函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第13章 社会・文化諸相の光と影

第2節 マス・メディアと活字文化

3 書籍の刊行

 明治14年7月15日の「函館新聞」紙上に次のような記事が載せられた。
 
今度弊社内へ仮に北海道学事新報社なる社を設け、社名同様なる雑誌をバ毎月二号宛発兌の見込にて目下発行出願中なり、此誌は専ら教育上の官令布達及び論説記事より当道各校生徒の作文等を載録するものなれば、教育有志の方ハ右事項の投書は素より願済次第直ちに発兌の積りゆへ、其節ハ改めて広告し升から御覧の程を願升

 
 つまり、「函館新聞」を発行している北溟社内に北海道学事新報社を仮設し、教育関係の論説や記事と北海道内の学校生徒の作文を載せて『北海道学事新報』と名付けた雑誌を出すという予告をしたのである。次いで8月26日の同紙上には、この雑誌の発行許可がおりたので、「当道教育有志の諸君ハ右に関する事項ハ細大共御投書下され度、且近日発兌の筈に付御高覧下され度候」と広告した。
 実際にその第1号が発刊されたのは9月21日のことであり、1冊の定価は4銭で毎月2回の発行を予定していた。この雑誌の持ち主は魁文社の支配人であった佐々木忠兵衛(後に改名して佐々木良蔵)、編集兼印刷人は「函館新聞」の印刷人でもあった小平金次郎、同補助としてやはり「函館新聞」関係者の岡野敬胤の名前が連記されている。
 『北海道学事新報』の創刊号では、官立師範学校教員と各小学校教員有志による函館教育協会の設立計画を報じ、さらに、函館教育協会の設立が実現した後の第6号(12月15日発行)では、その函館教育協会の書記に選出された岡野が「函館教育協会」と題して巻頭の論説を執筆している。
 この『北海道学事新報』は明治14年中には予定通り毎月2回発行されていたが、翌15年になると1月は1回、2月、3月は2回、4月、5月、6月は各1回ずつと次第に不定期になっていった。遂に、6月18日刊行の第15号末尾の記事に、役員改選など函館教育協会の報告事項を載せたのを最後に発刊が絶えてしまったのである。同年10月には、函館教育協会の機関誌として『函館教育協会雑誌』が発刊される運びとなるが、このあたりの事情については、既に第10章第5節に詳述してあるので参照されたい。