函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 銭亀沢編

第一章 歴史的概要とその特性

第一節 銭亀沢の歴史的概要

二 近代以降の銭亀沢

 昭和四十一年二月、函館市と銭亀沢村は合併協議会を設置し具体的に合併を進めることとなった。当初の会合で合併予定日を十月一日と決めて作業を進めていたが、時期尚早論も根強く、六月十六日には次のような陳情書が村長と議会議長宛に提出され、議会で採択された。
 
  銭亀沢村議会で構成して居ります函館市との市村合併特別委員会では、市との合併の期日を昭和四十一年十月一日を目途に決定し、その準備を進めて居ります。十月一日合併となると六月の議会で議決しなければなりません。これでは合併協議会の結果の説明を村民に充分にする事も出来なければ、世論を聞く事も出来ません。市との合併は我々村民の将来を決定するものであり、銭亀沢村が永遠に消滅するや否やの重大な問題です。この重大な問題を議会だけで決定する事は許されません。市との合併はあくまでも村の主権者である村民の意志によって決定されるべきだと思います。このような理由によって左の趣旨を議会で取上げていただきたく陳情申上げます。
   趣旨
 一 函館市との合併については村民の将来を決定する重大な問題なので慎重を期していただきたい。
 二 合併の議決をする前に世論を充分尊重し説明会懇談会等を開いていただきたい。
 三 合併に関する決定については住民投票をし住民の真の意志により決定願い度い。
   銭亀沢村長   蛯子兵弥殿
   銭亀沢村議会議長 川村弘殿
 
 この陳情書は署名者が一六四〇人で、有権者数五五七九人の二九・四パーセントであった。
 このため、村は署名者があった志海苔、銭亀、湊、古川町、石崎の五地区で説明会を七月九日から十四日にかけて開催した。住民の説明会参集状況は表1・1・14のとおりで、これらの地区では合併に反対する意向が根強い状況にあった。
 さらに銭亀沢村郷憂会という組織が結成され、約一八〇〇人(有権者人の三分の一)の会員を集め、八月二日、会長以下役員連名で渡島支庁長へ次のような合併反対陳情書を提出した。
 
 陳 情 書
 銭亀沢村と函館市との合併問題は幾多の矛盾を包蔵しつつ賛成議員多数と云ふことのみで議決に持ちこまれやうとして居ります。
 斯かる暴挙が許されるなら民主々義は地に墜ちたりと云ふべく、我等とてもこれが対抗措置としてあらゆる手段を講じてリコールの成立に専念せざるを得ないのであります。かくの如き事態が若し発生するなら誠に兄弟カキに相せめぐ一大不祥事の惹起も計りがたいのであります。
 もとより我等の主張するところは現時点に於いての合併は村の現・将来ともに益するところなしとの観点より早期合併の軽挙を戒めて居るのであります。又他日公約の履行せられざるの事ありてもすでに村なきその日いづくにその責を求むべきやを、危ぶむものであります。然るが故に合併に依る利害得失を村民に知悉せしむる最大限の手段を講じていただきたいと云ふのであります。然し現在まで各部落毎の説明会は二回づつより行なわれておらず、この重大事の完全な理解までには誠に程遠いのであります。
 然るに議会は斯かる情況を無視し、多数をたのみ、合併を前提とせざるに於てはつくり得ぬ合併協議会を強引に設立させて居るのであります。そしてあらゆる活動に於て賛成者多数を標榜して合併ムードを醸成することに之つとめ、少なくとも早期合併は再考を要するとの切実な村民の声に耳を籍す意志がないのであります。賛否いづれにせよ、村の将来の発展村民の民福の増進と云ふ念願の元に為されたる市・村の合併問題はその根本理念をはなれて、徒らな政争の泥沼に墜ち様として居ります。
 我等もとより村民の悉くがその得失を知るの機会を得て然も尚そのいづれを可とすることに容喙の意志はないのであります。我等の真に希ふところは村民をツンボ桟敷に置かずその真実を悉く知らしめてその赴くところを村民の意志に委ねよと云ふことであります。実情御調査の上御高配を仰ぐ次第であります。
   昭和四十一年八月二日
               銭亀沢村郷憂会
                  会長   鈴木倉太郎 印
                  役員   沢田市蔵  印
                  〃    高橋由次郎 印
                  〃    九島秋広  印
                  〃    井口賢四郎 印
                  〃    沢田利平  印
        渡島支庁長殿
 
 鈴木倉太郎会長は銭亀沢村社会教育委員長であり、役員の沢田市蔵は石崎部落会長、高橋由次郎は古川町の農業委員会委員、九島秋広は湊部落会長、井口賢四郎は銭亀の商工会会長、沢田利平は志海苔の宇賀漁業組合副組合長であった。
 つまり合併協議会で進めている内容を村民にことごとく知らせ、合併の賛否は村民の意志に委ねるように配慮いただきたいというもので、リコール運動も視野に入れていた。
 このような状況の中、八月二十二日に銭亀沢村議会の合併特別委員会が開かれ、合併期日を十二月一日とすることが賛成一〇反対五で決定され、二十五日の市村合併協議会でも了承され、三〇項目にわたる合併協議事項も決定された。
 「財産処分については村有財産の全部を函館市に引継ぐ」が第一項目で、第八項目が「市村建設計画」(表1・1・15)、第二五項目には後年度五か年計画も組み込まれている。
 この時点で渡島支庁は、郷憂会の反対を今後の問題点と受けとめ、反対意見の趣旨を「市との合併は慎重にやってもらいたい。住民投票をやってもらいたい。」と整理し、「理事者からの説得などにより住民の意志統一を図られるよう期待している」という姿勢であった(昭和四十一年「函館市銭亀沢村合併関係綴」渡島支庁地方部総務課地方係)。村の理事者は郷憂会の説得につとめ、リコール運動へ向かわせることなく、臨時村議会を迎えることとなった。

表1・1・14 昭和41年7月合併説明会参集状況
昭和41年度「函館市銭亀沢村合併関係綴」渡島支庁地方部総務課地方係により作成

 

表1・1・15 市村建設計画(地域振興5か年計画)

         「市村合併に伴う建設計画書 函館市・亀田郡銭亀沢村」により作成
            注)この建設計画は昭和42年度から46年度に実施する事業