函館市/函館市地域史料アーカイブ

恵山町史

第3編 行政

第5章 現在の郷土の行政

第1節 平和条約

4、サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約

 サンフランシスコ平和条約の発効後、日本が国際社会へ復帰するためには国際連合への加盟が認められることであった。
 国際連合は1945年(昭和20年)10月、新しい国際平和機構として発足した。加盟国は51カ国で、もちろん敗戦国である日本やドイツは参加していなかった。国際連合の中心機関は常設の安全保障理事会で、第2次世界大戦において連合国側の中心となった、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国(中華民国)の5カ国がその常任理事国となり、同理事会の決定は、常任理事国の一致を必要とした。
 日本は1952年(昭和27年)サンフランシスコ平和条約の発効によって国際社会へ復帰し、同年、国際連合への加盟を申請したが、社会主義諸国とはまだ国交をもっていなかったため,ソ連の反対で日本の加盟は認められなかった。しかし、1956年(昭和31年)の、日ソ共同宣言により両国間の国交回復が実現し、ソ連が日本の国連加盟を支持することを約したので、1956年12月18日、国際連合総会は満場一致で日本の加盟を承認した。講和条約の発効・国際連合加盟により、ようやく、国際社会への復帰を果たしたのである。敗戦・占領から11年目のことである。
 
日ソ共同宣言
 1954年(昭和29年)、吉田内閣から鳩山内閣へ交代したのを機とし、日ソ交渉を開始。この交渉は(サンフランシスコ講和会議で双方の主張した)領土問題で難航し、平和条約にまでに至らなかったが、1956年(昭和31年)1月19日、鳩山一郎全権(首相)は、戦争状態の終結・平和及び友好善隣関係を主軸とする10項目から成る、日ソ共同宣言を、モスクワで調印し、日ソ国交正常化へ1歩踏み出した。
 
〈以下に、1・9項についての全文を記す〉
一、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の戦争状態は、この宣言が効力を生ずる日(一九五六年十二月十二日)に終了し、両国の間に平和及び友好善隣関係が回復される。
九、日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。
 ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえ、かつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする(註)。
 註 1960年(昭和35年)1月、日米新安保条約が調印されると、ソ連は、米軍の日本撤退と日ソ平和条約調印後に返還すると通告してきた。
 
〈各項の要点〉
 1、日ソの戦争状態は終了し、平和友好関係が回復される。
 2、日ソの外交・領事関係が回復され、大使の交換をする。
 3、国際連合憲章の諸原則特に平和原則・内政干渉しないことを守る。
 4、ソ連は日本の国際連合加盟の申請を支持する。
 5、日本人戦犯をソ連は釈放し、日本へ送還する。
 6、ソ連は対日賠償請求権を放棄し、日本も請求権を放棄する。
 7、貿易・海運など通商関係の条約・協定を締結する。
 8、すでに結ばれた日ソの漁業条約は発効する。
 9、正常外交関係の回復後、平和条約締結交渉をつづける。
   条約締結後、ソ連は歯舞群島と色丹島を日本に引き渡す。
 10、批准書交換は東京で行い、その日に共同宣言を発効する。
 なお以下に、領土復帰と国際社会への復帰に関連する主な事項について列挙する。
 
・日本領土の復帰
1951年(昭和26年)北海道・本州・九州・四国・対馬・種子島
1953年(昭和28年)奄美諸島
1968年(昭和43年)小笠原諸島・硫黄諸島
1972年(昭和47年)沖縄・琉球諸島
・復帰未定 北方地域、色丹島・歯舞諸島・国後島・択捉