てる漁業」のノウハウを、漁民に提供することが自分達の使命のように思えていったのを、今でもはっきりと覚えています。
 現在のコンブ養殖事業の繁栄の陰には、恵山高校漁業経営科のもとで、先生と生徒が一丸となっての取り組みがあった。その足跡を忘れてはならないと思います。さらに、この実践は、その後のウニの人工種苗生産へと発展していったのです。
 このように、今までの「獲る漁業」から「育てる漁業」へと、漁民の意識を大きく変えさせていったものの中に、恵山高校の存在があったとものと確信しております。
 身をもって学ぶこと、体験することの大切さを教えてくれた恵山高校。私はこの学校で学んだことを誇りに思っております。
 
 第1回新入生の人数は少ないながらも、この回想にあるように、教師と生徒一丸となった教育活動は着々と実を結び、地域の漁家からも高い評価を受けた。以降、尻岸内町は勿論、椴法華村からの入学者も年々増加し、設立のねらい「地域の漁業後継者の育成と漁業振興」に着実に応えてきた。昭和52年(1977)開校5年目にして渡島教育局よりその成果が認められ「渡島教育実践表彰」を受賞する。そして、昭和58年(1983)には全日制課程の漁業経営科に移行したが漁業後継者の減少により、昭和61年(1986)には普通科に学科転換、設立16年にして恵山高校は漁業経営科の幕を閉じ新たな歩みを始める。