函館市/函館市地域史料アーカイブ

恵山町史

第5編 交通・通信

第2章 郵便・電信

第3節 郷土の郵便の歴史

 明治8年に支村根田内に5等郵便局が開設、取扱人に廣島萬兵衛が任命され業務に従事する。その2年後、同10年には尻岸内本村に同じく5等郵便局が開設、秋田多三郎が取扱人の命を受け業務に従事する。取扱人・局長といっても、郵便物の逓送から配置までを1人で取り扱い、毎月、勘定表に郵便の数量等を記入し函館支庁駅逓掛へ報告、指令に従い通信事務を滞りなく行うなど、郵便局業務は責任の重さと相当の労働量であった。それに引換え手当は形ばかりの月30銭と小額で、取扱人の主な収入は郵便物の取扱い手数料、いわゆる請負制であった。
 明治16年3月「駅逓編成法」が公布され、翌16年8月16日「尻岸内3等郵便局」(一時、大澗郵便局と改称)が新たに開設、遅れること19年、明治36年12月10日初めて古武井に郵便局「古武井郵便受取所」が開設された。この「駅逓編成法」による郵便局は、いわゆる近代的な組織に改組−現在の郵便局のルーツとして生まれ変わったといえよう。なお、古武井郵便局の開設については、明治36年戸長役場が移転(字武井から字古武井)に伴い、村が郵便局の開設を要請したものと推察する。
 
〈当時の逓送夫〉 新しい郵便局の逓送夫について、尻岸内町史に、古老の思い出話として「当時の逓送夫は、それと解(わか)る半纏に股引、饅頭笠をかぶり足には草鞋を履き、鈴のついた天秤棒の両端に郵便物をくくり付け、それを担いで足早に村々を通り抜けていったものだ、“お上の御用を仰(おお)せ仕(つか)っている者だ”という気構えなのか、鼻息も相当荒かったように感じられた」と語ってくれた、と記されている。
 
〈小包の郵送〉 郵便局とは手紙やはがきを出す所だと思っていたのが“小包を送ることができる”は驚きであり、また、大いに歓迎された。この小包郵便取扱法発布の翌年、明治26年2月からは函館・札幌他9局で小包郵便取扱いが開始され、尻岸内郵便局での取扱いは、それより少し遅れて明治32年(1899)12月1日から、古武井郵便局は同36年(1903)12月16日からであった。以下に、当時の小包郵便の規定を記す。

別表 小包郵便料

 
 勅令第五十七号『小包郵便取扱法』
                   明治廿五年六月二十七日発布
 第一条 小包郵便料ハ小包郵便物ノ重量及其差出郵便局ヨリ配達郵便局マデノ里程ニ従ヒ別表ニ依リ徴収ス。
 第二条 郵便局市外ニ送達スル小包郵便物ハソノ重量ニ従ヒ別ニ左ノ郵便料ヲ加収ス。
     小包郵便物壱箇重量六百匁マデ       弐銭
      同        壱貫匁マデ       四銭
      同        壱貫五百匁マデ     六銭
     明治廿九年四月二十八日 勅令第百五十三号ニテ第二条ヲ削除
     第三条ヲ訂正ノ通リ 別表ノ通リ改正
 第三条 小包郵便物ノ容積及重量ハ左ノ制限ヲ超過スルコトヲ得ズ。
      容積 長さ曲尺弐尺 幅曲尺弐尺 厚さ曲尺弐尺
      重量 壱貫五百匁
    *括弧内の規定は明治廿九年改正された。(但し幅及厚各五寸以内の物は長三尺を限り差出すことを得)
 第四条 小包郵便物ノ当期価格ハ金百五拾円ヲ超過スルコトヲ得ズ。
 第五条 価格登記小包郵便物ノ保険料ハ登記金額壱円マデ金七銭トシ壱円以上ハ壱円マス毎ニ金壱銭ヲ加フ。
 第六条 通常小包郵便物ノ損害ニ対シテハ重量百匁ニ付金拾銭ノ割合ヲ以テ之ヲ賠償シ其壱部分ノ損害ニ対シテハ制限内ニ於テ其損害ノ多少ニ従ヒ之ヲ賠償ス。
 第七条 価格登記小包郵便物ノ賠償ニ対シテハ其登記金額マデ之ヲ賠償シ其壱部分ノ損害ニ対シテハ登記金額ニ於テ其損害ノ多少ニ従ヒ之ヲ賠償ス。
       附  則
 第八条 小包郵便物ヲ取扱フ郵便局ハ逓信大臣臨時之ヲ告示ス。