函館市/函館市地域史料アーカイブ

恵山町史

第1編 自然

第1章 恵山町の地学的環境

第3節 恵山火山の地質

研究史  恵山火山は北海道に分布する14活火山のうちの一つで、「恵山道立自然公園」の中心をなす火山体である。恵山は大型の火山ではなく、また、近傍の駒ケ岳のように、歴史時代に入ってからとくに危険な活動をくり返してはいない。したがって現在道内で24時間体制で観測が続けられている5つの活火山(駒ケ岳・有珠山・十勝岳・樽前山・雌阿寒岳)には含まれてはいない。
 恵山火山は第四紀更新世後期に活動を開始し、最近では1874年(明治7年)に水蒸気爆発が発生している。複数の溶岩円頂丘(ドーム)と周麓に広がる火砕流堆積物や火山泥流(ラハール)堆積物などで構成されており、最も高い山頂部をもつ恵山溶岩円頂丘(618メートル、41度8分8秒N、140度0分11秒E)は現在も噴気活動を続けている。
 恵山活動の地質、とくに火山噴出物についての研究は大日方(1911)、田中館(1918)など古くから行われてきた。戦後になっても藤原・国府谷(1969、北海道地下資源調査所)による5万分の1地質図幅「恵山」の発行など地質学的、岩石学的研究はさらに進み、現在に至るまで火山形成史・噴火史や火山灰の分布調査などが行われてきた。
 今田(1947、1951)は、地質調査および岩石記載により火山形成史を次のように組み立てた。旧山体である外輪山溶岩の噴出後、爆発的活動により外輪山が南に開口し、大量のテフラ(火山砕屑物)を噴出、その後、旧外輪山南部〜東部にかけて恵山溶岩を噴出し、中央部に恵山溶岩円頂丘を噴出した。そして、恵山は外輪山溶岩と恵山溶岩円頂丘からなる二重式火山であると結論した。今田(1947、1951)は、山体の配列に着目し、西北西方向が恵山火山地域における弱線であることを論じた。さらに石英斑晶が減少するに従って、斜長石および紫蘇(しそ)輝石は増加し、普通輝石は減少する傾向があることを指摘した。
 中川(1961)は、恵山地域に段丘を3段記載し、山背泊港の背後からタカノス沢までに広がる平坦面を古武井段丘と命名した。この段丘の特徴や含まれる化石植物の研究から、古武井段丘形成期は最終間氷期で、外輪山も同期であり、恵山溶岩ドームは段丘が開析され始めてから後の噴出物であると結論した。また、この段丘上に厚さ2メートルの軽石を含む火山灰層を記載し、女那川(めながわ)火山灰層と呼んだ。
 安藤(1971、1974)が構築した発達史は次のようなものである。火山活動は火砕流、火山泥流(ラハール)の流出に始まり、海向山溶岩・椴山溶岩が噴出。次いで外輪山溶岩が噴出し、休止期をおいて再び火砕流、溶岩流の噴出があり、現在に至る。安藤(1971、1974)は、また、恵山の岩石について始めて化学分析も行い、地質と岩石のまとめをした。恵山の岩石は中性のカルクアルカリ岩系の安山岩で、アルカリ、特にK2Oに乏しい特性を持つことを明らかにし、最新期の噴出物に見られる石英斑晶が外来斑晶ではなく、通常の斑晶鉱物に先だって水蒸気圧の高い状態で大型斜長石、紫蘇(しそ)輝石、普通輝石、角閃石とともに晶出し、その後マグマの上昇とともに圧力が減少する過程で、この石英は融解され、同時に角閃石が分解したと推定した。
 安藤(1971、1974)に引き続き、北海道大学理学部では、坪(1983MS)が北大卒論研究として恵山の地質および岩石を調査し、報告した。これらを骨子にした勝井ほか(1983)は、恵山における地質、噴火の歴史、防災対策についての報告書を取り纏めた。勝井ほか(1983)は、恵山の活動を古期・中期・新期に分け、現在はスカイ沢山溶岩ドーム形成に始まる新期恵山火山の「後噴火期」にあるとした。火山砕屑物(テフラ)については火砕流Ⅰ堆積物、火砕流Ⅱ堆積物、火砕流Ⅲ堆積物、スカイ沢火砕流堆積物、元村火砕流堆積物を記載あるいは新たに命名した。また、初めて、噴火堆積物と歴史記録との照合に取り組み、1846年(弘化3)11月に水蒸気噴火と火山泥流(ラハール)の発生を確認し、東麓水無沢地区において降下軽石堆積物(Es-o、勝井ほか、1983)がラハール堆積物に挟まれていることを確認した。さらに、Es-oの下位でEs-a(佐々木ほか、1970)との間にもEs-oに類似したテフラ(火山砕屑物)が存在する事を記載した。
 大場ほか(1987、学会演旨)は、恵山の溶岩ドームの岩石9個について、K-Ar年代測定を行い、1−13万年という値を報告した。しかし、恵山の岩石はK量が低い上、若い火山岩試料への信頼度の高い測定手法が確立されていないK-Ar測定には不向きであり、ここで示された年代値の信頼度も残念ながら低い。
 このほか、橋爪(1964MS)は北海道大学卒業論文として恵山の地質を、藤原・国府谷(1969)は恵山図幅を作成し、恵山の基盤について詳しい調査を行っている。
 最近、北海道大学大学院理学研究科で荒井(1998)が修士論文研究として『恵山火山の噴火史と火山災害評価−特に最近1万年間の活動に基づいて−』を報告した。この論文では、第1部で恵山火山の研究史・地形と地質・最近1万年間の噴火史が詳細な火山灰編年学(テフロクロノロジー)の新資料に基づいて論述されている。さらに第2部では、第1部でまとめた恵山の噴火史をもとに、災害実績及び災害予測が図化された。第2部に示された火山災害危険区域予測図(ハザードマップ)は、恵山火山および火山災害に対する地元住民(恵山町・椴法華村)の意識調査の結果と共に、将来予想される火山災害軽減のための広報活動として重要な意味を持っている。
 
 第1章第3節の恵山火山の地質および、第4節恵山火山噴出物の化学組成については、以上の調査研究のうちとくに最近の荒井(1998)の論文に負うところが多い。
 恵山を中心とする亀田半島の完新世火山灰のうち、恵山起源とされた火山灰(Es-aおよびEs-b)については、1950年代から調査が行われた。荒井(1998)により亀田半島および恵山周辺での火山灰(テフラ)層序と他火山起源テフラに関する新知見が取りまとめられるまでの、上記テフラについての各研究者の見解を示すと次のようである。
 山田(1958)により南茅部川汲温泉において、Ko-aとKo-d(Koは北海道駒ケ岳起源のテフラ)の間に恵山噴出物としてEs-a1、Es-a2が記載された。ここで、Ko-dの対比も平行して行っているわけだが、駒ケ岳近傍の砂原町沼尻における層厚よりも駒ケ岳から30キロメートル以上離れた南茅部川汲での層厚が大きいなど、このテフラ対比には疑問が残された。その後、山田・近堂(1959)が山田(1958)に新知見を加え報告した。この中で、椴法華村元椴法華(現在の椴法華村富浦付近の旧地名)において、上位からKo-a、Es-a1、Es-a2、Ko-e、Ko-fが記載された。一部を引用する。
 『…川汲における土層断面をみると図1.7に示すように、基盤の石英粗面岩の風化物上に白色の浮石質火山灰層が堆積し、この浮石質火山灰層は、先の調査で駒ケ岳噴出にかかわる駒ケ岳統d火山噴出物(K.d)であることは明らかである。そして、この地点の地表をおおっているのは白色の浮石層で、これは昭和4年(1929)駒ケ岳活動の際の噴出物で、駒ケ岳統a火山噴出物(K.a)と命名されたものである。川汲においては、このK.aとK.dの間に二層の火山灰層が夾在しているが、この二層は褐灰〜黄灰色の火山灰の薄層で、それぞれ上部にわずかに腐植を含んでいる。<中略>この二火山灰層は駒ケ岳統噴出物ではないことは推察にかたくない。その層厚を調べてみると<中略>また、この二火山灰層は外見は殆ど同じで、比較的短期間に相次いで降下堆積したものと推察する。<以下略>』(図1.7参照)。山田・近堂(1959)の後、佐々木ほか(1970)は、Es-a1、Es-a2をそれぞれEs-a、Es-bと改称した(図1.8)。町田ほか(1981)は、後述する白頭山−苫小牧火山灰(B-Tm)が渡島半島を含む広域に分布することを明らかにし、Es-aもそれに対比できるのではないかと考えた。

図1.7 恵山地域の新規火山灰の堆積状態(山田・近堂,1959)


図1.8 恵山周辺における火山噴出物の柱状対比図(佐々木ほか,1970)

 さらに、勝井ほか(1983)は、Es-aおよびEs-bは恵山起源ではなく、他火山起源火山灰であることを述べた。その内容は次の通りである(以下、勝井ほか、1983から抜粋)。
 『Es-a層‥帯褐灰色、細粒(粒径は大部分 0.1〜0.4ミリメートル、最大 0.7〜1.0ミリメートル)の角閃石含有輝石デイサイト質火山灰で、無色(および淡褐色)のガラスの発泡破砕片と斜長石・斜方輝石・単斜輝石・チタン磁鉄鉱の斑晶からなり、稀に緑色角閃石・石英の斑晶を含んでいる。このほか少量の変質岩・堆積岩(?)の岩片も見られる。』『Es-b層‥灰白色で細粒(0.05〜0.3ミリメートル)の角閃石輝石デイサイト〜流紋岩質の火山灰で、大部分が無色のガラスの発泡破砕片からなり、少量の斜長石・石英・斜方輝石・単斜輝石・緑色角閃石などの微斑晶〜破片を含んでいる。』『…Es-aおよびEs-b層は、いずれも新鮮な火山灰で、大部分は無色の発泡破砕した火山ガラスの裂片と斜長石・斜方輝石・単斜輝石斑晶からなっている。少量の角閃石・石英を含むが、アルカリ長石およびアルカリ輝石は認められない。以上から、従来のEs-aおよびEs-b層は、恵山火山起源とすることは困難で、遠方から由来した火山灰であると推定される。<以下省略>』
 最近、鈴木・紀藤(1997、学会演旨)は、亀田半島中央部あやめが原(袴腰岳南東部の湿地帯、恵山の北西35キロメートル)におけるボーリングコアおよび恵山火山西麓の露頭を用いて、テフラの同定を行った(図1.9)。火山ガラスの屈折率範囲と構成鉱物のモード組成分析結果を過去の研究と比較検討し、Ko-dとB-Tm の間のEs-aを、Es-aより下位にEs-b(B-Tmとの関係は不明)を記載した。しかし、ここで鈴木・紀藤(1997)がEs-aおよびEs-bと呼んでいるテフラと、過去の研究におけるEs-aおよびEs-bとが同一のものであることは示されていない。

図1.9 恵山火山起源テフラの柱状対比図(鈴木・紀藤,1997)

 元村火砕流堆積物をはじめとする恵山起源の火山砕屑物(以下、テフラとよぶ)は、そのほとんどが恵山火山を有する恵山町および椴法華村しか分布していない。恵山地域外で恵山起源のテフラとして報告されてきたのは、上述したEs-aおよびEs-bの2層だけである。一方、恵山周辺には北海道駒ケ岳・濁川(にごりかわ)カルデラ・銭亀沢(ぜにかめざわ)火山などの第四紀火山が複数存在し、これら他火山起源のテフラが恵山周辺において確認され、報告されてきた。これらのテフラは、恵山火山噴火史を編年する上で時間軸として有効である。荒井(1998)は、恵山で他火山起源のテフラ11種を記載した研究報告(1958〜1996年発表)の中から、恵山におけるこれらテフラの記載を、堆積年代の古い方から順に次のように要約している。
 
A、洞爺火山灰(Toya)
 町田ほか(1987)は、Ti02量が極端に少なく(0.05%)、軽希土類元素にも特徴がある火山ガラスの化学組成の特徴を用いて、洞爺カルデラの噴出物について広域的に調査を行った。調査の結果、このテフラが恵山地域にも分布し、堆積していることを確認している。細粒の火山ガラスからなり、斑晶鉱物として斜長石、石英、斜方輝石とごく少量の緑色角閃石を含む。噴火年代は層位から9〜10万年前と考えられている。
 
B、阿蘇4火山灰(Aso-4)
 町田ほか(1985)は、阿蘇4火砕流の噴出と同時に形成された下降火山灰を記載した。阿蘇4火山灰の火山ガラスの粒度や平板状ガラスの厚さの変化などの特異な岩石記載的性質を用いて、給源である九州から北海道東部までの広域的なテフラ対比を行った。この中で、町田らは、恵山町女那川においてもZ−Mの下位100センチメートルの層位に厚さ1センチメートル、最大粒径0.6ミリメートルの阿蘇4火山灰を確認した。噴火年代は7〜9万年前と考えられている。
 
C、銭亀−女那川下降軽石層(Z-Mpfa)
 中川(1961)は、恵山の基盤よりやや上位に厚さ3〜4メートルの火山灰層を女那川火山灰と呼んで記載し、勝井ほか(1983)は、この火山灰の噴出源を恵山と考えた。しかし、その後、山縣ほか(1989)は岩石記載的性質、層位的位置などから、女那川火山灰は銭亀沢火砕流堆積物(瀬川、1980)や日高降下軽石堆積物(春日井ほか、1978)と呼ばれているテフラと同一の噴火によってもたされたものであると結論した。このテフラは銭亀−女那川テフラと命名され、給源は函館市汐川河口沖の海底で、14C年代測定と層位とから噴出年代は33,000〜45,000年前と推定されている。銭亀−女那川テフラは亀田半島南部を中心に十勝平野まで広く分布しており、上位の黄褐色軽石層と下位の橙色軽石層からなる。いずれも軽石は風化が進んでおり、もろく、構成鉱物として角閃石と恵山起源の噴出物中には見られないカミングトン閃石を含む。なお、恵山地域で確認できる降下軽石層は銭亀−女那川下降軽石層(Z-Mpfa)と呼ばれる。
 
D、駒ケ岳h火山灰(Ko-h)
 鴈澤ほか(1992)は、火砕流Ⅲ堆積物(勝井ほか、1983)と元村火砕流堆積物の間に濁川カルデラ起源のNg-aおよびNg-b(ともに後述)と北海道駒ケ岳起源のKo-hを記載した(図1.10)。

図1.10 恵山周辺の恵山火山噴出物の各個柱状対比図(鴈澤ほか,1992)

 
E、濁川テフラ(Ng)
 北海道渡島半島に広く分布することが知られるテフラとして、濁川カルデラ起源のものがある。柳井ほか(1992)は、濁川カルデラの噴火史をまとめ、この噴火活動により噴出した濁川テフラの層序、分布などを明らかにした。そして、恵山地域ではこの噴火活動の末期に噴出した大規模降下火山灰(Ng-a. fall)およびそれに先立つ降下火山灰(Ng-b)が分布するとされている。Ng-bは青灰色の細粒から粗粒の火山灰で、Ng-a. fallは黄褐色のややローム化した無層理な火山灰で安山岩片や角閃石を多量に含むことが特徴である。また、14C年代測定から噴火年代は12,000年前と報告された。
 
F、駒ケ岳g火山灰(Ko-g)
 助川(1991MS)は、恵山火山起源テフラの無色鉱物のモード組成、斜方輝石の屈折率測定を行い、恵山におけるテフラ層序をまとめた。その中で元村火砕流堆積物の上位に北海道駒ケ岳起源のKo-gを記載している。
 
G、銭亀沢層(PD−Ⅲ火山灰?)
 鴈澤・小野寺(1996)は、亀田半島全域のテフラ調査を行い、鉱物組み合わせおよび屈折率測定に基づき、B-Tm とKo-fの間の層位に、PD−Ⅲ火山灰を記載した。PD−Ⅲとは函館市周辺の遺跡で発見されたある堆積物の名称で、これは、佐々木ほか(1970)の銭亀沢層に対比される。鴈澤・小野寺(1996)は分布と層厚変化から恵山起源と考え、PD−ⅢがEs-a、Es-bのどちらかに対比される可能性を記した。しかし、層厚変化は必ずしも恵山に向かって増加しておらず、ここで、PD−Ⅲとした火山灰が全て同一のテフラであるかどうかには疑問が残る。さらに、花岡(1993)・近藤(1993)は、このPD−Ⅲは、植物珪酸体を多量に含みかつ分布が局地的であることなどを根拠に、テフラではなく焼土(地表で火を焚いた際に出来る)であると結論しており、この堆積物が本当にテフラなのかどうかという問題も残されている。
 
H、白頭山−苫小牧火山灰(B-Tm)
 町田ほか(1981)は、日本列島の火山噴出物には希なアルカリ長石を含有するテフラを記載した。青森県から渡島半島、苫小牧低地帯まで広域に分布し、いずれの地域でも層厚および粒径が殆ど変わらないことに着目して、遠方の火山に給源を求めた。岩石学的特徴や噴火史などから中国東北地方〜朝鮮半島に位置する白頭山に由来することが明らかとなった。さらに、町田ほか(1981)は、この中でEs-aがこのテフラに対比できるのではないかと記したが、勝井ほか(1983)は、鉱物組成の特徴からEs-aはB-Tmに対比できないと記した。噴火年代は10世紀で十和田aテフラ(AD915)よりも新しいことが判っている。
 
I、駒ケ岳d火山灰(Ko-d)
 山田(1958)は、肉眼記載により南茅部川汲において層厚25センチメートルの白色軽石層を記載しKo-dとした。しかし、このときの調査で記載された椴法華村では確認されなかった。佐々木ほか(1970)は、このテフラがAD1640年噴火によって噴出したものであることを示した。その後も恵山のテフラ研究はなされているが、Ko-dについては全く記載されてこなかった。
 
J、駒ケ岳a火山灰(Ko-a)
 山田(1958)によって、AD1929(昭和4年)噴火による白色降下軽石堆積物をKo-aと記載した。椴法華村においても層厚4センチメートルで地表面を覆うとされた。
 
K、その他
 佐々木ほか(1970)は、恵山南麓で恵山噴出物と考えられる火山灰が7〜8層堆積していることを記しているが、詳細には触れていない。
 勝井ほか(1983)は、Es-oの下位でEs-aとの間にもEs-oに類似したテフラが存在することを記載した。
 恵山火山地域の地質は、図1.11の地質層序および第1章末の地質図(荒井、1998)によると下記の4つの層序に区分されよう。
 (1)新第三系の古武井(こぶい)層・絵紙山(えがみやま)層・木直(きなおし)層
 (2)鮮新(せんしん)−更新世(こうしんせい)の丸山火山噴出物
 (3)第四紀の古期・新期段丘堆積物、崖錐・火山麓扇状地、冲積層
 (4)恵山火山噴出物(火砕流・火砕サージ堆積物、山体崩壊堆積物、溶岩ドーム、降下軽石・火山灰堆積物、45,000〜40,000、124y. B. P.)
 恵山火山の基盤には先第三系の戸井層と新第三系の古武井層および絵紙山層と木直層がある。また、恵山火山噴出物の基底をなす第四系についてもここで述べる。基盤地質に関する以下の記載は、主に勝井ほか(1983)および荒井(1998)によるものである。

図1.11 恵山火山地質層序(荒井,1998)