函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第10章 学校教育の発生と展開

第5節 教育団体の結成とその活動

3 函館教育協会の活動

 まず(1)について述べてみよう。『北海道学事新報』第9号(明治15年2月11日発行)に、最初の「函館教育協会報告」が掲載されているので、次に紹介してみよう。
 
本会も漸く規則等全く整頓せしを以て、去月廿八日第三土曜日を以て集会なし、演説会を開き村岡素一郎、素木岬雲、荒砥琢哉の三氏演説をなす。本月は去四日第一土曜日集会して、桜井昭悳氏の教育の基礎なる討論題にて発題者は教育の基礎は道徳にありと説にて討論会を開きしが、討論尽さずして九時となりしを以て閉会せり。引続き整定の通則に基き、集会時日は毎月第一、第三の土曜日午後六時に始め同八時に終り、演説と討論を隔会に催すことに決したり。

 
 これが、函館教育協会が主催した最初の演説会の状況であったが、これに至るには、前年の12月から15年1月7日の間に6回の会合を開き、会則附則や会場規則の制定、会場(函館師範学校の教室)の確保と関係官庁への申請といった周到な準備の積み重ねがあったのである(前出『沿革誌』)。
 続いて2月18日にも定例の演説会が開かれ、会員の「過半(が)来会して耳を傾け」(『北海道学事新報』第10号、明治15年2月25日発行)た。当日の演題と演説者は次の如くである。
 
「主教ノ本ヲ論ス」村岡素一郎、「当道女子教育ノ急務ヲ論ス」佐藤重記、「普通教育ノ修身学ハ儒教ニ基カザル可ラズ」原辰四郎、「女学校設立ヲ渇望ス」隅田正照、「函館新聞六百三十六号女学校新築設立請願書ヲ読」荒砥琢哉

 
 このように、発足した直後の函館教育協会における定例会活動は、それなりに活発に展開されていたようであるが、毎月2回の発行予定であった学事新報の刊行が同15年3月頃より遅延し始めるとともに、教育協会の活動報告もあまり掲載されなくなる。その裏には、後述するように学事新報の休刊問題や、協会自身の会誌の発行という問題などがからんでいたのであるが。そして、協会の定例会活動が再開されるのは、これらの懸案事項が一応の解決をみた同年後半の第2期に入ってからである。いま、参考までに第2期、第3期の定例会開催状況について表示すれば表10-23、24のようになる。
 
 表10-23 第2期(明治15年6~12月)の定例会開催状況
月日
出席者数
備考
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
6・17
7・1
7・15
7・31
8・1
9・2
9・11
9・16
10・7
10・21
11・4
11・18
12・9
12・16
「稀少」
15
23
12
13
11
13
14
16(5)
17(6)
23(11)
37(5)
25(2)
27(1)
閉会
会長・副長欠席





主として
会誌刊行
問題につ
いて討論
発表者1
 〃  4
 〃  1
 〃  5
 〃  1、失火の警鐘で中止
 〃  9
前回の続き

 『函館教育協会雑誌』より作成
 「出席者」欄の( )内は同伴者数を示す
 
 表10-24 第3期(明治16年)の定例会開催状況
月 日
出席者数
備     考
1
2
3
4
5
6
7
8
1・13
1・20
2・   3
2・17
3・   3
3・17
4・   7
4・21
27(4)
25(69)
24(60)
25(60)
18(50)
12
15
15
 発表者  3
 〃  3
 〃  5
 前回の続き
 発表者  4
 出席者少数のため談話会に変更
 発表者  1
 〃  3
12・15
9
 〃  1

 『函館教育協会雑誌』より作成
 「出席者」欄の( )内は、同伴者数を示す
 第9回以降は、史料欠如のため不明
 12月15日の定例会は、第4期である