函館市/函館市地域史料アーカイブ

恵山町史

第1編 自然

第3章 自然災害

第3節 火山災害

 北海道西南部の渡島半島は、北海道としてはかなり古くから開拓された地域であり、火山災害・噴火についての記録・古文書(こもんじょ)等も相当残されている。
 駒ヶ岳では寛永17年(1640年)に大規模な軽石噴火があり、津波が発生して噴火湾(内浦湾)沿岸で700人余りが溺死した。このような江戸期の噴火記録は、古文書(こもんじょ)にかなり詳しく残されている。この北海道駒ヶ岳の寛永17年6月13日(1640年7月31日)の大噴火について、「北海道志」は『内浦嶽 今駒ヶ岳ト云ウ、噴火シ飛灰空ニ満チ晝暗キコト二日。』とあり、また「紀事弘賢覺書」によれば、『十七年度庚辰夏六月十三日癸亥、陸奥松前蝦夷地、天暗不咫尺、迄十五日乙丑禺中、而僅識人面日午始明、同時距松前行八日路程宇知浦、大濤起、壊山襄 陵、十里間山壑發火、炎焔飛空、人死者七百餘、馬牛魚鳥復亡無算、灰燼埋池丈七尺許、至秋八月鳴動未熄、焦土入海、意生一大島。』と記録されている(震災豫防調査會、1918)。この調査で堆積した降下軽石は、駒ヶ岳d(Ko-d)層と命名され、その分布が確認され、7編の古記録との照合も行われている。
 最近刊行された「日本活火山総覧(第2版)」(気象庁編、1991)によれば、恵山火山は水蒸気爆発・泥流を生じやすく、歴史時代の主な火山活動の記録は左記のとおりである。
 
・1846年11月18日(弘化3年)噴火・泥流、家屋被害、死者。
・1857年5月21日(安政4年)この頃硫気活動活発、硫黄燃焼。
・1874年6月8日(明治7年)小噴火。
 
 前章で紹介した北海道防災会議刊行の『恵山 火山地質・噴火史・活動の現況及び防災対策』によれば、恵山地域も江戸期に入ると、多くの記録が残されていることが分かる。
 すなわち、延宝年間(1673〜1680年)には、「飯田与五左衛門、宇佐八幡宮より勧請して、神社を恵山絶頂に奉礼、社号を恵山八幡宮と称す。」(「椴法華八幡宮明細書」椴法華村史年表、1989)の記録がみられる。少なくともこの時代以降は、恵山で災害を伴うような噴火が発生すれば、何等かの記録として残されたであろう。しかし、恵山の火山活動に多少とも関係した古記録は、18世紀中葉になって始めて現れるにすぎない(勝井ほか、1983)。
 恵山における硫黄採取の歴史は古く、宝歴13年(1763年)既に「この頃恵山硫黄白鳥屋新十郎によって開発される」(椴法華村史年表)と伝えられている。翌、明和元年7月(1764年)には、「7月下旬(恵山の)硫黄気発動して工夷多く死亡せり」(「蝦夷旧聞」椴法華村史年表)という記録がみられる。この「硫黄気発動して…」の記述は、恐らく噴気の突発または一時的な活動化を伝えるものであろう。
 恵山溶岩円頂丘が、過去230年以上も活発な噴気活動を続け、昇華硫黄採取の舞台となってきたことは、多数の記録にみられるが、噴火の確かな記録は少ない。小規模な噴火が弘化3年(1846年)に起きて、火山泥流をともなった。このほか明治7年(1874年)に、ごく小規模な噴火があったにすぎない。
 恵山では、急峻な火山地形および噴気による岩石の変質、風化により、噴火及び大雨に際して泥流・土石流が発生し易く、これまでもしばしば災害をおこしている。本節では、噴火による泥流(火山泥流)災害を収録する。