函館市/函館市地域史料アーカイブ

函館市史 通説編2

第2巻 第4編 箱館から近代都市函館へ

第10章 学校教育の発生と展開

第5節 教育団体の結成とその活動

2 函館教育協会の組織

 そこで次に、函館教育協会の組織について検討してみよう。まず、協会の設立された明治14年から同22年までの役員を表示すれば表10-21のようになる。初代会長の村尾については先に触れたが、2代会長の村岡素一郎は、当時函館県学務課長心得兼函館師範学校監督であり、3代会長の素木岫雲は函館師範学校校長の地位に、また4代会長の二木彦七も函館区長に就任していた。このような点からみても、この函館教育協会が「純然たる民間の自発的教育研究団体として創設」(前掲『沿革史』)されたとは言い難い。むしろ、開拓使や函館県の教育行政を側面から補充するための半官半民的組織としての性格を、色濃く持っていたと言うべきであろう。
 
 表10-21 函館教育協会初期の役員
役 職明治14年
11月
明治15年
6月
明治15年
12月
明治16年明治17年
7月
明治18年
1月
明治21年明治22年
会 長
村尾元長村岡素一郎村岡素一郎村岡素一郎素木岫雲素木岫雲二木彦七二木彦七
副会長
村岡素一郎村尾元長内山例之助村尾元長村尾元長村尾元長素木岫雲池田酵
幹 事
前田憲
原直次郎
前田憲
原直次郎
前田憲
原直次郎
    原直次郎
荘田三平
新保磐次
   
書 記
吉田元利
岡野敬胤
吉田元利
佐藤重記
原辰四郎
井上小四郎
佐藤重記
小松三平
原辰四郎
長谷川四郎
         

 函館教育会『函館教育協会沿革誌』(昭和19年)による
 

2代会長村岡素一郎 榛葉英治『史疑徳川家康』より


3代会長素木岫雲 『函館教育会沿革史』より

 
 協会の事務所は、最初函館区富岡町5番地の北溟社内に置かれていたが、その後仮事務所が同区東浜町36番地(内山例之助方、同17年9月)、同区天神町95番地(同18年1月)、同区会所町20番地(岡本竹次郎方、同年12月)、同区曙町8番地(同19年4月)としばしば移転している。
 また、地方組織として函館区外に分社(分会)があり、判明しているかぎりでは、協会設立直後の明治15年現在、歌棄、磯谷、戸井、亀田の4か所に存在していた(前田憲は5分社と指摘しているが、もう1か所は不明(『函館教育協会雑誌』第1号)。この中で最も早く設立されたのは、恐らく歌棄分会であろう。『北海道学事新報』第9号には関連記事が、また同第10号(明治15年2月25日発行)には「歌棄分会通信」が掲載されているが、これらによれば、同地の歌棄学校教員小川景義が中心となり、15年1月に会員10名で分社が設立されている。
 その他の分社の設立は不明であるが、磯谷分社は「七月以降社員欠席多ク到底廃社モ同様」の事態となったため(『函館教育協会雑誌』、第4号、明治15年12月13日発行)、同年12月2日、「分社廃止ノ儀」を協会宛に連絡してきている。即ち、磯谷分社(会)は、11月までにほとんど休会同然だったのである。同じ11月には戸井分会も独立しており(同上書、第5号、明治16年1月30日発行)、亀田分会(会員15名)が存続するとはいえ、協会の受けた打撃は大きかった。このことは、同年12月に作成された「第二期報告文」(同上書、第5号)において、「分会中止及独立ノ事」に言及していることからも明らかである。