函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 亀田市編

[亀田市編]

第一章 先史の亀田

第一節 亀田の大地

一 位置と地勢

 合併前の亀田市は北緯四一度四七分、東経一四〇度四〇分にあって、広大な山地と平野部を占めていた。その面積は最大距離で東西一一・五キロメートル、南北一四・七キロメートル、九二・〇七平方キロメートルであった。地理的には渡島半島の南部を南東に走る亀田半島にあり、南西の函館平野へと続いている。周囲は各市町村に接していて東から南は函館市に、西は七飯町と上磯町に、北は南茅部町と鹿部村に接している。函館市に接する東部は山地で、南部は丘陵から平地に至る住宅街になっている。西部は南西が丘陵地帯の平坦部で、その北西と北が山地になっており、亀田の地理的環境は、山地と山間部が総面積の三分の二を占めている。その主な山を見ると亀田半島の尾根を形成している山々が北壁となり、それらの主峰を形成する七飯町の横津岳から南東に通称横津平(約一、〇〇〇メートル)、袴(はかま)腰岳(一、一〇八メートル)と続いて市町村の境界に一、〇〇〇メートル近くの山岳がそびえ、その各山頂が隣接町村との境界になっている。横津平の北東から南東が南茅部町と鹿部村、北西から南西が七飯町、南が亀田である。袴腰岳の南は標高七〇〇メートルの平坦な地形になり、城岱と呼ぶが、ここには城岱沼がある。
 亀田と函館の境界線は、平坦な地形の中央を走って雁皮山(七四三メートル)、蝦夷松山(六六三メートル)、蓬揃(よもぎそろい)山(五〇二メートル)へと続いて滝沢上流域に達し、更に南西方向の楢(なら)ノ木岱、オンコノ木沢、東山に続いている。横津平から七飯町との境界近くでは横津岳に連なる鳴川岳(七六九メートル)が七飯町に、亀田には庄司山(五七〇メートル)がある。庄司山はさほど高い山ではないが、山膚が際立って突き出た山で、前記の『ペリー遠征記』の報告にはラウンド・ノッブと書かれている。
 河川には亀田の中央を流れる亀田川がある。亀田川は『函館区史』によれば「袴腰岳に発し、白井川赤井川の二溪流相合して赤川となり、亀田村を過ぎ亀田川となり、」と記されている。河川台帳によると、川上の赤井川に雁皮川、精進川、笹流川を合流して亀田川と称している。この川は安政年間まで函館湾に注いでいたが、函館とかかわりをもち、後になってその流路を変えている。『津軽一統志』に書かれたころから川口や流域に戸数が増えて、亀田の発展に大きな役割を果してきた。また、函館とのかかわりも、水質が良好なために安政六(一八五九)年になって、堀川乗経が堀割(願乗寺川)を設け、函館山のふもと近くまで水を引いたが、明治二十二(一八八九)年赤川上水道の完成と共に埋立てられ、中の橋から大森浜へ新川が造られた。更に五稜郭築造の際も木管によって亀田川の水を引用し、外堀にも注がれていたが、後になって外堀を製氷場に利用したこともある。上流は赤川と呼んでいるが、川上には赤沼という沼があり、信仰の場所となっている。
 このほか亀田の主な河川には七飯町との境界になっている蒜(にんにく)沢川がある。この川は七飯町の鳴川岳と亀田の庄司山との間を流れているが、庄司山の東を流れる中の沢川を合流して函館平野を流れる久根別川に注いでいる。また、亀田川の東方の沢などから流れ出てくる川は鮫川となり、南の低地帯から東に流れ、松倉川と共に大森浜に注いでいる。亀田の平野部には山地から流れる川と、丘陵の沢合いから流れる川があって、それらは東と西に分れる。丘陵地帯は南東から南西に広がっているが、南東部は比較的高い段丘で草地や畑作地帯が発達し、南から南西部は平坦な地形が続き、畑作地帯と水田地帯になっている。