函館市/函館市地域史料アーカイブ

恵山町史

第4編 産業

第3章 鉱業

第1節 鉱業のあゆみ−硫黄

5、北海道硫黄取調書(恵山)北海道大学所蔵

○歴来
一、恵山の硫黄は古来より人の口に膾炙(かいしゃ)する所にして、其開採せし始めは距今大凡(おおよそ)三〇年前、箱館の商人東屋某なる者にて之に続きて、二七、八年前、大〆(だいしめ)函館の商なる者銀主となり。三か年間堀採れり、当時人夫の多少及び石数共に審(つまびらか)ならず、その後久しく廃山となれり。距今一七年前現今の堀主、下駄屋又右衛門なるものの父、官許をうけて再び開業し、始め二日年間は二〇人乃至三二、三人の人夫を発し堀採りしを以って一か月間に精製品百石余りを出せしこと少なからず、延びて距今五年前までは一〇人乃至一二、三人許(ばかり)にて堀採れり。夫(それ)より後二年間全く廃業せし處(ところ)、一昨年に至て弘前の商人宮本金平なる者一六人の人夫を以て、首夏より八月下旬迄堀採、昨年も首夏より八月迄一一人の人夫にて堀採しかども、遂に亦廃業せしを以て、下駄屋又右衛門又々、子タナイ村村役勘平なるものと相謀り、今春三月より一一人の人夫を以て堀採たること三〇日許、而して現今僅かに三人にて猶(なお)堀方並びに製方に従事せり。之より先き堀採に掛かるは毎年三月中旬より始め九月下旬迄にて休業せりと言う。
一、往日、又右衛門の父並に当人の盛に開採せし頃は、一か年製し上より八百石に至りしこと、一次七百五十石のこと一次ありし等を以て一番繁盛の時とし、其余は三百五十石乃至四百石に過ぎざりしと言う。
一、距今一四年前は箱館奉行物産局にて、其精製品百石に就き金百円の割を以て買い上げたりしに、其頃は下直たりしにより相当の利分ありしを以て、此割合にて四年間許上納せしに、爾来(じらい)物価の次第に騰貴せるを以て、夫より後二年間は百石に付百六十円にて上納せしと雖(いえ)ども利を見ることなきにより、遂に百石に付き二百円にて上納せしことを願出せし處、新令ありて毎年能(うま)く金三〇〇円及び硫黄五〇石を納むるときは、石数を問わずして堀採るべしと、是に於て其令の如く一か年及び翌年の五月迄開採に従事せし処(ところ)、等を成さざるを以て願書を出して廃業し、同年は徒に先年の堀残りを集め抔して了(おわ)れりと、是即ち北海道兵燹(へいせん)の年なり。是より先き、銀主は終始、函館商人矢川屋四郎左エ門たりと言う。
一、一昨年弘前の一商宮本某の従事せしときは堀高一割の税を官に納れて許可を受け、亦、現今の堀主又右衛門並び村役勘平も同く一割りの税を納る願いにて今尚従事せり、但し銀主は依然矢川屋にて其一割りの税は金にても硫黄にても共に可なりと言えり。
一、余、帰函後矢川屋を招き之を問うに、矢川屋言く某硫黄銀主となりしは前後一〇か年にして其間豊な歳は精製品千石許を得しことありと雖(いえ)ども、然れども一〇か年を以て之を成算すれば其得る処并せて六千石余りに過ぎず、又現今は下駄屋方へ金を借しその荷物を渠に代て売るのみにて豊凶並びに税銀共に関係する所なしと言う。
一、按ずるに恵山硫黄の歴来を詳記する、頗(すこ)る難し、又其堀採り多寡を詳算すること亦容易ならず、是れ其伝聞する所と問尋する所と齟齬(そご)すること多ければなり、然れども予が兩次恵山に登りて其開採の跡を目撃せし所と、是迄硫黄の世用を為せし件を并せ前文記する件々に照準し其大略を考えるときは三〇年来より今日迄堀採りし惣高は八、九千石に過ぎざるべし、其故は我民歴来硫黄を用いしは時に之を以て引光妓(つげぎ)(付け木)を製し火薬を造るの二件に過ぎざるを以て其用極めて狭とす。故に一次に之を大売することなく、もし大売するときは其値頓(とみ)に低下するを以て算を成さずと聞けり。乃(すなわ)ち今時と雖(いえ)ども未だ内地に於て大に硫黄を開採する者あるを聞かず、況や旧日の北海道に於てをや。然れども我民の知力日に進みて百般の新工業を興すの期に至らば相争て硫黄を問う者紛生するは必然たり。而して其期は既に近きに迫れり我力見る所を以てするに、現下硫黄の値貴きを困(くるし)みて各種の業を并刃めざる者往々之有り蓋し我れ我が硫黄を採り以て自ら硫酸を製するときは、舶齎品(はくせいひん)より五、六倍の低価に至るべく而して百種の生計亦之に頼て、以て紛起すべし其未だ之を製出せざるは我民未だ硫酸の用を知る者少なきに由る。先哲「リーヒフ」氏曰く一国開化の度は硫酸を用いるの多寡を按(お)して知るべく、而して政府の最も注意すべきは硫黄に在りと是れ真に活眼者の論と謂べし。
 
○地位
一、恵山は「ウオルカノ」湾口東南の岬を為せる噴火山にて山頂噴火の烟雲際に靉靆(あいたい)して絶歳不絶相伝、東風の起るときは烟を吐くこと常に倍すと、山下一漁村あり「子タナ井」村と名づく函館を距(へだて)る一一里許漁家接続臨海一百有余に及ぶと雖ども概子(し)皆貧窶(ひんく)の姿を顕せり。海岸は磯山焦(礁)乱布て漁舟の外絶て出入すべからずと雖ども、村口より一〇丁許の処に東風(ヤマセドマリ)と名くる一小湾ありて大小和舩一〇数隻をし得べし。漁事の時に於いて諸皆茲(ここ)に来て梱載し村人の衣食亦多くは資を此湾に仰ぐと言う。
一、村より恵山に上るに二道あり一は捷路(しょうろ)にて、山上硫黄精製場迄一里に過ぎずと雖ども登り頗る急なり、一は登り緩にて駄馬の通行する路なり、此路を行くと雖ども村より精製場迄一里半に過ぎず、故に現今山上精製場より常に馬を以て其硫黄を村に運輸する必ず此路に由る。而して毎日両次往復還するを以て常とす。予、恵山に登ること三次、毎次登路異にて其地形を諦観(ていかん)するに、此山の硫黄を大に開採て運輸せんとするには此路に如く者なし。只路傍処々に修理を加え、而て岡を伝って直ちに東風に出すときは更に便利なるべし。
一、村よりして山麓を行く一〇数丁間は地勢次第に高きを以て疲労を覚えず。夫より以上は、(但し、前に謂う所の捷路(しょうろ))峻坂を挙て始めて山上に達するを得、此際処々に雑木の生ずるを見ると雖ども、伐て以て薪をなすべきもの甚だ稀なり。又一絛の流れありて山麓を廻る。其水硫酸及び明礬(みょうばん)を含む、頗る多きを以て渋味口を刺し絶て飲む可からず、其色亦少しく濁れり。
一、山上は意外に開豁(かいかつ)にして横七丁竪一四、五丁許平夷の地あり此処に土民硫黄を精製する小屋二宇あり、今現に三人の坑夫居住て以て精製に従事す。小屋より西の方一丁許にて一小河あり河の向かいに山手より流れ来る清水あり坑夫の汲みて以て飲料に供するものなり。又小屋の側に温泉あり、坑夫及び「子タナ井」近村の民罹病者来て浴する所なり、其湯少しく熱に過ぐると雖ども傍に冷水流れ来るを以て温熱意如くすべし。味渋きこと山上の流れに倍す、予、試に其少許取りて之を烹(に)るに多量の硫酸礬土(ばんど)(酸化アルミニウム)を得たり。
一、精製場より採硫処迄は七、八丁より一五、六丁に過ぎず地形次第に高しと雖ども、嶮しいと称するに足らず。其採硫処は山頂にあらずて山腹及び歩頭にあり此辺大小噴火口枚挙すべからず。其孔の径大なるものは四間に及び小なるものは四、五寸より二、三尺に過ぎず、其噴出す烟は硫化水素瓦斯たるを以て臭気殆ど腐卵の如し。其瓦斯孔中より奮出する勢の猛なること火舩の汽を抜くが如し、或いは昔時噴火し今全く消滅して、只空孔を残すものあり、抑も此処大凡七、八千坪の地皆多少硫分を含めるを以て之を以て硫黄を産出すべしと雖ども、上等の硫黄は現今盛に焼け出る火口及び其近傍より出づ、旧火口次之(の)歩頭より出るものを以て下品とす。其詳、下文に詳なり。
一、採硫の妨を為すものは火口より吹出る硫化水素瓦斯及硫酸瓦斯なり、此瓦斯吹吸を塞ぎ人体に害あるを以て甚だしく吹出る時は其近傍と雖ども近づき難し。然れども時とては其勢大に衰うることあり、共に風の方位に関すると言う。其勢の微なるときは、坑夫はハシゴを以て孔内に入り熱気と瓦斯を侵して能く採硫す、危業と謂べし。此瓦斯の害あることは、予に随行の二、三子之に撲(たお)れて眩暈(めまい)殆ど気を失わんとするに至れりものあり。然れども其採硫に熟する者は太(はなは)だ難とせざる者の如し。渠斯(かか)る難業を営むときは常に砂糖を含みて従事す。其理解すべからず。
一、噴火口及び其近傍には上好の硫黄赤黄色を為て現出するを以て鶴嘴又は唐鍬を以て之を堀採るのみ。然れども其厚さ三寸より五、六寸に過ぎず、其容易に採得べき歩頭に存するものは地を鑿ること尺余にて始て現出し其色は礬土並に沙に混ずるを以て鼠色に少しく黄色を帯ぶるのみ、而して其厚さは四、五寸より七、八寸に過ぎず。
一、前に挙ぐる採硫処は精製場の向かいなる恵山噴火口の前面にて、噴火口の裏面にも亦硫面は山道紆回(うかい)せるを以て堀て之を精製場に致すに頗る難しと雖ども、運路を少しく修繕するときは大にこの難を減すべし。裏面硫黄を産する処は現下瓦斯の発出することなく、且つ其硫黄の厚さ四、五寸より一尺に至ると雖ども、地面狭小なるを以て其惣高前面の四分の一に過ぎざるべし。
一、抑も恵山硫黄は現下盛に焼出る火脈より不断発散する硫化水素瓦斯及び亜硫酸瓦斯に由て以て、産する所なるを以て、其質他の石羔(せっこう)或は礬土其他の土石等上層に層を為て産する硫黄の如く堅硬ならず、又絶(たえ)て正しき層を為さずて只彼処此処に散在するのみ、然れ雖此地の硫黄現下発散する硫化瓦斯の自然に分析て以て産する所なるを以て、今開採したる跡は数十年の星霜を経れば再び硫黄を産するは必然之を期すべし。其故は今一、「ヱキユイハレント」の亜硫酸瓦斯と二、「ヱキユイハレント」の硫化水素瓦斯と相逢うときは、二気相分析の硫黄と水の二物に変ずることは之を試み得べければなり。既に以太利亜国(イタリア)有名火山、「フヒシユフヒユス」に産する硫黄は其堀採し跡三〇か年にて復硫黄の固着すること故の如しと言う。
一、我等坑夫一人に就て毎日何程の硫黄を採得べきを実験せんが為に、一五人の人夫(中六名は曽て開採に従事せし者)を発し、朝九時半より始めて午前毎夫二次午後一次一時より三時まで採硫処より精製場に持ち帰り其高并て四五〇貫目を得たり、其採硫時は四時間たり。故に毎日毎夫四時間働きて硫黄三〇貫を得たり。而して其堀採りし硫黄は上中二等品たり、もし下等品を交んとせば其量之よりも増加す。
一、坑夫の居宅は前に記する山手平夷の地、即ち現今精製場の辺に数百戸を建得べし。而して冬分と雖ども此山に越年し得ると言う。
一、精製場の前面にある小山に良好の粘土現出す、是粘土は取て以て硫黄開採の助を為す諸種の用に供すべし。只此地に欠く所のものは薪のみ。
 
○性質
一、上中下三品あり、火口の周囲に産する者を以て上とす。火口の近辺或いは旧火口の付近に産する者を以て中とす。火口を距る頗る遠き歩頭より堀出すものを以て下とす。上は其色赤黄間に在て太だ美なり中は黄色に少しく灰色を帯部、是沙及礬土の混ずるによる。下は灰色に黄色を帯ぶるのみ、盖し上等中に就て最上なる者は殆んど他物を交えずて精製品と恰も一般のものありと雖ども、其品稀少なるを以て下文に挙ぐる八割八分前後硫分を含めるものを以て上と為す、上は既に人の撰び採りしを以て其量大凡現下存在の惣高一五分の一に過ぎざるべく、且つ之を採るに頗る難し中は五分の一に居るべく下は容易に採得べくして、而其量極て多しとす。
一、予、此地の硫黄数種を分析するに、左の如し、但最上品九割以上の硫黄を含める者は多く得べからずを以て之を除く。
   上     硫黄八割八分   砂及礬土 一割二分
   中     同 八割一分   同    一割九分
   中ノ下   同 七割二分   同    二割八分
   下     同 五割六分   同    四割四分
 附録 予、此地の硫黄を細末に食留水を以て之を烹るに酸性液を得たり於是試験薬を以て之を試し其硫酸礬土及緑礬の所為なるを知れり。其理盖し火脈より発する硫化瓦斯大気及び水蒸気に逢て硫酸に変し、其硫酸地中に含たる礬土及酸化鉄を浸蝕溶解するによって生ずるものなり。然れども其分量は特に、一千分の九に過ぎず。
一、前試験表を閲(み)して以て、此地の硫黄は「シシリヱ」(シシリー)国名、及び「ナーペルス」イタリー国都会付近の「ポズヲロ」地名、等より産する硫黄よりも遥かに愈れるを知るべし、「シシリー」国硫黄産するの多きは世界に名高く、而て欧州各国大抵皆之を買入て以て百搬の用に供する所なり、其礦は頗る富める者と称す。而て其硫黄を含む三割乃至五割に過ぎず「ポスヲロ」の礦も亦硫分を含む一割乃至一割二分に過ぎず、然れども猶且つ之を精製して以て利無しとせず、然らば則ち我の認めて以て貧と為すものは彼に在ては富めるものに属す。
一、此地の硫黄は如是良好なりと雖ども、村民精製の法甚だ拙劣なるを以て損失する所極めて多し、故に予先ず村民の陋法及び一切の入費用を細記し、次に欧州に於いて用る諸法を図説すべし。
一、茲に予が持論あり、一つは恵山硫黄礦上中及び中の下三品(六割五分以上硫分を含める品)は精製するを要せず直ちに之を東京大阪等の如き都会に輸出し以て硫酸製造場に売る、是なり、何となれば硫黄分を含む六割五分以上のものは、薪を要せずに自然に相転燃すればなり、盖し天下硫黄を用いるは硫酸を製するより大なるはなく、而して之が為に用いる硫黄は決して精製品を要せざればなり、況や硫黄の価は逐年騰貴するを以て、現に英語仏等国硫酸製造場に於いては、硫黄を用いずして硫化鉄鉱を用いるをみれば六割五分以下の品と雖ども、直ちに之を運出して尚益なしとせず。何となれば硫化鉄鉱を用いるときは特に其礦一割より一割四分の硫黄を得るに過ぎざればなり。一つは其最下品のものは下文洋法の一を撰び以て之を精製するに在り、斯(しか)る精製硫黄は硫酸を製するに供せずして他の工芸に用ゆべしとす。
 
○村民硫黄精製法及び其機具より一切諸入費を記す。
一、前表に列する下品硫黄を採り之を内径二尺七、八寸深さ一尺厚さ五分の算盤状の鉄鍋(之を烹鍋と名づく)に納れ其上に上部少しき開きたる鉄製筒形高さ一尺二、三寸上の口径二尺三、四寸の者(之を上釜と名づく)を載せ、而して硫黄を投入すること上釜の口迄に至り火を以て鍋を焼く於是熱度により硫黄溶解すと雖ども、土類多きを以て濃凝して流体をなさず、然れども上部より次第に新なる硫黄を加えるを以て、遂には土分は鍋底に降り硫分は上釜の口より浮び出て土水に流出す、此流れ出たるものは其色殆ど灰墨の如くにして更に硫黄の観を為さず。而して冷たる後は其質甚だ剛し是即ち疎製硫黄なり、夫よりして之を砕きて別の鍋(之を製鍋と名づく、大さ烹鍋に同じ)にて溶解し其始め上面に浮び出る浮物を索(なわ)にて作れるサ綱(デ)(叉手網(さであみ)か)を以て除き、而して清めたる硫黄を柄杓に酌み麻嚢に漉して、古き鉄鍋又は樽型に鋳込て凝結せしむ。是即ち精製硫黄なり通例疎製硫黄三〇貫を以て、精製硫黄一七貫を得るを以て常とす、と言う。一、上一品は直ちに之を製鍋に溶解して型に鋳込み麻嚢にて漉すことなし。
一、予此疎製硫黄を分析するに純精硫黄六割四分五厘七毛を含めるを知れり、今下品硫礦は五割六分三厘三毛の硫分を含むと為すため算するときは、前文疎製法にて僅に八分二厘其品位を進めしに過ぎず。又疎製硫黄三〇貫を以て精製硫黄一七貫を得るときは八分の減を生ぜるなり、何となれば疎製硫黄は一〇〇貫中に六四貫五七〇目(匁)の純硫分を含むと雖ども、前法に由て精製するときは五六貫六六〇目(匁)の純硫を得るのみなればなり。
一、精製硫黄に至っては、予其二品を検するに硫分九割九分六厘七毛を含めるを知れり、殆ど純硫と称すべし、雖然同じ精製品に就て鋳型の上部と下部とは醇駁品異(じゅんばくひんい)は必然たり。何となれば硫黄の凝結する際に方(かたむき)て土類は次第に下部に沈殿すればなり。予の分析したるに二品は恐らく下部にあらずして上部或いは中部たるも知るべからず。
 
○村民採硫及精製器具代価並坑夫給金一切諸雑費表(但し昨今年の相場を以て言う)
一、鶴嘴   目方六〇〇目(匁)        金 三分 函館相場
一、唐鍬   目方四〇〇目(匁)        金 一分三朱乃至二分
一、烹鍋   目方三〇貫乃至三七、八貫不等   金 一六、七円村相場
一、上鍋   二か年余り保ち得ると言う     金 四円
一、製鍋   大きさ烹鍋に均し只薄きを以て目方一〇貫目
                        金 七円五〇銭
一、麻    一端に付             金 一分二朱
一、叺    硫黄を包むに用う         金 一朱
一、薪一敷  幅三尺高五尺長一丈を一敷と言う  金 一円一分二朱
一、坑夫月給 但し食料煙草等諸雑費は皆此外なり 金 三円
 食料は毎額一日米一升一合外に味噌醤油漬物煙草を與う、味噌は米拾俵(四斗俵)一付二樽の割合を以て與う(一樽は一二貫目許)
 矢川屋なる者は坑夫の給金硫黄精製一〇〇石に付金四〇円を与え食料は毎日毎額白米一升を与えるのみにて煙草味噌等を与えず只朔望に両次酒を与えしと言えり。
一、坑夫   南部秋田の民を以て良とす
 
○土民硫黄一〇〇石を精製して函館に出す惣入費
一、金四一円二五銭          薪三〇敷
一、金一一円二五銭          麻嚢
 但し硫黄一〇〇石を製するに麻三〇端を要し毎端金三七銭五厘
 ・嚢は三、四次用いし後破れて用に適せずと言う。
一、金三二円             烹鍋二枚
 但し四〇〇石に付八枚の割合
 ・烹鍋は三〇日用いるときは浸蝕せられて用を為さずと言う。
一、金七円五〇銭           製鍋一枚
一、金四円              上釜一枚
 但し上釜は二か年も保つものなりという。
一、金四五円             坑夫四五〇人給金
 但し毎日一人に付釜迄持来る硫黄目方大凡六五貫製上り一〇貫目なりと
言う疑可
一、金一九円七五銭と銀三匁      飯米四石九斗五升
 一石四円の割合
一、金四円              味噌二樽
一、金一五円六二銭五厘        叺二五〇枚
一、金一〇円             坑夫に与える煙草諸雑費
一、金七円八一銭二厘五毛       山より村迄の駄賃一〇〇石の代
 一馬二叺にして毎叺一〇貫目一馬の代金六銭二厘五毛
一、金二五円             東風より箱館迄一〇〇石の船賃
 共計金二二三円二五銭と銀三匁
 是れに一割合税銀を加えて(但し精製硫黄一〇〇石に付価二五〇円と見積もりて)
 ・二四八円二五銭と銀三匁
一、右諸入費は、予自ら現今堀主「子タナイ井」村々役勘平及び下駄屋又右ヱ門を招きて問糾する所に係ると雖ども過当の算ありて疑うべき処多し。何となれば方今箱館硫黄の相場一〇〇石に付大凡金二五〇円たるを以て差引正利僅に金一円七五銭に過ぎざればなり。盖し前二人の堀主は恵山硫黄開採願人にて銀主は箱館矢川屋たるべく、而して、銀主専ら其利を擅(ほしいまま)にし堀主亦陰に其私を逞(ちょ)うするを以て渠等の演説する処往々齟齬(そご)せる所あり。其一、二を挙げれば東風より箱館迄の船賃は時節に由て小不同ありと雖ども、通例一〇〇石に付金一六円より二〇円に過ぎず、又山上より村迄の駄賃も前表に挙げる四分の三にて足りる、又硫黄一〇〇石を精製するに前表の如き多人数及器具を要せざる等是なり。
 
○村民疎精二法の短を論ず
一、前文村民精製法は欧州に於いて富める硫礦を精製する方に近しと雖ども、三個の短処あり。一つは竈の筑方疎なるを以て薪を費すこと多くして熱力を損する是也。一つは硫黄溶解に便宜の熱度を知らざる是なり。一つは其溶解したる硫黄を麻嚢を以て漉す是也。盖し麻を以て漉すときは精品を得ると雖ども、一〇〇石毎に三〇端の麻を費さざるを得ず、今もし硫黄溶解に適宜なる熱度に着意しめ土類の全く沈降するを待て之を型に鋳るときは、麻を以て漉すを要せずしめ頗る上好の硫黄を得べければ也。其疎製法に至っては全然改革しめ、第二図或いは第三図に示す所の方に倣うべし。
 
○西洋諸国硫黄精製各自法を記す
一、富める硫黄を精製するには第一図の如く煉火或いは自然石を以て筑きたる竈に鋳鉄の厚き鍋数個を列して安し一火口より火を焼きて、其火数鍋の周囲を転回して始めて煙通(けむりだれ)に達せしむこと、茲に最も注意すべき一件は火力に在て、其火度は摂氏寒暖計で、一五〇度を越えるべからず。其理何となれば硫黄の性たる摂氏一一二度の熱度にて始めて溶解し一五五、六度迄は黄色の薄き流動体を為し、一六〇度を過ぎるときは次第に濃厚の流体に変じて橙色を為し、二四〇度より二六〇度の間には其濃厚なること殆んど飴の如く、而して赤棕色(せきしゅいろ)を為し三四〇度を過ぎれば再び少しく薄き流体に変じ、四二〇度に至り沸騰し遂に揮発して飛散すればこと也。是故に今一五〇度以内の文火以て徐々に溶解し、鉄棍を以て時々攪棍(かくこん)して全分悉く薄き流体を為すに至らしめ土類をしめ、十分鍋底に沈殿せしめて後、上面に浮かべる汚物を除き、其清める硫黄を鉄製の柄杓を以て酌み之を木又は馬口鉄(ブリキ)製の型に鋳込むべし、此型は其前に水を以て濡し置くを要す。
 
又法
一、此法はイタリア国「ナーベルス」府近傍「ポズヲロ」硫黄山に於いて用いる所にして、第二図の装置の如く土壜(どびん)の積は大凡一斗四升入許にして、之を煉火石にて筑き建各竈中に二列に並ぶること十数余、而して竈の外側左右には同形の土壜(どびん)を列し以て内部の土壜(どびん)中より蒸留し来る硫黄を受ける供すこと。竈は図の如く上狭く下開きたるものにて、其長さは土壜の数によって均しからず火焼口は一方にして薪を用いて焼くなり。竈中に列子たる土壜は其口竈背に少しく出づ、是れ壜(びん)中に硫黄を納れ、又は其焼後の沙土を除き易からしめんが為なり
 偖(さて)「ボスヲロ」にては其地に産する硫黄の交れる沙を壜中に納し盖(ふた)を覆い竈に火を点す、是於て内部の硫黄其熱力の為に溶解し遂に蒸留して乙の土壜に入る、乙の土壜は硫黄の熱度によって熱せるを以て其留れ来る硫黄此中にて溶解し、丙の口より流出して丁の桶に入る、此桶は預め水を充て置き硫黄をして直ちに凝固せしむ。
一、毎壜硫黄交の沙六貫六五〇目を納し七時間焼きて一貫八六二目乃至二貫一二八目を得るを以て常とす。
一、此法にて得たる硫黄は常に八分乃至一割の沙土を含めるを以て疎製硫黄と称す。故に正製品を得んと欲せばいま一回蒸留を要す。
一、此法にては純硫を含むこと百分の八より十に至る貧鉱は用いるとも可なりとす。
 
又法
一、此法は硫黄を以て薪に当て精製するものにて薪価高貴にして硫黄多量の地に於いて施すに妙なりとす。其法煉火石(或いは粘土に沙石を和(あわ)して筑くも亦可なり)第三図の如き炉を筑き炉底に疎品の硫黄少許り燃し其上に疎硫鉱の大なる者を次第に投入す、然るときは速に上部に燃出つ、其熱度によって硫黄溶解して炉底に下るを以て之を(イ)の穴より流れて(ロ)の樽中に入らしむ(ハ)の穴は硫黄の燃えるに要用なる大気を通わしむる為なり。此法は前法の如き精品を得る能はずと雖ども、大いに其品位を進め且つ薪を要せざるを以て前に記する村民疎製の陋法(ろうほう)より遥に愈(まさ)れり。
一、もし、純粋の硫黄を多量に製せんと欲せば「マルセリヤ」府の一工「ミッチエル」氏の発明せし仕掛けを用うべきものに非ざるを以て、茲に記せず、况や其法に由て精製する硫黄は硫酸製造所において用いるものにあらざるをや。
 
総論
一、現今恵山に存せる硫黄の惣高を概算する。難事にあらずと雖ども、若干の人夫を発し七日前後従事するに非ざるよりは詳細なる能はず。而して我輩其時日を欠けり、然れども予が目算に依るに其総高恐らくは一万五千石に下らざるべく、而して之を精製して七千五百石余りの純硫を得べし。抑も(おさえても)硫黄の価今夏、壬申六月 横浜相場一〇〇石に付、五五〇円にして同六月、桑港(サンフランシスコ)に於ては殆此三倍に及べり、今仮に、一〇〇石四五〇円と為して算するときは前七千五百石の価は三万三千七五〇円たり。而して、之を開採するには特に少しく山路に修繕を加えるの外、更に入費と称すべき程の件なし。故に恵山の硫黄は政府の手を以て開採すとも顕然有益の挙に属す。況や庶人の手にて開採するときは其利弥多かるべし。只其利益の多少は官私を問わず共に開採の大小挙にあり、是れ獨いおうを然りと為するのみならずと云爾。