函館市/函館市地域史料アーカイブ

恵山町史

第3編 行政

第6章 人口・戸数の推移

◇資料編

 郷土尻岸内村は、箱館戦争の戦場には勿論、兵士らの進路にも当たらず、直接、この戦禍は受けなかったが、榎本武揚が五稜郭に仮政府を樹立した時期(明治元年11月~)、村々への労働力・牛馬提供の指令があり、尻岸内村も、頭取の野呂利喜松が村内の馬子達と土産馬を引連れ労働に従事したと伝えられている。
 これらの人々は、榎本軍が新政府軍を撃退するために建設する四稜郭、大森浜砲台、海岸保塁等の工事に駆り出されたわけである。そして、明治2年4月官軍(新政府軍)は総反撃を開始し各地で榎本軍を破る。5月箱館港の大海戦、さらには陸海呼応しての官軍の箱館総攻撃に榎本軍の敗戦は決定的となり、5月17日、ついに五稜郭は官軍の軍門に下る。
 この凄まじい戦いに多くの兵士らが死傷し、戦場となった箱館の街や村々は大きな戦禍を受ける。そして、戦いに敗れた榎本軍兵士は、自決の場や逃げ場を求め各地を彷徨(さまよ)う。
 歴史の表にはでないそんな話が、郷土にも、また道南各地にもたくさん残っている。
 
尻岸内村にやってきた榎本軍脱走兵の話』(再話)
 この話は、尻岸内の高橋金六翁、松本由松翁の二人が先代から聞かされた話だという。
 官軍と榎本軍が箱館などで戦っていることは、なんとなく風評で知ってはいたが、自分たちの村には、直接関わり合いがない遠くの出来事と思っていた。
 ところがある日、突然、官軍から村役人へ「旧幕府軍(榎本軍)の侍で逃亡するものを見かけた時には、匿うことなく直ちに届け出よ!」との御触れがあった。名主より、これを伝え聞いた村人たちは、今にも脱走兵がやってくるのではと思い込み、家々では、警報のためにブリキの空詰(あきかん)やラッパを用意するなど、村中なんとなく落ち着かない日々を過ごすようになった。そんなある日、それも夜も更けた頃、家(大澗の〓松本)の雨戸を叩く者が居る。なにごとかと思い起きたが、しんばり棒を外す間もなく、雨戸を押し倒し、一〇余人の脱走(村人たちは旧幕府軍脱走兵をそう呼んでいた)がどかどかと入り込んで来た。そして、その中の一人、頭らしき男が「吾らは五稜郭の戦いに負けて、遠く山道を越え逃れてここまで来た者だ。ここ一両日、吾らは何も食べておらん、何んでも構わんから食べ物があったら出してくれ」と、静かだがドスの利いた声でいう。妻は戸惑いながらも、鱈やカスベなどの干魚を差し出すと、脱走たちは刀を抜いてそれを切り刻み、貪るように食っていたが、部屋中を見回しながら「何処ぞ金持ちの家はないか」という。一瞬、ためらったが、じっと睨む脱走の目付きに身の危険を感じ、「この辺で金持ちってば、ヤマジュウ赤井くれえのもんだ」と答えると、「その家は、ここから近いのか…ひとつ案内を頼もうかな…」と、口を歪めていう。
 当時、〓赤井商店(赤井松助)といえば、村一番の店舗を構え、米・味噌・醤油・酒から必要な品物すべてが揃い、漁業資材から荒物までも商う商家であり、漁場も秋味漁場二ケ統を持ち、さらに二檣の大船を所有し廻漕業(かいそうぎょう)も営むという事業家であった。
 そのような家へ、今、この脱走らを案内したら大変なことになると思い返答に窮していると、頭らしき男は、腰に差した大刀の柄に手を掛け鯉口あたりを鳴らしながら「早く案内せい!」と、どなりつける。やむなく、台所で震えている妻に目配せをし〓に走らせ、その後、少し手間取りながら脱走らを案内した。
 「脱走来る」の知らせを受けた赤井の家の人達は、いち早く裏山に隠れたため、脱走らはブツブツ言いながら土足のまま上がり込み家中を物色し、おり悪く逃げ遅れ布団部屋で震えていた娘のきん(安政三年生れ当時満一四歳)を見つけると「米はないか!銭を出せ!」と、抜刀して威嚇した。さらに、震えているきんに「娘、なんでもいいから旨い物を作れ」と煮炊きを強要した。こうなると、流石にきんも〓の娘、度胸が据わったと見えて、「小父さん、火ば起こしてけれ…」といいながら、台所へ向かった。消え掛かっていた囲炉裏の火の勢いがよくなったころ、きんは大きな鉄鍋を運んで来て炉かぎにそれを掛けた。夕餉(げ)の三平汁の残りに何か入れてきたのか、間もなく魚のいい匂いがしてきた。どこからか見付けてきた徳利を回し飲みしていた脱走たちは、餓鬼のように鍋をつつきはじめると、もう、『二人』には眼も止めなかった。
 満腹になったせいか、酒がまわったのか赤い顔の脱走らのなかには、囲炉裏の回りで鼾をかきはじめる者もいた。だが、頭らしき脱走は眠そうな顔一つしない。持って来させた何がしかの銭を弄(もてあそ)びながら、静かな声で「吾らは、夜が明けたら早々にここを立去る、おぬしらには迷惑を掛けたが乱暴はせぬ」といい、きんには「娘ご、世話になったな」と労いの言葉をかけた。そのころ、妻女の知らせで、この騒ぎを知った会所(村役場)の主だった人々は〓の店を取り囲んでいた。中の様子を窺ってもいた。また、娘のいないことに気付き半狂乱になって戻ってきた赤井の妻は、「〓もついているし大丈夫だ!今飛び込んだら、かえって何されるかわがんねえべ!」と村役に引き止められ、祈る気持ちで我が家をじっと見守っていた。東の空がようやく白みはじめたころ、赤井の店の周りには村の若い衆も集まってきた。
 戸が開き脱走らが現れた。一瞬緊張が走った。
 脱走兵達は、すでに外の様子に気付いていたが努めて平静を装っている。それでも、刀の柄に手を掛けており、『二人』の真後ろには屈強な脱走がついている。人質である。下手に動くけば血を見ることになる。だれもが息を飲んだ。相手の出方を待つしかない。
 「あの船は何処へ行く船か」、頭らしき男が沖に停している弁財船を指差していった。
 「モルラン(室蘭)さいぐふねだべせ…」だれかが言った。声は震えていた。
 「それは好都合だ、室蘭には吾らの同志が大勢いる。吾らをあの船まで送れ!」頭らしき男がいった。だか、だれも答えない。「早くせい!さもなくば…」別な脱走が叫んだ瞬間、『二人』の後ろの脱走がびくっと動いた。「待ってけれ…わしが…」〓の親父が叫んだ瞬間「おやじさん!」数人の若い衆が走り出た。時を移さず三艘の三半船が用意された。それぞの船に脱走らが乗組んだ。漕ぎ手は二人ずつ、〓は三半船に屋号が記された酒樽を積み込ませた。
 弁財船の船頭は、乗り込んできた男らの顔ぶれを見て頑に乗船を拒んだが、彼等が強引に乗り込んできたため、やむなく帆をあげた。帆は風を孕み船は沖へと滑り出した。
 板コ一枚地獄の船の上である。乗ってしまえば船頭に命を預けるしかない。彼等は刀を抜いたり、船乗りたちを威嚇したりすることもなく、おとなしくしていたという。
 これは、〓・〓らが後日伝え聞いた話しだから定かでないが、脱走らは乗船し安心したせいか、積込んだ酒樽の魅力に負けたからか、全員、スコタマ酒を飲み、弁財船の向かった先が、漸く逃げてきた箱館の方向であることも知らずに、ぐっすり寝込んでしまったという話しである。脱走兵のその後については知る由もない。〓の酒は、迷惑をかける船頭らへの謝辞と、案外、こうなることを計算に入れて積み込ませたのではないか…。なお、赤井松助は明治十五年、函館県へ申請し酒造業を始めている。