函館市/函館市地域史料アーカイブ

恵山町史

第1章 北海道の先史時代

第2節 縄文時代

4、縄文文化の終末

 町内では後期の遺物が中浜E遺跡(北海道埋蔵文化財センター、1985)と古武井9遺跡(小笠原、1984)、湯の沢遺跡で確認されている。中浜E遺跡では範囲が長軸6.38メートル、短軸4.10メートルの長円形と推定される住居跡が発掘され(第35図上部)、床面から後期初頭の涌元(わきもと)式に類似した貼付帯上に撚糸の圧痕文が施文されたり、口縁に貼付帯がめぐり平行沈線や網目状文が施文された土器が出土している(第35図1~7)。住居の東側が削平されたため全体の約半分が明らかになっているだけで炉跡は発見されていないが、床面中央付近で大きさが1メートル前後で深さ0.8メートルの隅丸方形のピット、その北側からも1×0.5メートルの隅丸方形の浅い掘り込みが確認されている。床面上には炭化材と焼土が分布し、石皿、敲石、磨り石、スクレーパー、砥石、石鏃、つまみ付きナイフなどが出土(第35図8~15)。遺物包含層中から出土した土器片もほぼ同じ時期のもので、土器片が出土した付近から長さ50~70センチメートルの自然石が10数個発見され、かつては配石遺構があったと推定されている。
 古武井9遺跡からは東北地方北部が主分布域である後期初頭の十腰内(とこしない)式土器が出土している(第31図10~16)。中期末に典型的な長さ3.2メートル、幅2.0メートルの卵形で、床面に石組み炉をもった住居が発掘されているが(第36図1)、この住居に伴うはずのノダップⅡ式土器は1片も出土しておらず、発見されているのは東北地方北部に顕著な沈線文を主体とした十腰内式土器である。住居は後期初頭の十腰内式土器の時期に使用されていたと考えられる。折り返しの口縁をもった土器や、網目状撚糸文が施文された土器(第36図2)がこの住居に伴う。住居は恒久的なものではなく、河川での鮭漁を中心とした狩猟小屋ではないかと推定されている。このほかに、高さ5.5センチメートル、幅3.8センチメートルの筒型で内部が空洞なミミズク形土製品が出土している(第31図17)。頭部にミミズク特有の羽角があり、沈線で三角形に区画して羽を描いている。
 町内で発見される後期の遺跡はその初期の遺物を伴ったものに限られる。

第35図 中浜E遺跡の後期初頭住居跡と出土した遺物(2号住居跡、1~7、入江式、8、石鏃、9、つまみ付ナイフ、10、スクレーパー、11~12、敲石、13、砥石、14、磨石、15、石皿)
尻岸内町中浜E遺跡』北海道埋蔵文化財センター、1985


第36図 古武井9遺跡の竪穴住居跡と住居跡・土壙から出土した遺物(1、住居跡、2、網目状撚糸文土器、3~4、スクレーパー、5、土壙1出土の石冠)
古武井9遺跡』尻岸内町教育委員会、1984