函館市/函館市地域史料アーカイブ

恵山町史

第4編 産業

第3章 鉱業

第2節 鉱業のあゆみ−砂鉄

4、戦後の砂鉄

 古武井・日ノ浜・女那川・中浜一帯の砂浜や小さな砂丘中に存在する砂鉄である。この海浜砂鉄について、北海道大学、牛沢信人助教授が通商産業省編『未利用鉄資源』第2輯(昭和30年10月)に報文を載せているので、その概略を記す。
 
 尻岸内(恵山町)地内は段丘がよく発達していて、高度(海抜)4~5メートル・10・20・60メートルなど数段が数えられる。これらの段丘堆積物の少ない部分は海成層よりできていて、往昔、海岸が深く入り込んでいたことを示している。この海成層は砂鉄を含んでいる。古武井川の川口を挟んで2キロの砂浜が広がっており、その陸側には海岸線に平行して砂丘が発達している。砂丘は奥行き60~70メートル、海抜30メートル、高度数メートルとなっているが、こうした砂丘の規模や海岸平地の消長は砂鉄鉱床の生成と密接な関係がある。また、選鉱などの作業に最もよい条件を備えている。
 地質全般についてみると、緑色凝灰岩、凝灰岩質頁岩、凝灰質角礫などからなる新第3紀系が発達し、東側古武井市街の背後には恵山火山の基底をなす火山砕屑岩が著しく発達している。この新第3紀層を貫き、あるいは覆って海中に岩礁となって輝石安山岩、粗粒玄武岩が発達しているが、この岩石に含まれる不透明の鉱物(鉄鉱物類)の殆どが、すべて赤鉄鉱質鉱物であることが注目される。また、輝石安山岩は黝(ゆう)黒色(青みがかった黒色)をしていて紫蘇(しそ)輝石を含みその中に含まれる不透明鉱物は含チタン磁鉄鉱である。
 また、海岸から深く陸側に入り込んで分布している数段の段丘(海抜4~5・10・20・60メートル)の中には砂鉄が賦存されている。鉱石は新鮮で酸化汚染はなく、その主体をなすもの含チタン磁鉄鉱で、脈石粒について多い方から、紫蘇石・単斜輝石・斜長石・石英などからなっている。これは古武井川沿岸の更新砂鉄(山砂鉄、後述)も女那川(中浜)砂丘も他の海浜砂鉄もほぼ同じ傾向がみられ興味深い、片刃状鉄鉱物粒は殆どすべて輝石粒に付着している。」               (以上 北大 牛沢報文 1955.10より)
 
 こうした海浜砂鉄、主として日ノ浜から中浜海岸一帯に存在する砂鉄は、沖積層砂鉄と呼ばれるもので、波で打ち上げられたいわゆる汀線打上型であり、これに風の力が加わって形成された風成層でもあろう。
 
<日鉄鉱業の操業>  この、海浜砂鉄の採掘の殆どは日鉄鉱業の手により、尻岸内鉱山古武井現場(日ノ浜)・女那川現場(中浜)の2か所で、昭和25年頃(1950)から同43年(1968)まで採掘され、精鉱60万5千トン余りを生産(札幌通産局調)している。
 古武井現場は、古武井川川口南西方向、寄貝歌までの海浜で「日ノ浜」海岸と呼ばれる鉱区である。昭和25年頃(戦時中より調査は進められていた)から操業、翌26年(1951)初年度の生産5,829トンを上げ、昭和43年(1968)16,975トンを生産(昭和43年は廃砂再処理・着磁率4%を含むと推察)するまで、18年間平均2万5千トン、総生産高41万2千トン余りを上げている。ここは町内の砂鉄鉱山で1番期間が長く生産高も最も多い。(生産高については札幌通産局調 別表参照)
 日鉄鉱業の砂鉄採掘法は、古武井現場「日ノ浜」の砂鉄層の厚い隆起砂丘に「磁気選別機」を据え付け「注水用送水管」を延々と敷設し砂鉄を採集するという方法であった。操業開始5年目の昭和30年(1955)には日ノ浜の生産高と女那川現場「中浜」の埋蔵量・生産の見通しから、輸送の効率化を図るため寄貝歌に砂鉄積出桟橋を建設し、専用運搬船による室蘭・釜石・八幡の製鉄所へ移出を開始した。ところが、この桟橋は同30年12月27日の暴風雨波浪により破壊、流失してしまう。そのため砂鉄の生産は一時調整をしたが、同32年(1957)には、1億3千万の巨費を投じ、より堅固なベルトコンベアー式桟橋を再建、これは当時東洋一と謳われた。そして、同年、女那川現場(中浜)も採掘を開始し、翌年の昭和33年(1958)から同41年(1966)まで、「日の浜・中浜」の生産高を合算すると、年平均4万7千トンあまり、月産約4千トンを上げている。
 女那川現場「中浜」の採掘は昭和32年(1957)に開始、同40年(1965)までで、翌41年に廃砂再処理(着磁率4%)を行い、10年間の総生産高192,527トンとなっている。(生産高については札幌通産局調 別表参照)
 これら海浜砂鉄「日ノ浜・中浜」の精鉱品位は、Fe56.9~52.2%、TiO2 5~6%で、高率の品位であった。