函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第11章 函館における宗教世界の諸相

第2節 北海道開拓と寺社

1 寺院にみる北海道開拓=開教の論理

 ちなみに、明治12年当時における函館の寺院および末庵・仏堂を一覧表にして、その沿革を示せば表11-5、11-6のようになる。
 
 表11-5 寺院一覧表
寺 院 名
所 在 地
宗 派 名
本 寺
沿      革
檀 徒 数
清光院 台町天台宗延暦寺文久元(1861)年、寛純が箱館奉行所より下勇払村と市野渡村の金山掘出しに際して、祈祷を命ぜ られ、天神町西通に祈願所を設置したのに始まる。明治4年に火災に罷り、同6年台町に移転。36人
(信者数1,390人)
天祐庵春日町天台宗延暦寺嘉永年間(1848~54)に、陸前国相馬の僧智周房が春日町辺りに一堂宇を建立し、歓喜天を安置したのに始まるがこの私的堂宇は私寺建立の禁ゆえに取払われ、慶応年間に亀田郡上山村に等?院休所天祐庵として公称許可。明治元年、兵火に罷 り東照宮に遷座、その後、住職の逃亡によって大教院の管轄となる。3人
(信徒数207人)
称名寺船見町浄土宗光善寺称誉円龍が正保元(1644)年、亀田村に一宇を創建したのに始まる。宝永5(1708)年、富岡町に移転再建。明治12年の堀江町失火の際全寺焼失し、同14年に現在地に移転。 5,850人
高龍寺台町曹洞宗法源寺松前法源寺4世の盤室芳龍が寛永10(1633)年、亀田村に一字を建立したのに始まる。宝永3(1706)年、弁天町に移転、明治12年台町に移転。12,509人
浄土真宗
西派別院
東川町浄土真宗
本願寺派
西本願寺安政4(1857)年、堀川乗経が本願寺休所として創立。万延元(1860)年、本願寺掛所願乗寺と 改称。明治6年、豊川町からの出火により焼失。同10年、本願寺別院と改称、同12年落成す。 1,828人
浄土真宗
東派別院
元町浄土真宗
大谷派
東本願寺松前専念寺6世の浄玄が、寛永18(1641)年に、木古内村に阿弥陀堂を建立したのに始まる。寛文9年の蝦夷蜂起により焼失したが、元禄2(1689)年に、泉沢村に再興し、宝永7(1710)年に函館富岡町に移転。宝暦9(1759)年に、専念寺掛所浄玄寺と公称。文政12(1829)年焼失、天保9(1839)年再建。安政5(1858)年、幕命により本願寺函館御坊浄玄寺と公称。元治元(1864)年、本願寺掛所と称し、明治9年別院と改称。同12年 の大火で焼失、翌年、仮堂宇の建設中に、「道路改正」により現在に移転。 7,500人
宝皇寺桔梗村浄土真宗
大谷派
東本願寺本願寺21世光勝が、安政6(1859)年、箱館奉行所の許可を得て、桔梗村に越前国の農民数10戸を移住させ、東本願寺開発場桔梗野とし、同地に本願寺別院広大寺と公称したのに始まる。万延元(1860)年、宝皇寺と改称。明治15年、現在地に移転。342人
実行寺船見町日蓮宗  日浄が明暦元(1655)年、上町に一宇したのに始まり、正徳4(1714)年、富岡町に移転。明治12年の掘江町出火により全焼、仮堂建設中、「道路改正」のため、明治14年、現在地に移転。 1,575人
妙応寺石崎日蓮宗実行寺日持が永仁4(1296)年、異邦布教のため着岸し、正安元(1299)年、その帰依者が一宇を結び、経石庵と称したのに始まる。明治12年、寺号公称 

 明治12年「開拓使函館支庁管下寺院明細帳」
 
 表11-6 末庵・仏堂一覧表
名 称
所在地
宗 派
本 寺
沿     革
信 徒 数
注連寺
出張所
南新町新義
真言宗
羽前国
注連寺
慶応4年に龍神町に注連寺出張所を創置し、大日如来を安置したのに始まる。明治6年の豊川 町出火により類焼、相生町に移転ののち同11年に現在地に転ず。960人
浄土宗
南新町浄土宗有珠
善光寺
安政4(1857)年、有珠善光寺7世仙海が相生町に一宇を創立建したのに始まる。明治10年、称名寺に合併、翌11年、青柳町に堂宇を建築。350人
念珠庵銭亀沢村浄土宗称名寺明和2(1765)年、湯川村より移転の際、称名寺の檀家と当村民の協議により建立。182戸
求道庵石崎浄土宗称名寺明暦2(1656)年、求道僧を開基にして、称名寺の末寺として一宇を創建。143戸
無量庵神山村浄土宗称名寺享保7(1722)年、称名寺の末寺として創建。一村中
地蔵堂汐見町浄土宗称名寺称名寺12世順応が享和2(1802)年に建立。上汐見町中
念仏堂亀田村浄土宗有珠
善光寺
慶応2年、村民の依頼にて建立。一村中
地蔵堂地蔵町曹洞宗高龍寺高龍寺10世燕嶺が、寛政7(1795)年に創建。250人
地蔵堂台町  函館各
寺院持
開創時は不詳。享保2(1802)年にはすでに山ノ上町に所在。各寺院は従来、境内やこの堂の前で火葬してきたが、享保2年に火葬が停止となり、山ノ上町から台町に移転。その際火葬場墓地として50間四方の土地を与えられた。300人