函館市/函館市地域史料アーカイブ

恵山町史

第3編 行政

第2章 明治・大正時代の行政

第1節 箱館裁判所から開拓使まで

6、税の負担

 新しい戸長役場の開設は郡区町村編制法により施行されたわけであるが、この法は、先にも述べたが、府県会規則・地方税規則とともに「地方制度三新法」といわれている。そして、この法により任命された郡長の職務の第一が、「徴税并地方税徴収及不納者処分ノ事。」であり、また、戸長の職務も、「法令の布告布達に次ぎ地租及ビ諸税ヲ取纏メ上納スル事。」と税に関わる職務が、まず、明記されている。もっとも、この事は「地方制度三新法」が施行されたからというわけではない。明治政府によらず、行政の最も重要な職務は「戸籍の整備と税の徴収」にある。言い換えるなら徴税のためには、その基礎となる戸籍を整備(江戸時代は宗門人別帳など)しなければならなかったし、どのような施策も税収・予算なくして成り立たない。これは、現在も、明治政府も、幕政に於いても、そうであった。中国の唐の制度に倣い、班田収授を背景に施行された「租・庸・調」が、我が国租税体系のルーツであろう。645年、大化の改新以降のことである。
 ここでは開拓使以降の、特に郷土に関わる税について触れることとする。
 
開拓使以降の税負担
 旧幕以来引き続いた主な税目は、①海産税、②沖の口諸税、③地租、④諸税で、開拓使設置当時はいずれも国税であった。
 ①海産税は、明治2年に場所請負人制度が廃止され、それまで請負人納付の運上金が、漁民直納となり「海産税」となる。この税は北海道の税収の大半を占める、いわゆる正租(本州の米に相当)といえるもので、明治2年~14年度の統計では、漁民直納制度となった2・3年を除けば、国税総額の90%を海産税額が占めており、まさに正租、漁業なくしては北海道の行政・開拓はなし得なかったといえる。なかんずく、開拓使にとって、郷土、箱館六ケ場所を含む函館支庁管下の税収はまさにドル箱だったわけである。
 なお、①海産税は海関所が取り扱っていた。
 明治十三年現在の函館支庁管下、海産税の主な品目別税率は次のとおりである。
 
昆布(元揃、折、長昆布など上等品)二割(駄昆布など下等品)一割、○鱈(生、乾、塩とも)二割、○鰊(外割(ミガキ))一割(生)五分、○鰊、鰯(〆粕)五分、*鰤(ぶり)(生、塩とも)二割、*鮪(生)二割(塩)一割五分、*鮭鱒(生、塩とも)二割、*カスベ(生、乾)二割、*海鼠(乾ナマコ)二割、これらの税率については明治十一年度に設かれたものが多く、この内、*印の品目は明治十一年以前は無税であった。
 
 この品目の内、税収の割合が最も高く、ある程度安定した生産が見込める昆布については、詳細な悉皆(しっかい)調査を行っている。以下、その調書(例)を記す。
 
 産業編 漁業のあゆみ・資料編(明治5年~9年 昆布取獲高調)参照。
 
 開拓使三等出仕  杉浦 誠 殿
   昆布取獲高調
                第十八大区一小区 茅部尻岸内
     調 書
 一 持符船(モチップ)            壱 艘
 一 礒 船(いそぶね)            三 艘
 一 昆布取夫                 四 人
  茅部尻岸内村字ム井取獲高
 一 昆布   三石一斗三升六合        明治五年分
 一 同    五石二斗三升二合        明治六年分
 一 同    八石九斗八升八合        明治七年分
 一 同    八石九斗八升八合        明治八年分
 一 同    九石一斗六升          明治九年分
 右之通御座候也
    明治九年十一月
                茅部尻岸内村  山内 三次郎
                村用掛      村岡 清九郎
                一小区副惣代   増輪 半兵衛
 
 ②沖の口諸税(海関税)  沖の口を明治2年に海官所、同3年に海関所と改称(現在の税関)、この海関所が収税を所管した税である。一般的には船舶の積荷、港役(明治6年1月から碇税)、船税等の税である。北海道は、箱館戦争の被害復興や開拓途上である特種事情などから諸々の免税を受け、主として北海道物産原価の4%を出港時に徴収(明治8年施行北海道諸物産出港税)し海関税に代えていたが、現地戸長の積荷検査を受けなければならない厳しいもので、明治20年まで続いた。この海関税は目的税で「全道ノ堤防道路ノ修築又ハ、賑給等専ラ人民興益ノ用ニ充ツベキ為」とあり、この時(明治8年2月施行時)海関所を「船改所」と改称した。
 
 ③地租  私有宅地(先祖代々居住していた土地など)、畑・開墾地・払下げを受けた土地等にかけられる税である。この税の割合については、地域によって多少があったが、明治9年12月、全道の地祖は一定され、「地価の100分の1」とされた。この地租の納入にともない土地の権利書として「地券」が発行された。ここに西村善次郎名義(郷土に初めて移住した西村善次郎の4代目か)の明治13年3月1日・同14年11月1日発行の「地券」が6通存在する(写真参照)。次に、その主要内容−地価・地租等について記すこととする。
 
渡島茅部尻岸内村字澗拾四番地 同國同郡同村 持主 西村善次郎
一宅地百拾五坪 地価 金六圓七拾三錢五厘 此百分の一 金六錢七厘地租
渡島茅部尻岸内村字澗拾五番地    同  同  同
一宅地三拾坪 地価 金一圓拾四錢九厘 此百分の一 金壹錢壹厘地租
渡島茅部尻岸内村字女那川四拾九番地 同  同  同
一畑壹段七畝廿壹歩 地価 金七圓六拾壹錢壹厘 此百分の一金七錢六厘地租
渡島茅部尻岸内村字澗拾貮番地    同  同  同
一畑壹畝拾六歩 地価 金六拾壹錢五厘 此百分の一 金六厘地租
渡島茅部尻岸内村字女那川六拾五番地 同  同  同
一開墾地八段六畝拾三歩 但明治十三年ヨリ同二十二年迄十ケ年間除祖
渡島茅部尻岸内村字女那川八拾四番地 同  同  同
一開墾地七畝五歩 但明治十三年ヨリ同二十二年迄十ケ年間除祖
 
 この中に開墾地の地券も含まれているが、開墾地の税は数年間の免税措置も取られていたことが分かる。開拓使が、農産物の自給を増やすためにとった優遇措置と推察する。
 
 ④諸税(雑税)  正租以外の小物税と呼ばれていたもので、「店役」「家役」「人別銭」「四半敷役」(薪役で現物納、後に銭納となる)の4種である。さらに、これ以外の雑税として「営業雑種税」があり、職種毎−例えば、風呂屋・質屋・髪結床・酒類醤油麹醸造・差荷役等多種多様−に税目がたてられていた。いずれも幕府前直轄期に設けられた税で、人別銭が分頭税(明治3年の記録では1人年間24文とある)で、店役は店の大小・経営の状態、家役は家の大小・貧富の差など見聞割りで税額が決められていた。人別銭四半敷役は宗門人別下調帳に記載して徴収していた。なお、店役人別銭四半敷役は明治3年10月、家役は同5年1月廃止されている。
 
国税と地方税
 政府は、明治8年9月太政官布告第140号で「諸税を国税府県税に整理」したのを受けて、(初めて)国税・地方税の区分を定め、同年より適用する。開拓使もこれを受け、明治10年5月より適用する。国税、地方税の税目は次の通りである。
 
 <国税目>
 地租・市街地券税・地券証印税・海産税・銃猟税(職猟・遊猟)・船税(蒸気船・西洋形帆船・50石以上日本形船・50石未満艀漁船並海川小廻船)・清酒税(営業税・鑑札諸手数料・醸造税・味醂・焼酎・白酒・銘酒も右に準ず)・酒類受売営業税(営業税・鑑札諸手数料)・牛馬売買免許鑑札税・車税・度量衡税・蚕種印紙税・証券税(印紙税・界紙税)・煙草・印紙税・訴訟並文通罫紙税・官録税・賞典録税*出港税、この出港税については「出港税処分ハ従前ノ通」との但書きが付けられており、「北海道物産出港税」(明治8年施行の北海道諸物産出港税、物価原価の4%)として、独立別項目の国税に位置付けられた。
 
 <地方税目>
 氷専売税・鹿猟税・網税・劇場税・貸座敷税・芸妓税・娼妓税・芸娼妓税鑑札手数料・怠納金
 
地方税と協議費
 この地方税については、明治11年の地方制度三新法が布告されると、その内の「地方税規則」によって、地方税目が(改正)定められ、併せて支出する費目も定められた。
 
<地方制度三新法により定められた地方税目>
 地租5分の1以内・地方税(営業雑種税)・戸数割民費(戸数割)3種と定める。
 
 <地方税目より支出する費目>
 警察費・河港道路堤防橋梁建築修繕費・府県会議諸費・流行病予防費・府県立学校費及小学校補助費・郡区庁舎建築修繕費・郡区吏員給料旅費及庁中諸費・病院及救育所諸費・浦役場(公安編参照)難破船諸費・管内限諸達書及掲示諸費・勧業費・戸長以下給料及戸長職務取扱諸費、以上の12費目と定めらた。
 
 <協議費で対応する費目>
 地方税規則では、地方税目で支出する費目について、「区町村限りの入費」については「其区町村ノ協議ニ任セ、地方税ヲ以テ支弁(支出)スルノ限リニアラズ」と示されており、地方税の費途については、広く府県(道・支庁)に係るものに対応し、区町村限りの費途(例えば、公立学校費・行倒人変死取扱費、塵芥処理費など)は協議費で対応することとになった。
 北海道では明治12年7月、開拓使(函館支庁)の主導のもと、地方制度三新法の郡区編制法導入、翌13年1月、郡区役所・戸長役場を開庁したが、これらの費用を総て地方税規則の掲げる地方税目で対応することは出来ないと判断し、「出港税ヨリ補給額」を付け加えた。
 以下、郡区編制法施行(地方制度三新法の導入)、当初明治12年から14年度の函館支庁管内郡区内役所戸長役場費用、収支予算について記す。
 この収入予算の内、「戸数割民費」の占める割合は、明治12年・13年度では(出港税よりの補給費を除く地方税目)の83%、営業雑種税が前年比2・7倍の伸びを見せた14年度でも74%の高率となっており、この税なくして、郡区町村の行政は成り立たないといえる。しかも、これは文字通り一戸を構えている者、総てに課税される税である。

表<函館支庁管内郡区内役所戸長役場費用収支予算 内 支出予算は亀田上磯茅部郡役所・同戸長役場費用分>
函館市史通説編第2巻351Pより作表

 
 <戸数割民費・戸数割>
 戸数割民費について、明治12年に定められた課税の仕組みについてその概略を記す。課税額は財産高に応じて、1万円以上の者を上等、1万円未満500円以上の者を中等、500円未満の者を下等と、9等級に分類し税額を定めている。
 
 ①上の1等、3万円以上の財産を持っている者の税額  7円80銭
 ②〃 2等、2万円以上    〃      税額  6円20銭
 ③〃 3等、1万円以上    〃      税額  4円80銭
 ④中 4等、5千円以上    〃      税額  3円60銭
 ⑤〃 5等、1千円以上    〃      税額  2円60銭
 ⑥〃 6等、500円以上    〃      税額  1円80銭
 ⑦下 7等、250円以上    〃      税額  1円20銭
 ⑧〃 8等、100円以上    〃      税額    80銭
 ⑨〃 9等、100円以下    〃      税額    60銭
 
 これらの等級の認定は、当該戸長が調査し郡長に報告し、郡長は1月15日までに支庁長に具状し認可を得た上で、戸長に徴収を命ずるのであるが、徴収については地域の実態に即し出産物の収穫期にしたり、2季に分けるなど、ある程度の柔軟性をもたせていた。
 この徴収(課税)対象となるのは、その年の1月1日、その村に在住している本籍者は勿論、寄留者であれ、1戸を構えているもの総てが対象となった。
 この戸数割民費は、明治14年7月、戸数割と改められ徴収規則が設けられた。いわゆる現在の住民税(道・市町村税)のルーツであろう。
 ところで、渡島東部の主産業は漁業である。郷土の人々は、昆布など殆どの収獲物が国税の対象となっていた。しかも、生産高の1割から2割もの高率である。この海産税は当時の北海道の国税の90%を占めていた。このように多額の国税を払いながら、地方税としての戸数割、また村独自の公共費は協議費として、例えば小学校も授業料を払わなければならなかった。このように二重にも三重にも税の負担を課せられていたのである。

表<函館区・亀田上磯(茅部)郡 戸数割税賦課額・函館支庁総額に対する比率>