函館市/函館市地域史料アーカイブ

恵山町史

第3編 行政

第5章 現在の郷土の行政

第2節 現在の郷土の行政

2、民選首長と郷土の行政

(4)山田・工藤町長時代

 病院の運営については、毎年定例議会で行政報告をすると共に「病院事業運営に関する審議会」の答申を受け運営の改善を図ってきたが、年々、患者の減少などによる診療収入の減収、人件費等諸経費の高騰による危機的状態が続いていた。
 平成6年湊町長はこの現状を何とか切り抜けるため、庁舎内に、町長を委員長に病院事務長経験者や関係課長・幹部職員らによる『病院運営改善推進委員会』を設置し、答申内容に沿って問題点解決のための具体的な施策等の検討を進めてきたところである。
 平成12年第1回恵山町議会定例会で山田町長は、恵山町立国保病院の将来計画に言及した。以下、広報「えさん」平成12年4月号『町政執行方針表明』より
 
 国保病院の経営状況につきましては、人口の減少をはじめ、車両の普及などのほか、医療保健制度の改革などもあって病院を取り巻く環境は引き続き厳しい財政運営が続いております。平成十一年度の決算見込みでは、四月より九月までの患者の数は入院、外来ともに大幅に落ち込みましたが、十月から院長先生が交替し医師方(せんせいがた)も順調に確保でき、入院患者が徐々に増えてきていることから、当初の予定に近い医業収益額が見込まれております。このようなことで現在は、経営内容にも診療体制にも安定の兆しが見えてきておりますが、更に、全職員が経営改善に努力し、患者さんが引き続いて病院を利用して頂き、診療収益が確保できるよう努めます。また、本年度(平成十二年度)は、看護婦の充足を図り、看護体制の強化と入院収益の増収に努め、地域医療を守るために、医師と病院・関係職員とが一体となって、経営の改善を図り良質な医療サービスの提供に努力してまいります。ところで、国保病院の施設につきましては、築後、三八年を経過しており、近年雨漏りなども随所にみられるなど、施設環境は悪化しております。給排水の設備、暖房施設についても、経年による老朽化が進んでおります。
 このため、今年度(平成十二年度)は、住民が安心して受診できる町立病院の将来計画について検討してまいりたいと存じます。町立の国保病院として、町民に信頼される病院として、経営内容を分析し経営改善を更に進め、診療体制・看護体制の充実と各種検査事業・訪問診療の実施など患者サービスの向上に、私も誠心誠意、最善の努力を傾注していく所存でおります。
 
 そして、翌13年第1回恵山町議会定例会で山田町長は、国保病院の改築を表明した。以下、広報「えさん」平成13年4月号『町政執行方針表明』より抜粋
 
◎町立国保病院の改築事業について
 次に、町立国保病院の改築事業について申し上げます。
 地域医療を担う自治体病院の経営環境は、依然として厳しいものがありますが町立国保病院が地域に果たす役割は大きなものがあります。地域住民の健康を守ると共に保健の増進を図り、恵山町はもとより隣接する戸井町椴法華村と診療圏を有する唯一の基幹病院として、地域医療の確保に努めてまいりました。
 国保病院の改築につきましては、国保病院建設審査特別委員会と議員協議会において種々協議をいただきました。
 現在の病院は昭和三十六年に建設、四〇年を迎えようとしております。……中略……(前述、平成十二年四月号の町政執行方針表明とほぼ同じ)
 このように地域の医療機関としての役割を果たすためにも、病院はぜひ存続しなければならないと思うのであります。安心して受診できる病院が町内にないといけない、医療施設をなくさないで欲しい、との多くの町民からの要望もございます。医療サービス体制の充実を図り、経営の改善に努め施設の環境を整え、町民が安心して受診できる病院をめざしてまいりたいと存じます。
 地域住民の健康を守る医療の確保をするために、この機会に改築を決断し平成十三年度と平成十四年度の二か年の継続事業として病院の改築を進めてまいりたいと存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。
 
 ここで、町立国保病院のあゆみについて振り返ってみる。
 
『恵山町の国保病院のあゆみ』
 町が直営診療施設をもち、現在の新国保病院に至るまで50年余りを経ているが、医療施設整備の過程から次の4期に分けることができる。
①恵山診療所経営期…………昭和27年(1952)10月~昭和31年(1956)1月
②第一第二診療所経営期……昭和31年(1956)2月~昭和36年(1961)10月
③総合病院経営期……………昭和36年(1961)11月~平成15年(2003)11月
④新国保病院経営期…………平成15年(2003)12月~現在
 以下、その概略について記すこととする。
 
恵山診療所経営期(昭和27年10月~昭和31年1月)
 昭和23年以来、恵山魚田は例年イカの大回遊で村は空前の「イカブーム」に湧き、夜を徹しての出漁とイカ干し作業の過労で多くの病人が発生していた。しかしながら通院の足と時間、それに費用のこともあり、函館の病院まで出かけられない実態にあった。
 当時の恵山漁業協同組合長佐々木才太郎はこれを憂慮し、漁民の健康管理と医療費の削減を図るために、漁協経営の診療所建設を計画、村へ支援を求めてきた。当時の前田村長は村将来の保健行政も併せて議会に諮り議決を得た。
 昭和27年(1952)7月、恵山の麓に診療所の建設工事が開始され11月竣工をみる。
 
恵山診療所(恵山漁業協同組合経営)概要
○木造一部2階建
 1階(診察室・事務室・暗室・手術室・看護婦詰所など)
 2階(病室2 9ベット)・延面積375.2平方メートル(113坪)
・診療科目 (内科・外科・産婦人科 ・昭和28年1月5日診療開始)
・施設設備 (300mmレントゲン・手術室には無影灯を設備)
・昭和28年(隔離病棟を付設・17ベット増設)
 
 この恵山診療所は本町の東部に位置していたため、日浦や豊浦、大澗など西部地区の住民は隣接の戸井村の開業医に依存する傾向が強かった。村は村内全域にわたる国保事業の実施を企図するとともに、恵山診療所の村直営移管を検討し議会に「国保運営特別委員会」(委員長成田等)を設置し慎重に審議・恵山漁協と交渉の結果、診療所の施設一切を無償貸与という条件で経営を村に引き継ぎ、昭和30年11月25日国保事業の全面実施に踏み切った。
 
第一第二診療所経営期(昭和31年2月~昭和36年10月)
 『尻岸内村第一診療所』
 村は国保事業の西部地区診療所の開設については、字女那川に医院を経営する佐藤正一医師に国保事業への参画協力を要請、佐藤医師の快諾を得て、医院の診療施設一切を村が借り上げ、昭和31年1月引き渡し完了『尻岸内村第一診療所』とした。佐藤医師は第1診療所所長に、看護婦ら医療事務スタッフは尻岸内村吏員として第1診療所に勤務することになった。当時の第1診療所の施設設備は、病室5(ベッド19)、間接用レントゲンを設備、施設の移管とともに「完全給食」を実施した。
 
 『尻岸内村第二診療所』
 佐藤医院が村に移管になると同時に恵山診療所は第2診療所と改称、ここに村は東西2つの直営診療所を経営、国保事業が村全域にいきわたり、住民の利便は倍加し、入院・外来とも大いに利用されるところとなった。
 しかし、年を経るとともに、この2つの診療所の経営は村にとって大きな負担となって被さってきた。即ち、日進月歩といわれる医療技術とあいまって導入しなければならない医療器財器具・諸施設と人件費や物件費の高騰による財源の問題。さらには医師・医療専門職の確保など自治体病院の医師・人材確保の問題。これらを含め村は庁舎内での議論・有識者の意見・東西の住民の声などを集約し村議会に諮った。
 村議会は慎重審議の結果、「村の医療の将来を展望し高度な医療施設を整えた総合病院を建設をする。地域的な不便さは患者輸送用マイクロバスの導入により便宜を図る」という結論を得た。

第一国保直営診療所


佐藤医院


尻岸内村隔離病棟


第二国保直営診療所


尻岸内村立国保病院